夜間中学その日その日 (1063) 白井善吾
- journalistworld0
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豊中四中夜間中学 開設50年の集い(2025/11/22) 2025.12.08
「きん こん かん こん。きん こん かん こん」。ある日の豊中夜間中学の学びの始まりを伝える合図が夜間中学生の地声で会場に流れた。会場の体育館舞台下に25名の夜間中学生・教員が4本のマイクからある日の総合学習の様子を演じる形で200名を超える参加者に普段の夜間中学の学びを報告された。私もいつの間にか教室の一員に引き入れられていた。飾ることのない、たどたどしい日本語も、入り混じり、横から入る助け舟の助言や動作も普段通り、あの間合いや言い直しは夜間中学独特で、違いや多様性を包み込んで豊かさにかえていく夜間中学の学びを報告していただいた。プログラムには総合学習発表/四中夜間在校生の発表と合唱『夢や希望とともに~学ぶことは生きること~』と書いてある。

「50年前なぜ豊中で夜間中学ができたか?」では1968年の大阪での夜間中学開設運動を受け、1973年から取り組まれた豊中の夜間中学開設運動に応えた下村輝雄市長(当時)の決断と議会承認の写真が、舞台上のスクリ-ンに映像が映し出された。会場壁面に掲示された開設当時から大切に保存された共同作品類、写真パネル、学習で生まれた作品が発表の内容を裏打ちするように参加者を包み込んだ。
開校以来発行されている文集『まなびや』に収録された作文の紹介も織り込まれている。「これから自分自身の道を見つけたい。止まっている時計が動き出し」「今から学べるこんな夜間中学が好きだ」… 聞き入っている出席者の心に届く紹介が続く。
沖縄と交流を続け、この夏の交流の内容を夜間中学の授業で取り組まれた発表も織り込まれていた。「命どう宝」「平和の礎」「平和の最大の敵は無関心だ」「みんな反対すれば止めさせられる」これらのコトバが毛筆で掲示され、学びから生まれたコトバがマイクからも流れる。
プログラムのオープニングセレモニーでは第四中学の吹奏楽部、生徒会執行部がスクリーンに映し出された。第四中学全体に位置づく夜間中学の存在がうかがえる発表であった。字幕は各国のコトバに翻訳され配慮が行き届いている。ネパールの国の歌の楽譜を探しだし、演奏する工夫もされていた。「世界にたった一つだけの花」の演奏にあわせ参加者も口ずさんだ。
市長の挨拶でも「これから入学される人たちを支えてください」と参加者に呼びかけ、「人々を豊かにする場の役割の大きさ、安心して学べる場として学びに取り組まれる支援体制と環境の充実に取り組む」。教育長は「違いを尊重する。多様性そのものの夜間中学の学び。学ぶことで日々新しい自分を発見していく。50年間その役割を果たしてきていただいている。(四中夜間中学は)決してなくなりません。これからも発展していく。飛躍発展していただいていく」と教育行政の決意を語られた。
夜間中学在校生、卒業生、4人が「私の人生と夜間中学校」と題してスピ-チを行った。人生を語り、夜間中学で学ぶことの意義を自分たちのコトバで語られた。「学校に行けず、苦しんでいる人、踏みつけたり人を差別する文字ではなく、生きた文字を学ぶ夜間中学に」「先生は何を学びに学校に来られていますか?」「私たちはこれから来る人たちのために温く明るい学校にしていきます」
会場には遠方から参加された、かつての夜間中学教員の姿があった。
夜間中学が今あることの意味を確認できる、豊中四中夜間中学50周年の集いであった。




























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