

夜間中学その日その日 (1076) 夜間中学資料情報室
夜間中学新聞報道月報 2026年1月 2026.02.21 1月の新聞報道は36件。公立夜間中学の記事が11件。自主夜間中学5件。新設に向けての取り組み9件。不登校5件。外国人の日本語、不登校、外国人の日本語の報道。 夜間中学生の主張を紹介する。熊本県立ゆうあい夜間中学中学の田中節子さん 「学ぶことは人の心を豊かに育てます。生きていく世界が拡がります。そして幸せを学ぶことでもあると思います」。 (熊本日日新聞 2026.1.5) もう一つは奈良・橿原市立畝傍夜間中学 布川順子さんの主張だ。 「どこの教育委員会も最初は力を入れると思うけど、歳月とともに夜間中学への大事な思いが薄れ、理解のある先生たちが異動してしまうと、かつての畝傍のような事態になるかもしれない。畝傍だって、またそうならないとも限らない。大切な学びの場に何かあったとき、自分たちで守っていきたい」 「日本語を学ぶだけなら、お金を払えば学べるところはいくらでもある。でも、夜間中学は日本語や読み書きだけを勉強する場じゃない」 「私はここで、自分の意思


夜間中学その日その日 (1075) 白井善吾
夜間中学は“ソフトパスの学び”を追求する場 2026.02.14 夜間中学に勤務するようになって、それまで抵抗なく使っていた言葉や、言い回しで、使うことができなくなった言葉や言い回しがある。まず「読ませる」「書かせる」‥といった「・・・させる」という言い回しである。教員の校内研修などで授業研究発表や実践報告の中で用いられる言い回しであるが、教師が高い立場から夜間中学生に「読ませる」「書かせる」という構造が持つ、両者の関係に大きな反省を持つようになった。 夜間中学の学びで生まれた夜間中学生の唄 夜間中学生は人生の先輩、その道の達人ともいうべき職能を身に付けた人たち、家庭の中では子育てをし、社会人として喜び、悲しみ、世の不条理に怒りを経験した人たちなのだ。夜間中学に勤務し始めた当初、無意識に自分の口から出てきた「・・・させる」を使った時の深い反省は忘れられない。 何年か経った頃、夜間中学に学ぶ人たちのことを報告する機会があった。義務教育未修了となった人たちが夜間中学で語り始めた学齢時の学校への告白を小中学校の先生たちに伝える内容であっ


夜間中学その日その日 (1074) 砦通信編集委員会
*このコラムをみていただいている方から問い合わせを受けた。「社会が世界が見えるようになること(6)」の記事が受け取れていないとの事。調べると仰せの通り掲載できていなかった。この時期は髙野雅夫さんの入院などその対応で混乱していた時期でもある。お許し願いたい。改めて記事を見ると、「生」を「うまれ」「いきて」「いこう」「いるのか」と表現されている。そして原点から自分自身への問いかけをしながら行動をされていたことがわかる。(編集部) 社会が世界が見えるようになること(6) 2026.02.07 自分がどこで生まれ/いまどこに生て/これからどこへ/生こうとして/生るのか?―人間としての誇りと権利を奪い返す闘いであり―自からに問い続ける闘いなのだ‼― これが“夜間中学生”の原点であり生命線だ‼ 髙野 :これは 俺たちが、絶えず、自分自身に問いかけている、考え方です。その日の出来事を振り返ったとき、流されてしまって、妥協してしまう動きをしてしまった時、この考え方で点検をしています。それは、「人間としての誇りと権利を奪い返す闘い」になってい


夜間中学その日その日 (1073) 白井善吾
柔らかい、夜間中学の学び 2026.01.31 通勤ラッシュがおさまりかける1月中旬の時間帯、地下鉄で大阪市内に出かけることがあった。車間調整のため、発車できないと車掌が車内放送を何度もしている。駅と駅の間で停止することを避けるためか、ついた駅ごとで「発車を見合わす」と放送している。会議に遅れないようにと余裕をもって家を出たが、時間が気になり、時計を何度も見ることとなった。しかし、乗客は慣れっこになっているのかそんな放送があっても、私のように表情を変える人は皆無だ。それどころか、スマホの画面に見入って盛んに指を動かしている人たちが何人もいた。イヤホンから流れる音に集中されているようだ。私の位置から把握できる人数は21人。うち16人がスマホを見ている。かつて見受けた新聞や週刊誌を見ている人はいない。他は目を閉じている人、隣の人と話している人であった。 時間帯が変わればこの割合は変わるのかもしれないが、スマホ依存が大きく浸透してきている。これは学齢の子どもたちにも表れている。冬休みになっても野外で子どもたちの遊びに興ずる声が聞こえ


夜間中学その日その日 (1072) 夜間中学資料情報室
夜間中学新聞報道月報 2025年12月 2026.01.24 12月の新聞報道は37件。公立夜間中学の記事が5件。自主夜間中学3件。新設に向けての取り組み11件。不登校5件。外国人の日本語4件。不登校、外国人の日本語そして夜間中学が果たしている役割についての議論が多くあった。 「野良犬のような生活」をしていた自分でも、「文字を覚えれば本だって読めるし、人の前に立ってしゃべれるようになる。本当の教育を受ければ生きる権利と教育を受ける権利を主張するような人間になれる」とし、「今、夜間中学が廃止されれば、そういう人間の持っている可能性まで一切奪われてしまう」と危機感を語っていた(2025.12.05毎日)。11/29の髙野雅夫さん追悼の会の記事で髙野さんの主張をこのように紹介し、記事の見出しは 「文字は世界広げる“空気”」 であった。 71回全国夜間中学校研究大会であった夜間中学生や卒業生の主張を次のように記事で紹介していた。 「夜間中学では正解や間違いにとらわれず、学びたいという強い気持ち、明るさが教室のパワーになってい


夜間中学その日その日 (1071) 夜間中学資料情報室
萬稀さん同行活動報告(2) 2026.01.17 2025.12.05 12月5日・6日は全国夜間中学研究大会・東大阪大会。萬稀さん達と桃谷駅で待ち合わせ。近鉄八戸ノ里駅で通訳をしてくれる太平寺夜間中学(現布施夜間中学)の卒業生と一緒に意岐部夜間中学を訪問した。 時間前に到着したので、えんぴつポスターを読んだり、生徒作品を見ていただいた。その時に、同じ敷地にある意岐部東小学校の6年生の卒業作品に、原子爆弾リトルボーイの模型や、被爆直後の灰と化した平和公園の模型が置いてあった。それをみながら韓国の教科書にも載っていると、話されていた。 韓国文解教育の全国集会に参加した学習者 1時間目は習字の時間で絵馬に龍を描く。日本の風習の紹介。ネパールの生徒と英語で会話されていた。2時間目は表現。習熟度別になっている4クラスを巡りました。カードを使っての文章作りや自校で作った歌の理解を深めるなど、身近な生活に根差した事柄から文字を習得したり、表現をうまく取り入れた授業を参観させてもらった。 以前は中国残留孤児や家族が多か


夜間中学その日その日 (1070) 夜間中学資料情報室
萬稀さん同行報告(1) 髙野雅夫さん追悼の会の案内を韓国とカンボジアで文解教育を実践されている萬稀さん(元韓国文解成人基礎教育研究協議会代表)に伝えるとすぐに参加する連絡が入ってきた。追悼の会の準備に加え、11/28から12/8の来日期間、私たちが萬稀さんの文解教育に学ぶ機会の設定と準備を行うことになった。 2025.11.29 ご苦労様、参加いただいた皆様、私たち同様、年を重ねられ、かつての顔に輝きを重ねられ、参加なさいました。それにしても髙野雅夫さんの人脈の深さに改めて“髙野の雅夫威力”を再確認しました。これからまとめが大変です。 萬稀さんのスピーチ、お連れ合いの高尚哲さんによる髙野雅夫氏と文解とのつながり、韓国での髙野さんの活動紹介、お子さん・高マウム氏の供養の舞踊、22時間かけてカンボジアから駆け付けていただいた心情が参加者と共有できたと考えています。 夜間中学生や卒業生のスピーチ、大学で夜間中学との出会い、堂々とした寺田さんのスピーチに現れた強さを生みだしたものを感じ取ることができました。 2025.12.02...


夜間中学その日その日 (1069) 萬 稀
髙野雅夫さん追悼の会報告(3) 萬稀 追悼文 2026.01.03 髙野雅夫氏がお亡くなりになったこと、真っ先に伝えるべきであった。メールで連絡が取れたのは、1か月後。訃報はすでに届いていた。追悼の会を行うことを伝えると、参加するとの返事をいただいた。しばらくして、朝鮮語の追悼文が届いた。機械訳文を見てびっくりした。川瀬俊治さんから正式翻訳にはその箇所が、次のように訳されていた。 「私は文解教育を進める地位と機会の提供を受けました。しかし、世俗的な賛美の誘惑に耐えられる『髙野雅夫の“コヤシの思想”』の魂とDNAを受け継ぎ、『ダメだ!』と拒みました」 と訳されていた。重ねるように 「その人がいるか?」 咸錫憲(ハム・ソッコン)の文章が萬稀さんの気概を裏付けている。 髙野雅夫氏の想いをかくも的確に受け止め、行動されていたことに驚いた。生前、髙野さんは萬稀さんが東アジアの識字文解教育に実践されているのに、自分がとりくめていないことを悔いる発言を何度も口にされていた。私たちはこの追悼文に 『コヤシの思想』の魂とDNAを受け継ぎ と表題


夜間中学その日その日 (1068) 戸田 雅威
髙野雅夫さん追悼の会報告(3) 2026.01.01 2025年11月29日開催した髙野雅夫さん追悼の集会を多くの方の参加を得て行うことができた。髙野さんは関係者一人一人の持っている力を結集し、次の課題に取り組む機会とその方向を定める機会を私たちに与えられたんではと考えている。私たちは次の課題ととりくむ方向を定めることができた。集会で全国人権教育協議会・代表理事 戸田雅威さんは私たちの決意を髙野さんの遺影を前に語られた。(編集部) お礼のコトバ 1998年発行のあなたを記した 『タカノマサオとは何か』 に、「奈良に夜間中学をつくる会」のメンバーの一人であった落語家・露の新治さんの、あなたから教えてもらったという「三つのいましめ」の一つに、「『長』のつく人には近づかない」がある。私が、あなたと出会ったのは30年前、この間、お世話になりっぱなしの私が、昨年「全国人権教育協議会・代表理事」なる肩書を背負わされた。あなたの言う「長」との違いは分からないが。「代表理事」なる「肩書」を背負った。その私が、こうして閉会の場に


夜間中学その日その日 (1067) 夜間中学資料情報室
夜間中学新聞報道月報 2025年11月 2025.12.30 11月の新聞報道は45件。公立夜間中学の記事が7件。自主夜間中学9件。新設に向けての取り組み19件。不登校7件。投書3件。日本語学習2件。夜間中学書籍2件。 2025.11.14の毎日の記事にあった、「机友」の言葉に目が留まった。その部分を引用すると、「1990年代の台北。高校受験に失敗した小愛(シャオアイ)は、大学受験に有利だからという母親の強引な勧めで、名門『第一女子高』の夜間部に進学した。学校では、同じ机を全日制と夜間部の生徒が入れ替わりで使用する。小愛は全日制に通う成績優秀な敏敏(ミンミン)と机を共用することになった。ネットも携帯電話も広く使われていない時代。互いに机に手紙を入れたりしながら、「机友(きゆう)」つまりデスクメートという特別な友人となった。『ひとつの机、ふたつの制服』は、台湾の2部制の進学校を舞台にした甘酸っぱい青春映画だ」と続く。 日本でも小説で余寧金之助作「郵便机」がある(所収・麦書房/雨の日文庫第4集5)。この原作を映画化したのが日本大

