

夜間中学その日その日 (1112) 夜間中学資料情報室
今西富幸著『コヤシの思想―髙野雅夫と夜間中学の闘い』(2)2026.09.12 夜間中学生にとって髙野さんが漢字などに振るルビは夜間中学教員や夜間中学生にはとても困る。その漢字は本当にそう読むんだと夜間中学生は思い込んでしまう。とある夜間中学の教師が髙野さんに苦言を呈したことがある。例えば「父・母の歴史を受けつげ仇討ち」の歴史に髙野さんは「うらみ」とルビを振っている。髙野さんはそれには何も言わなかった。 髙野雅夫さん自筆の帯。カレンダーの裏に一字一字 心を込めて書いていた 「全世界の最下層人民と最下層民族の仲間へ!」の最下層人民に「ルンペンプロレタリアート」、仲間に「どうし」とルビを振り、「バカだ!〇〇〇だ!と蹴とばされながら生まれてはじめて俺たち自身の手で奪い返した“文字とコトバ”だ!」の「手」に「ちから」とルビを振っている。 「階級闘争」に「ふくしゅう」。俺たちの「生理」に「しそう」。「具体的」に「せんめい」。「新たな天地」の天地に「せんじょう」。「人間は個ではなく類として生きているのだ」の「個」を「ひとり」、「類」を「かいきゅう」


夜間中学その日その日 (1111) 夜間中学資料情報室
『コヤシの思想―髙野雅夫と夜間中学の闘い』完成 2026.09.05 筆者が髙野雅夫さんと初めて言葉を交わしたのは1972年9月15日午後6時、なにわ会館。天王寺・菅南(現天満)・八尾・長栄の夜間中学生卒業生10名。教員等10名、それに髙野さん。どんな経過でその場に私が参加していたか定かでない。当時私は吹田市に夜間中学を開設するとりくみに参加をしていた。大阪教職員組合の執行委員から髙野さんがこの日、来阪することの情報を得て参加したのかもしれない。髙野さんの記録ノートにこの日の記載がある。 安養市市民大学玄関(2005年3月) ☆吹田市に夜間中学をつくる運動、 (白井)教組の運動方針として夜間中学の開設を明記している (岩井)夜間中学をつくることは簡単や、だが中味をつくることはものすごくたいへんや」 (白井)菅南、天王寺を訪問、考えの甘さを痛感している。 鮮明に覚えているのは、対応の鈍さにしびれを切らした髙野さんが席を立ち、帰っていこうとする髙野さんを引き留めている場面だ。それから54年が経過し、髙野さんがなくなった今、髙野さんの考


夜間中学その日その日 (1110) 夜間中学資料情報室
第45回夜間中学増設運動全国交流集会 2026.09.01 コラッセふくしま(福島市)で8/22∼23の日程で 第45回夜間中学増設運動全国交流集会が開催された。全国から自主夜間中学に学ぶ学習者(17)、スタッフ(77)、公立夜間中学(5)の教員あわせて100名を超える参加があった。各組織(36)の活動報告が事前に配信され、各組織のおよその状況、課題を把握して参加することができた。 参加者の所属クループの欄があって「福島と被災を考える会」から7名の参加があった。2011年3月11日の東日本大震災の長周期振動を大阪でも経験したが、今回8/23の深夜、関東を震源とする長周期振動の地震を福島で経験した。会場に向かう駅前に設置された、モニタリングポストの放射線量は0.099~0.112~0.113μsv/hを示していた。 2011年1月発足した福島駅前自主夜間中学も震災のボランティア活動で十分なスタートが切れなかった。2025年10月、活動を開始した山形県米沢・置賜(おきたま)自主夜間中学も2012年8月避難児童の「寺子屋」の活動が源流だ。


夜間中学その日その日 (1109) 夜間中学資料情報室
髙野雅夫さん逝去一年記念の集い(3) 夜間中学生ひとり一人のもっている力 2026.08.29 「先生、ほめきますなぁ。(イネの)成長にはこれが必要なんです。次の朝になると(イネの)姿が変わっています。分げつが一番盛んな時です」。ある夜間中学生は、私の顔を見るなり、この時期このように挨拶をされていた。これを聞いて驚いた。めったに聞かない“ほめく”の単語を使って挨拶をされたのだ。うれしくなった。日照りがきつく、湿度が高く、じっとしていても汗が噴き出てくるそんな状態を大阪では“ほめく”と表現する。7月の下旬、中干(なかぼし)、水田の水を切って、10日弱、株の分げつを止め、土壌に割れ目をこしらえ、土中の腐敗ガスを空中に逃がし、稲の根張りを強くする。農業経験の豊富な夜間中学生は「根競べです」と表現した。水を切られた稲株は悲鳴を上げ、日照りでしおれる。根を深く下ろして土中の水を吸い上げろと云うんです。水田を吹き抜ける風も乾いた風に変わる。授業にまで持ち込んだこの話題に子どものころの生活が語られる。 中干頃の水田 夜間中学の先生は夜間中学生


夜間中学その日その日 (1108) 夜間中学資料情報室
髙野雅夫さん逝去一年記念の集い(2) 2026.08.21 2本の映画『夜間学級はわたしの夢』と『夜間中学生』はカラ-とモノクロの違いがあるが、「明」と「暗」。「愛」と「怒」の違いに気付く。そして「夜間中学」や「夜間中学校」でなく「夜間学級」を用いている。インタビュ-アの質問もなかったのか、編集段階でカットされたのか、大阪の夜間中学開設の市民教育運動や「髙野雅夫214日の闘い」の結果開設されたことは語られなかった。 証言映画「夜間中学生」16㍉フィルムから焼き付けた写真 市民の教育運動で誕生した夜間中学といえど、いったん公立の夜間中学が開設されると教育委員会の物差しで運営されていく。教職員の人事がそうだ。行政の意向がちゃんと伝わる教職員の配置が行われていく。 荒川九中も例外ではない。1967年映画制作を行った、あの教員体制だったからできたと言えると髙野さんが何度も言っていた。さらによく質問されたのが、夜間中学に「教頭」が必要なのか?という問いだ。 大阪では1981年、夜間中学に教頭が配置された。国に先駆け、しかも府の単費で配置された。


夜間中学その日その日 (1107) 夜間中学資料情報室
夜間中学新聞報道月報 2026年7月 2026.08.15 7月の新聞報道は38件。新設に向けての取り組み2件、自主夜間中学の報道5件、公立夜間中学10件、夜間中学の日本語 4件、「星の教室」など夜間中学の書籍2件。テレビでは9件。 雑誌で目に留まったものとして、「『学びの多様化学校』は、これからの学校教育をどう変えるのか」New Education Expo 2026 リポート vol.5 内田洋行教育総合研究所がある。岡田敏之さんは「何のために『学びの多様化学校』を創るのか」で学びの多様化学校はについて、「通常の学校になじめない子どもを切り分けるための場ではない。むしろ、学校教育そのもののあり方を問い直す場である」と述べられている。 大阪市教育委員会は反対の意見に一切答えず、夜間中学を統廃合して生みだした教員を学びの多様化学校に振り当てる方針を強行した。午後から登校するが多様化学校の12∼15歳の子どもたちのために、午後1時過ぎからの授業担当に割り当て、従来から行われていた夜間中学の教員研修、生徒会顧問会議にも出席できにく


夜間中学その日その日 (1106) 夜間中学資料情報室
髙野雅夫さん逝去一年記念の集い(1) 2026.08.08 2025年7月26日、髙野さんはお亡くなりになった。逝去1年にあたる7月26日、私たちは記念の集会を持った。昨年同様この日も暑かった。午後6時からとはいえ、家族から外出を止められましたという卒業者もあった。静岡、倉敷、神戸からの参加もあった。『夜間学級はわたしの夢』『夜間中学生』の映画上映後、生前の髙野さんが夜間中学運動に賭けた想いを学び、語り合う内容であった。 髙野さんは生前16㍉映写機の機械音を聞きながら、証言映画を映したいとよく言われていた。かつてどこの中学校、高校にもあった16㍉映写機はいつの間にか“処分”されてしまっているのだ。やっとたどり着いた視聴覚ライブラリーに所蔵の『夜間学級はわたしの夢』のフィルムと髙野さん所蔵の『夜間中学生』を二本立で上映して、参加者に話していただこうと計画を立てた。直前になって、ライブラリーから事前に点検したら、16mmフィルムは使用できないことが分かった。従って映写機も貸し出しできないと当方に連絡があった。何と狭い了見か。その前提で進め


夜間中学その日その日 (1105) 夜間中学資料情報室
2026.6.7天王寺夜間中学同窓会 集会 2026.08.01 2026年天王寺夜間中学同窓会総会は韓国から萬稀さん高尚哲さんをお迎えし、集会「髙野雅夫さんと天王寺夜間中学」が開催された。150名を超える参加者があった。 集会は「ウリマダン」のチャンゴの演奏で始まった。韓国から駆けつけた33期の同窓生金渡先さんの指導で練習を重ねオープニング演奏を行った。天国の髙野さんに呼びかけ、会場に招き入れる長い演奏の後「髙野さーん」と出演者の声が会場に響き渡った。 体育館の4面ギャラリーには在学時作成した共同作品で埋め尽くされている。配布された集会冊子には「46期生・兪敬愛(ユキョンエ)さんが描いた髙野さんの肖像画の油絵と「天王寺夜間中学の魂(れきし)は不滅だ!!」髙野さんの直筆が印刷されている。 「髙野さんの想いを引き継いで」「悲しくてたまりません」「天王寺夜間中学の証が保管できる資料館を」「夜間中学を守りたい」「夜間中学は、人間としての誇りと権利を奪い返す闘いの場だ」「同窓会に託された遺言書」「おかげで私たちも夜間中学で学ぶことが


夜間中学その日その日 (1104) 夜間中学資料情報室
髙野雅夫夜間中学資料室の拘り 2026.07.25 2014年11月も過ぎたころ、髙野雅夫さんから連絡が入った。「家にある夜間中学の資料を守口に送ります」。 筆者は2014年3月、退職していたので、「髙野さんから夜間中学の資料が届くので」と夜間中学に連絡し、受け取りをお願いした。学校から「どんどん届いています」と連絡があり、学校に駆け付けた時には丁寧に梱包された段ボール箱が積み上げられていた。守口夜間中学にない夜間中学資料だろう。せいぜい10箱程度だろうと予想していた。見事に外れた。 夜間中学の資料が散逸するのを恐れ、その整理と分類作業を少しずつ始め「夜間中学その日その日」の記事をジャーナリストネットワールドのコラムに投稿したり、8冊の記念誌や書籍を出版していることを髙野さんが知るところとなり、守口夜間中学へとなったと勝手に考えていた。 50箱近くが積みあがった資料は髙野さん同席のもと、開封し、整理作業を開始するべきだと考え、髙野さんの来阪を待っていた。 ここで大きな問題点があった。守口夜間中学は校舎を建て替え、3校の


夜間中学その日その日 (1103) 夜間中学資料情報室
夜間中学新聞報道月報 2026年6月 2026.07.20 6月の新聞報道は24件。新設に向けての取り組み2件、自主夜間中学の報道2件、公立夜間中学9件、夜間中学の日本語 5件、「星の教室」など夜間中学の書籍3件。テレビでは5件。 夜間中学の校区はその県全域という夜間中学がほとんどで昼と比べ広域である。夜間中学のある地元地域とのつながりを大切にするとりくみの報道があった。 「夜間中学生が避難所体験 石川県立あすなろ夜間中学 『相手の立場で考えること大事』」(中日新聞 2026.06.28)。西部緑道にイルミネーション 若杉中生、共に作るよ 福井・社北 地域とつながり求め 9月点灯」(福井新聞 2026.06.27)。先月この欄で紹介した、「異なる道を歩んできた人のことを知りたい」夜間・なごやか中、市民らが日本語指導や教科サポート(中日新聞 2026年5月29日)。 大阪府泉佐野の夜間中学の報告として、地域のインターネットラジオに出演し「生徒会長さんをはじめ、85歳の生徒さんやこの夜間中学に通って見事に通訳の夢を叶えた外国人生徒

