

夜間中学その日その日 (1072) 夜間中学資料情報室
夜間中学新聞報道月報 2025年12月 2026.01.24 12月の新聞報道は37件。公立夜間中学の記事が5件。自主夜間中学3件。新設に向けての取り組み11件。不登校5件。外国人の日本語4件。不登校、外国人の日本語そして夜間中学が果たしている役割についての議論が多くあった。 「野良犬のような生活」をしていた自分でも、「文字を覚えれば本だって読めるし、人の前に立ってしゃべれるようになる。本当の教育を受ければ生きる権利と教育を受ける権利を主張するような人間になれる」とし、「今、夜間中学が廃止されれば、そういう人間の持っている可能性まで一切奪われてしまう」と危機感を語っていた(2025.12.05毎日)。11/29の髙野雅夫さん追悼の会の記事で髙野さんの主張をこのように紹介し、記事の見出しは 「文字は世界広げる“空気”」 であった。 71回全国夜間中学校研究大会であった夜間中学生や卒業生の主張を次のように記事で紹介していた。 「夜間中学では正解や間違いにとらわれず、学びたいという強い気持ち、明るさが教室のパワーになってい


夜間中学その日その日 (1071) 夜間中学資料情報室
萬稀さん同行活動報告(2) 2026.01.17 2025.12.05 12月5日・6日は全国夜間中学研究大会・東大阪大会。萬稀さん達と桃谷駅で待ち合わせ。近鉄八戸ノ里駅で通訳をしてくれる太平寺夜間中学(現布施夜間中学)の卒業生と一緒に意岐部夜間中学を訪問した。 時間前に到着したので、えんぴつポスターを読んだり、生徒作品を見ていただいた。その時に、同じ敷地にある意岐部東小学校の6年生の卒業作品に、原子爆弾リトルボーイの模型や、被爆直後の灰と化した平和公園の模型が置いてあった。それをみながら韓国の教科書にも載っていると、話されていた。 韓国文解教育の全国集会に参加した学習者 1時間目は習字の時間で絵馬に龍を描く。日本の風習の紹介。ネパールの生徒と英語で会話されていた。2時間目は表現。習熟度別になっている4クラスを巡りました。カードを使っての文章作りや自校で作った歌の理解を深めるなど、身近な生活に根差した事柄から文字を習得したり、表現をうまく取り入れた授業を参観させてもらった。 以前は中国残留孤児や家族が多か


夜間中学その日その日 (1070) 夜間中学資料情報室
萬稀さん同行報告(1) 髙野雅夫さん追悼の会の案内を韓国とカンボジアで文解教育を実践されている萬稀さん(元韓国文解成人基礎教育研究協議会代表)に伝えるとすぐに参加する連絡が入ってきた。追悼の会の準備に加え、11/28から12/8の来日期間、私たちが萬稀さんの文解教育に学ぶ機会の設定と準備を行うことになった。 2025.11.29 ご苦労様、参加いただいた皆様、私たち同様、年を重ねられ、かつての顔に輝きを重ねられ、参加なさいました。それにしても髙野雅夫さんの人脈の深さに改めて“髙野の雅夫威力”を再確認しました。これからまとめが大変です。 萬稀さんのスピーチ、お連れ合いの高尚哲さんによる髙野雅夫氏と文解とのつながり、韓国での髙野さんの活動紹介、お子さん・高マウム氏の供養の舞踊、22時間かけてカンボジアから駆け付けていただいた心情が参加者と共有できたと考えています。 夜間中学生や卒業生のスピーチ、大学で夜間中学との出会い、堂々とした寺田さんのスピーチに現れた強さを生みだしたものを感じ取ることができました。 2025.12.02...


夜間中学その日その日 (1069) 萬 稀
髙野雅夫さん追悼の会報告(3) 萬稀 追悼文 2026.01.03 髙野雅夫氏がお亡くなりになったこと、真っ先に伝えるべきであった。メールで連絡が取れたのは、1か月後。訃報はすでに届いていた。追悼の会を行うことを伝えると、参加するとの返事をいただいた。しばらくして、朝鮮語の追悼文が届いた。機械訳文を見てびっくりした。川瀬俊治さんから正式翻訳にはその箇所が、次のように訳されていた。 「私は文解教育を進める地位と機会の提供を受けました。しかし、世俗的な賛美の誘惑に耐えられる『髙野雅夫の“コヤシの思想”』の魂とDNAを受け継ぎ、『ダメだ!』と拒みました」 と訳されていた。重ねるように 「その人がいるか?」 咸錫憲(ハム・ソッコン)の文章が萬稀さんの気概を裏付けている。 髙野雅夫氏の想いをかくも的確に受け止め、行動されていたことに驚いた。生前、髙野さんは萬稀さんが東アジアの識字文解教育に実践されているのに、自分がとりくめていないことを悔いる発言を何度も口にされていた。私たちはこの追悼文に 『コヤシの思想』の魂とDNAを受け継ぎ と表題


夜間中学その日その日 (1068) 戸田 雅威
髙野雅夫さん追悼の会報告(3) 2026.01.01 2025年11月29日開催した髙野雅夫さん追悼の集会を多くの方の参加を得て行うことができた。髙野さんは関係者一人一人の持っている力を結集し、次の課題に取り組む機会とその方向を定める機会を私たちに与えられたんではと考えている。私たちは次の課題ととりくむ方向を定めることができた。集会で全国人権教育協議会・代表理事 戸田雅威さんは私たちの決意を髙野さんの遺影を前に語られた。(編集部) お礼のコトバ 1998年発行のあなたを記した 『タカノマサオとは何か』 に、「奈良に夜間中学をつくる会」のメンバーの一人であった落語家・露の新治さんの、あなたから教えてもらったという「三つのいましめ」の一つに、「『長』のつく人には近づかない」がある。私が、あなたと出会ったのは30年前、この間、お世話になりっぱなしの私が、昨年「全国人権教育協議会・代表理事」なる肩書を背負わされた。あなたの言う「長」との違いは分からないが。「代表理事」なる「肩書」を背負った。その私が、こうして閉会の場に


夜間中学その日その日 (1067) 夜間中学資料情報室
夜間中学新聞報道月報 2025年11月 2025.12.30 11月の新聞報道は45件。公立夜間中学の記事が7件。自主夜間中学9件。新設に向けての取り組み19件。不登校7件。投書3件。日本語学習2件。夜間中学書籍2件。 2025.11.14の毎日の記事にあった、「机友」の言葉に目が留まった。その部分を引用すると、「1990年代の台北。高校受験に失敗した小愛(シャオアイ)は、大学受験に有利だからという母親の強引な勧めで、名門『第一女子高』の夜間部に進学した。学校では、同じ机を全日制と夜間部の生徒が入れ替わりで使用する。小愛は全日制に通う成績優秀な敏敏(ミンミン)と机を共用することになった。ネットも携帯電話も広く使われていない時代。互いに机に手紙を入れたりしながら、「机友(きゆう)」つまりデスクメートという特別な友人となった。『ひとつの机、ふたつの制服』は、台湾の2部制の進学校を舞台にした甘酸っぱい青春映画だ」と続く。 日本でも小説で余寧金之助作「郵便机」がある(所収・麦書房/雨の日文庫第4集5)。この原作を映画化したのが日本大


夜間中学その日その日 (1066) 夜間中学資料情報室
髙野雅夫さん追悼の会報告(2) 萬稀さん報告 韓国の文解教育 2025.12.26 2025年12月25日は髙野さん86歳の誕生日であった。3年前のこの日、神戸学院大学髙野雅夫夜間中学資料室で開かれた研究会の後、水本浩典先生が準備された誕生日ケーキを参加者もいただいた。笑みを浮かべ口に運ばれて、花を見ても、真っ先にこれは食べれるかどうかを考えたと引揚当時のことを話されていた。 カンボジアから22時間かけて追悼の会に参加いただいた萬稀(元全国文解成人基礎教育協議会代表)は12/6の公開学習会の中で髙野雅夫さんについて次のような話をされた。 私はクリスチャンです。髙野雅夫先生とイエス様は似た点が3つあります。①誕生日が12月25日。 ②子どもの時、正規の学校に通っておられませんでしたが素晴らしい夢と知恵をもって生きてこられました。 ③非常に高く深い愛を持っておられました。自分のすべての命を疎外された人々の為に捧げられました。そして私はイエスと髙野雅夫先生の魂とDNAをもって文解の世の中の為に生きて死ぬ


夜間中学その日その日 (1065) 夜間中学卒業者の会
髙野雅夫さん追悼の会報告(1) 2025.12.20 髙野雅夫さん追悼の会を2025年11月29日開催することができた。髙野さんはいつもおるものだと思い込んでいた。亡くなること考えたことがなかったという声を何人もの方からお聞きした。 「夜間中学開設25年、さらに増設を髙野雅夫さん人権賞と出版を祝って」(1994/12/4・大阪市立菅南中学校体育館)を開催した時、出席いただきスピーチをいただいた玉本格、岩井貞雄、五島庸一、持永保、爲山喜一郎さん、井口正俊府議、田中市会議員など多くの方々が鬼籍に入られている。その訃報を聞くたび髙野さんは、「半世紀だからなぁ」と感慨深げに話されていた。 何人もの方から追悼の会開催のお声をいただいていたが、全国人権・同和教育研究大会の開催日程にあわせ、大会一日目の夕刻に開催することになった。髙野さんは研究大会に参加され、全国区で知己を得られていたこともあり、大阪に集まられる日程に合わせた。すると夜間中学在校生が参加しにくい日時ではないかとおしかりを受けた。企画の段階で言葉の意味が十分理解できな


夜間中学その日その日 (1064) 髙野雅夫
髙野雅夫さんと語る連続講座 (その2) テーマ「大阪での夜間中学開設運動とその教訓」 2025.12.13 71回全国夜間中学校研究大会(2025/12/5~6)でも分科会発表や、全体会発表「東大阪からの発信」でも髙野さんが行った夜間中学開設運動を取り上げ報告があった。が、一方では大会資料に収録された各夜間中学で執筆された「あゆみ」を見ても、当然記述されてしかるべき事項が書かれていない。一例をあげると、東京荒川九中夜間中学が学校全員で製作に取り組んだ証言映画「夜間中学生」の記述。そして、東京・江戸川区で取り組まれた夜間中学開設の市民運動と小松川二中夜間中学の開校に伴い、東京の夜間中学など6校の小中学校に新たに併設された「日本語学級」の記述がないことだ。このことは生前、髙野さんも何度も指摘していたが今回も訂正がなされていない。個々の夜間中学の問題のみならず、全国夜間中学校研究会の姿勢が問われていることではないだろうか。 今大会で東大阪市立布施・意岐部(おきべ)夜


夜間中学その日その日 (1063) 白井善吾
豊中四中夜間中学 開設50年の集い(2025/11/22) 2025.12.08 「きん こん かん こん。きん こん かん こん」。ある日の豊中夜間中学の学びの始まりを伝える合図が夜間中学生の地声で会場に流れた。会場の体育館舞台下に25名の夜間中学生・教員が4本のマイクからある日の総合学習の様子を演じる形で200名を超える参加者に普段の夜間中学の学びを報告された。私もいつの間にか教室の一員に引き入れられていた。飾ることのない、たどたどしい日本語も、入り混じり、横から入る助け舟の助言や動作も普段通り、あの間合いや言い直しは夜間中学独特で、違いや多様性を包み込んで豊かさにかえていく夜間中学の学びを報告していただいた。プログラムには総合学習発表/四中夜間在校生の発表と合唱『夢や希望とともに~学ぶことは生きること~』と書いてある。 「50年前なぜ豊中で夜間中学ができたか?」では1968年の大阪での夜間中学開設運動を受け、1973年から取り組まれた豊中の夜間中学開設運動に応えた下村輝雄市長(当時)の決断と議会承認の写真が、舞台上のスクリ-ンに映

