

夜間中学その日その日 (1086) 夜間中学資料情報室
夜間中学新聞報道月報 2026年3月 2026.04.18 3月の新聞報道は63件。新設に向けての取り組み12件。自主夜間中学の報道9件、公立夜間中学4件、夜間中学の卒業25件。テレビでは14件。 ハッとするコメントがあった。 「卒業生には『一緒に学校を作ってくれてありがとう』という気持ちと、『これからどんなことがあっても応援している』ことを伝えたい」とする校長の挨拶だ(2026.3.16NHK)。夜間中学の主人公は夜間中学生。夜間中学生と共に学校をつくっていくとのことばだと受け止めた。教育行政主導の学校はややもすると陥りがちな、学習者は「学校にあわせろ」という姿勢とは対極の考え方だ。夜間中学生も「自分のペースを尊重してくれる仲間と先生に出会えたことは、私たちにとってかけがえのない支えでした」と語っている(2026.03.24 テレビ金沢)。 私たちが韓国の識字教室を訪問した時、「(夜間中学生の皆さんは)獲得した文字とコトバでどんな社会活動をされていますか」との問いかけを受けている(2002年)。岡山自主夜間中学の実践は街頭に立


夜間中学その日その日 (1085) 夜間中学資料情報室
「髙野雅夫さんと天王寺夜間中学」で 髙野さんを語ろう 2026.04.11 天王寺夜間中学同窓会から編集部に投稿をいただきました。57回天王寺同窓会総会開催の案内とお願いです。 (編集部) 第 57回 天王寺夜間中学同窓会 総会 開催の案内 去年の同窓会で、力強いあいさつをしてくださった 髙野さんが、そのあとわずか2か月も経たずに亡くなってしまいました。あまりの驚きに声も出ませんでした。天王寺夜間中学の第1回入学式のことは、髙野さんからお聞きしたことがあります。それから30年ほどして、私は天王寺夜間中学に入学しました。あと1、2年もすれば夜間中学の校舎が壊されます。懐かしい校舎や「夜間中学生の像」を、ぜひ見にきてください。みんなで髙野さんを語り合いましょう。 天王寺夜間中学同窓会会長 吉崎なおみ 「夜間中学の原点は天王寺夜間中学にある。 守ってください」 髙野さんが私たちに残こした最後の言葉です。60年ほど前、東京の夜間中学生だった髙野雅夫さんが、「大阪にも夜間中学


夜間中学その日その日 (1084) 夜間中学資料情報室
71回全夜中研大会記録誌 (2) 2026.04.04 夜間中学資料集、記録誌に夜間中学の詳細な実態統計が収録されている。文部省はそれまでの方針を改め、夜間中学の存在を認め、実態把握のために調査研究費用を予算化し各夜間中学や夜間中学設置行政に報告を求める方針に切り替えた「夜間中学に“春”やっと 文部省が『認知』へ 1972年度実態調査にのりだす」(毎日新聞1971.3.29)。 これに対し、さしたる教育行政責任を果たさず、居ながらにして実態報告を手にする、この手法に協力できないとする夜間中学現場もあった。 このような経緯で全夜中研の統計資料は文部省が乗り出す以前から記録されてきた統計資料である。筆者も最初に事務局を担当した時、各夜間中学から締切日までに、届くことはなく、催促の連絡をしながら、電卓をたたいて統計資料の版下を作成した経験がある。大会が終わって、実態分析を行うことが多かった。各現場はそれどころではない条件下、とりくまれていたのかもしれない。 今日のようにエクセルの表計算で何種類の統計を連動させる処理を行っても誤りができてし


夜間中学その日その日 (1083) 夜間中学資料情報室
71回全夜中研大会記録誌 (1) 2026.03.28 全夜中研記録誌が届いた。B5からA4版と紙型が変わり、学校数も35校から62校と増え、しかし、大会日程は従前どおりで、62校の夜間中学の交流促進を進めていくことは大変であることは重々承知しているがとりくみをお願いしたい。大会企画から準備を担当する事務局は、授業持ち時間は軽減されることなく、ご苦労いただいていることは変わりないし、任務は増えることがあっても減ることはない。 出張も広域で、その交通費は自腹でということになっていないか心配だ。というのも、研究大会の報告者になっている方の出席がなく、紙面報告や著者とは別の方が報告する扱いが東京からの報告で何件かあった。 1日目の夜間、10校の夜間中学で学校公開があり、161名の参加があった。 不断どおりの授業見学や夜間中学生との交流が各校実施された。1日目の大会終了後、教員や夜間中学生は学校に戻り、そのプログラムを実施し、交流のあと二日目の大会に備える。分担をしてるとはいえ、そのご苦労は大変である。 各夜間中学、大会資料集や記録


夜間中学その日その日 (1082) 夜間中学資料情報室
夜間中学新聞報道月報 2026年2月 2026.03.21 2月の新聞報道は27件。公立夜間中学の記事が4件。新設に向けての取り組み7件。外国籍の人たちの日本語指導に関する報道が6件。排外を乗り越え、共生の実践をめざす報告である。 新渡日外国人の夜間中学生とどんな学びを追求するか、一言で言うと「外国人労働者としての自覚をもって社会参加をする力を獲得する」「労働者としての権利を主張し行動できる力を獲得できる学びの中身の創造」と『生きる 闘う 学ぶ』(399㌻)で書いたが、日本で生活するようになった学習者が夜間中学で学ぶ第一の目的はまず日本語の「読む、聞く、話す」の力を獲得しなければという切羽詰まった課題を解決することだ。従って卒業できるまでじっくり時間をかけて学ぶということは置かれている状況が許されない。このことは一度夜間中学に入学し、生活のためやむを得ず退学、子育てを終え、これからは「私の時間」と再入学する夜間中学生に何人も出会っていることからもわかる。 夜間中学生の問題だけではない。夜間中学の学習条件が劣悪で、免許外教


夜間中学その日その日 (1081) 夜間中学卒業者の会
追悼のつどい報告 2026.03.15 夜間中学卒業者の会は髙野雅夫さん追悼のつどい(2026.11.29)の記録誌の編集を行っている。萬稀さんが1996年ソウル近郊の安養市で、安養市民大学(識字学級)の開校を知らせるポスターを二人で貼って回ったと私たちに説明された。もう一人はどなたですかとたずねると、娘 高マウィを背負って貼って回りましたと説明があった。髙野雅夫さん追悼のつどいの案内をすると、 萬稀・高尚哲・高マウィさん親子3名が、カンボジア、韓国から駆け付けていただいた。熱い心が髙野さんに届いたはずだ。 当日持参された下の文は記録誌に収録したいと考えている。私たちは高マウィさんの文中にあった「積極的に社会の変化のための心を持った私を見て 喜んでいた髙野おじいちゃん」を題に付けさせていただいた。(編集部) 積極的に社会の変化のための心を持った私を見て 喜んでいた髙野おじいちゃん 高マウィ こんばんは。マンヒ、コ・サンチョルの娘です。ありがとう


夜間中学その日その日 (1080) 白井善吾
夜間中学が果たす役割 2026.03.07 大阪府庁内で教育常任委員会に橋下徹知事(当時)の出席を求め、委員会で夜間中学の補食給食、就学援助の府補助を廃止すると主張する知事に梯(かけはし)府議が討論を行った日、午前の傍聴を終え、夜間中学生の願いに理解のないどこかの国の“王様”みたいな知事の答弁に怒りを抱えたまま、夜間中学に戻り、卒業式の会場設営をしていた。 共同作品を掲示するため脚立にまたがり、作業をしていた時だ。一瞬めまいの症状が出たのかと体を緊張させ、壁を押さえた。長周期の振動が長く続いた。「大きな地震や!」。作業を中断し職員室に戻り、テレビ画面にみいった。東日本大震災の発生だ。2011.3.11発生から15年が経過する。 1987年、昼の中学から、夜間中学に転勤希望を出した時、同僚から「青い鳥はここにもいる」といわれた。返す言葉はなかった。 夜間中学で先輩にまなび、夜間中学生に向き合い、とりくみを進めると夜間中学が今の社会で果たしている役割が視えてきた。“法律にない夜間中学がそれでも存在し続けて


夜間中学その日その日 号外(1079)夜間中学卒業者の会
神戸学院大学髙野雅夫夜間中学資料室報道記事 2026.03.03 首都圏在住の方から、次のメールが入ってきた。「今日の、朝日の夕刊で大きな記事を読みました。 たいへん、ご苦労さまです。写真にも見入りました。こちらは、忙しい日々が続いています。どうかお元気で」 この記事は全国紙に掲載されたのだ。ありがたい連絡である。 以前は、紙面が各本社版で異なっており、特色のあるこだわりの記事が掲載され紙面で読むことが楽しかった。デジタル版が普及し、画面で見る人が多くなったのか、各本社版、独自の紙面が少なくなり、全国共通の紙面になってしまったのは寂しい。 デジタル版では写真も文字数も多く、紙面版はそれが圧縮され掲載写真、文字数も少なくなる。2026.2.21のデジタル版(夜間中学その日その日 1077で紹介)は 写真数5枚、2,350字、見出しは 「元夜間中学生が残した4トン車満杯の資料 永山則夫元死刑囚の手紙も」 であった。 2026.03.02夕刊掲載版は写真3枚 1,579字、見出しは「夜間中学の歩み、詰まる100箱 意義訴えた高野雅夫さんが収


夜間中学その日その日 (1078) 白井善吾
永山則夫と髙野雅夫 2026.02.28 朝日新聞のデジタル版 「元夜間中学生が残した4トン車満杯の資料 永山則夫元死刑囚の手紙も」( 2026年2月21日 )を読まれた方から、髙野さんと永山則夫、知り合いだったんですか?との問い合わせがあった。 私が夜間中学に赴任した時、図書室に永山則夫の著書『無知の涙』、『人民をわすれたカナリアたち』、『動揺記1』 が何冊かあった。これは獄中の永山から夜間中学生に読んでもらおうと、髙野さんから届けられた書籍だと説明を受けた。 髙野さんが東京を立ち、大阪に向かったその日、1968.10.11の早朝、東京・品川のプリンスホテルでガードマン・中村さんが殺害された。事件が起こったことは大阪に着くまで髙野さんは知らなかった。函館の殺人事件の報道があった、1968.11.13のわらじ通信に次のように記し、投函している。 「広域重要事件」108号 東京―京都―函館―名古屋とピストルで4人射殺した犯人は…京都の警備員が死ぬ前『17~8の少年だ』といった。今頃どこで、どんな思いで


夜間中学その日その日 (1077)号外 夜間中学資料情報室
朝日新聞デジタル版 2026.2.21 神戸学院大学 髙野雅夫夜間中学資料室の紹介の報道があった。追って紙面掲載があると思います。度紹介します。写真がアップできません、ご了解ください。(編集部) 元夜間中学生が残した4トン車満杯の資料 永山則夫元死刑囚の手紙も 朝日新聞2026年2月21日 7時00分 永田豊隆 さまざまな事情で義務教育を受けられなかった人たちが学ぶ夜間中学。その歴史を示す膨大な資料が、神戸学院大学(神戸市西区)で整理が進んでいる。 夜間中学出身で、自らその意義を訴えた故髙野雅夫さんが60年以上かけて収集したガリ版刷りのレジュメやフィルムなどで、19歳の時にピストルで4人を殺害した永山則夫・元死刑囚(1997年死刑執行)からの手紙もある。 写真 大阪府庁前の髙野雅夫 髙野雅夫さん=2016年、白井善吾さん提供 校舎の一角にある2部屋。同大名誉教授(史料学)の水本浩典さん(76)は、天井近くまで積まれた資料を見上げて感嘆する。...

