夜間中学その日その日 (1050) 夜間中学資料情報室
- journalistworld0
- 7 日前
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第44回夜間中学増設運動全国交流集会(山口) その2 2025.09.20
公立夜間中学に転勤となった1987年、第6回夜間中学増設運動全国交流集会から今回迄39回参加している。一泊二日の日程だから、これまで39泊78日ということになる。夜間中学増設運動にかかわる、様々な人たちが自由意思で参加するこの集会の持つ意味は大きい。夜間中学増設運動のその時々の課題を抱えて、集まり、ともに悩み、語る中で多くのヒントや解決の糸口をお教えいただいてきた。

この集会開催の経緯と意義を次のように記述し確認することにしている。
夜間中学増設運動全国交流集会は次のような経緯で1982年8月発足した。関東では川崎市で1976年10月、千葉県市川市で同じ10月、市民による自主夜間中学が活動を開始した。関西では奈良市で「うどん学校」が同年9月、奈良県天理市で1979年3月、京都府宇治市で同6月、公立化を目標に自主夜間中学が活動を開始した。そして奈良市(1978年)、天理市(1981年)、市川市(1982年)、川崎市(1982年)に公立の夜間中学を実現させた。これらの取り組みの経験を交流し、夜間中学の開設を進めることを目指して、関東、関西の中間地点、静岡県磐田郡福田町豊浜の国民宿舎遠州ふくで荘で1982年8月第1回全国交流集会が開催された。
夜間中学増設運動全国交流集会では交流の成果をまとめ、発信している。1985年の第4回夜間中学増設運動全国交流集会では兵庫県尼崎市の夜間中学・琴城分校で教育委員会が行った強制卒業を論議し、「夜間中学の増設と、夜間中学生の立場に立った学校運営を求めるアピール」を採択している。
夜間中学増設運動全国交流集会では交流の成果をまとめ、出版も行った。『ザ・夜間中学-文字を返せ 170万人の叫び-』(開窓社1986年)。『文字はいのちや 学校はたからや』(開窓社1990年)。『勉強がしたい 学校がほしい-ザ・夜間中学-』(宇多出版企画1994年)。『新編文字はいのちや 学校はたからや』(開窓社1997年)の4冊を数える。各地域の粘り強い夜間中学の市民運動を交流し、元気を確かめ合い、夜間中学増設運動をリードしてきた。

開催地も静岡県内(浜松・舞阪・沼津・伊豆長岡)、愛知県(瀬戸・岡崎・蒲郡)、長野県(箕輪)、奈良市、松戸市、川口市、岡山市、高知市、名古屋市、そして山口市。
公営の宿泊施設を見つけ出し、手配・案内でご苦労おかけしたのは、檀上啓治・関東代表であった。メーリングリストもなく、連絡手段は郵便と固定電話で、参加者人数も当日になるまでわからない。檀上さんには大変な負担をかけてしまった。各組織の担当者は担当者で学習者の参加を最大限求めるため、直前まで人数把握ができない事情がある。今回の案内チラシも檀上さん作成のデーターが活躍している。
夜間中学増設運動全国交流集会では大切にしてきていることがある。それは自主夜間中学で学んでいる人たちが主役となる集会でスタッフや教員は裏方に徹するという考え方で運営されてきた。学習者が発表途中で言葉に詰まっても、ひたすら次のコトバが出てくるのを待つという場面が何度もあった。しびれを切らしてスタッフが助け舟を出そうとするのを、関西の代表を長く勤めていただいた岩井好子さんは、「ここは先生の集まりやない。教師コトバを使っても、この子らはわからへん。そんな話はほかでやれ‼」と制止した。そして長い沈黙を経て発表を終えた学習者に参加者は熱い拍手を送った。うれしかったこと、腹が立ったこと、学校へ行っていた時の出来事、じっと耳を傾け、ひたすら聞くことに徹する。そんな場面であった。全国から駆け付けたスタッフの情報交流の場面は小グループの深夜の話し合いになったこともある。
2023年の42回交流集会(高知)に参加していた髙野さんは学習者と教員・スタッフの分科会に分かれ、全体集会で学習者の発表と報告が十分行われなかった集会運営に抗議して、全体の写真撮影には参加しなかった。夜間中学の主人公は夜間中学生。夜間中学の卒業生であることを最高の誇りにとしてきた髙野さんとして許すことができなかった。「先生は邪魔をするな、生徒一人一人、力を持っている。それを信じてほしい。何も言えなかった経験は次につながる」。ある集会では、髙野さんは教員を会場に入れなかった。夜間中学生に髙野さんが加わった話し合いになった。
44回の集会では学習者の分科会の様子は「いいあす京都」の小倉さんから学習者交流会 報告書が公表された。「学習者12名、およびスタッフ3名による自己紹介の後、それぞれが自主夜間中学などに通うきっかけや、学びに対する思いを発表した。発表は多様な背景と経験に基づいたもので、参加者同士が深く共感し合い、交流を深める場となった」と記述されている。
次回に向けいくつか希望することを書く。高知の集会に続いて夜間中学運動を理解し共闘する組織として、山口県人権教育研究組織の参加をいただいた。今後の交流集会の方向性を示す取り組みではないだろうか。「いいあす京都」から参加された二人の小学生の今後の姿に期待したい。「公立」と「自主」の連携の内容が深めたかった。公立夜間中学のとりくみに自主夜間中学からの“視点”が生かされた内容についての報告である。
夜間中学資料情報室は『松戸自主夜間中学ニュース復刻版「40年の歴史」』1420㌻の寄贈を受けた。全国交流集会に参加されたなつかしい方々の文章が収録されている。そして公立夜間中学の開設を求める市民運動の40年にわたる貴重な記録である。
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