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夜間中学その日その日 (1044)   砦通信編集委員会

  • journalistworld0
  • 1 時間前
  • 読了時間: 4分

  社会が世界が見えるようになること(9)     2025.08.09

1990 國際識字年10年に

世界には10億人の仲間たちが“文字とコトバを”―学ぶ場を奪われている ‼ と公表した。その80%はアジア、アフリカの子どもと女性たちだ ‼ 2000年までにそれをゼロにする ‼ という崇高な理念も泡と消え2003年更に國連識字10年に打ち上げた花火も空しく―2012年以後、誰も、何処も人類最大のロマンを口にしない。この地球上にたったひとりでも文字とコトバを―学ぶ場を奪われてきる仲間たちがいる限り、俺たち夜間中学生は叫び続ける ‼ 

 生きる権利学ぶ権利がすべてに優先する ‼ と―

 自立― 자립 ―KUJITEGEMEA ‼ 

アジアへ世界へ―10億人の仲間たちへ ‼

―髙野さんは自筆年譜(1990/6/29)で「東京での反原発集会のロビーで『本が読めねえから本が欲しいんだ』と叫んだ熊本のおばさんに新たな生命を与えられた」として、1990/8/10日教組教育会館で開催された国際識字年の集会で「国際識字元年 再び“敗者復活戦”リングへ 再び“水平社宣言”への限りなき挑戦」だとして、舞台に立たれました。

髙野:熊本のおばさんとの出会いを正確に言っておきますが、反原発の集会が終わって、一人のおばさんが、本売りをしていたおれたちの前に立ち止まりました。「おばさん、この『ヒストリ-ズラン』は10代の子どもたちがアルバイトをしながら作っています。1時間800円で1日働けば6400円になるんです」と話した途端、そのおばさんは「おら、熊本から来たんだけど、熊本じゃ大の大人が1日日雇に行っても5千円にもならねえ。そこでバッジやティシャツをいっぱい売っているけども、おら、汽車賃が精一杯で本が買えねえ。おら、本が読めねえから本がほしいんだ」と涙をボロボロ流しながら、「東京の人間は口ばっかしだ」と言って、持っていた資料類を叩きつけました。「東京の人間は口ばっかしだ」と言われたとき、かつて俺たちが夜間中学の教師に「先公。てめえら、口ばっかしじゃねえか。くやしかったら、給料分やってみろ」と叫び続けたことがよみがえり、俺たち自身の心臓に返ってきた。


―髙野さんは「俺たちはこういう場所で喋ることを14年間やめていました。正確に言うと喋れませんでした」といい、「おばさんの一言に応えるためにも、俺たちの生きてきた生きざまを喋る」という髙野さんの話に、私は集会の係の仕事を忘れ、くぎ付けになっていました。後で、日教組の担当者から、髙野さんの話に聞き入っている私の姿を見て、髙野さんに講演を依頼してよかったといわれました。髙野さんの講演は『部落解放』(1990年11月号)に掲載された。この後髙野さんは、近畿夜間中学校生徒会連合会や各夜間中学で“髙野先輩の授業”をされました。

髙野:俺たちが考えている「文字とコトバ」と各夜間中学の授業を参観し「文字とコトバ」について議論をしたいと思ったからです。夜間中学を訪ねていって、廊下を歩いていると生徒から「髙野先生」、「神様」と声がかかる。私は先生ではない。私は皆と同じ夜間中学で学んだ卒業生だ。髙野先生と言ったら罰金だと言うこともありました。ある夜間中学生から手紙をもらいました。「私が一番会いたいと思っていた人は髙野雅夫さんです。髙野さんがなんでこんな学校をつくったのか、いくら考えてもわかりません」と書いてありました。


―1990年国際識字年を境に夜間中学は夜間中学以外の識字の仲間とのつながりが拡がりました。教室を出て識字年の行事に参加する。様々な意見を聞いて帰ってくる。世界がどんどん広がってくる。夜間中学の授業も変革が余儀なくなる。国内だけでなく国外の識字の仲間とのつながりが生まれてきました。髙野さんが韓国に語学留学され、韓国の識字教室を訪問、日本の夜間中学生と韓国の識字教室で学ぶ人たちとの交流を夜間中学に提起された。この展開は、夜間中学に大きな変革を求めることになる提起でした。髙野さんの夜間中学資料の中に、留学中、訪ねられたところの写真が収蔵されています。韓国ソウル近郊の安養市民大学の萬稀さんとの出会いは留学中のことですか

髙野:ソウル市内の奉天洞(ポンチョンドン)の識字教室でも勉強していました。そこで紹介されて、安養市民大学を訪ねていきました。萬稀さんから「文解(ムネ)教育」の説明を受けました。俺たちが言っている「武器になる文字とコトバ」につながる考え方の説明でした。

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―私たちも訪問した時、日本で識字と同じ意味で朝鮮語で「文解(ムネ)」と言っている。「文字を解するだけではなく、文化を理解し文化的に疎外されてきた状態から自らを解放することだ」と説明を受けた時、夜間中学生も「文解」のほうがピタッと来ると言って理解出来ました。

―2002年から始まった相互訪問交流は12回を数えます。2008年3月29日、日韓文解/夜間中学 学習者交流集会で「交流集会宣言」を採択しました。

髙野:現在、萬稀さんたちはカンボジアで識字の実践をされている。「アジアへ世界へ―10億人の仲間たちへ」 「出逢いは歴史(いのち)を創る」 と記した、「交流集会宣言」を実行されています。

 
 
 

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