夜間中学その日その日 (1043) 砦通信編集委員会
- journalistworld0
- 8月2日
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社会が世界が見えるようになること(8) 2025.08.02
―髙野さんは「それは偶然でない、必然なんです」と表現される場面に私たちは出くわすことが何度もありました。たまたま起こったんではない、起こる必然があるから起こったんだという意味ですが、証言映画「夜間中学生」を製作してこれをもって全国行脚をする、上映活動をしようという考えは最初からあったんですか?
髙野:最初からはっきりあったわけではありません。行政管理庁が夜間中学早期廃止勧告をだし、映画の製作を決心しました。どうしても作りたい、作らないではおれない怒りがわれわれをかりたて、走りださせた。学校、職場、家庭―三つの顔を通して、夜間中学生の24時間を映像で訴えたいと考えました。塚原先生がカメラを回し、俺がデンスケ(旧式携帯用録音機)を担ぎ、生徒がタイトルを書き、生徒一人一人が心の傷をぶちまけた。荒川九中で出来上がったフィルムの完成試写会をし、この「フィルムをかついで日本中まわりたい」と決意しました。

―まず北からということで北海道に向われたのですか?
髙野:夜間中学生の撮影しているとき、札幌工業高校定時制の生徒会が東京への修学旅行で荒川九中を訪問された。「東京には夜学ぶ夜間中学があるそうな、夜学ぶ生徒同志ぜひ訪問したい」と生徒会役員が7~8人来られた。映画完成したら、「北海道に来て、各地の定時制高校で上映してください」と約束したので、札幌に向かいました。札幌工業高校定時制生徒会を連絡先に、上映活動をおこないました。
―夜間中学資料整理をしていた時、連絡先の札幌工業高校定時制生徒会に届いた手紙が保存されていました。その中に、近くに来られることがあったら、お寄り願いないかという新聞報道で知った先生からの手紙でした。函館から江差へ、そこからバスで1時間ほどかかる小砂子までの行き方が絵入りで示されていました。髙野さんはここを訪問されている。
髙野:そうです。バスがなくなって、海岸沿いの道を松前のほうへフィルムをもって歩きました。16ミリの映写機がなく、上映できなかったが、話し合いをして、夜また先生宅に集まってきた子どもたちと話し合いが続いた。
―“わらじ通信”(1967.10.12)は特に印象的です。出会いを大切に、その出会いがつぎの展開を生んでいく、必然の出会いだと思います。青森・北海道54日の行動のまとめをわらじ通信10/28で髙野さんは次のように書いています。
「証言映画『夜間中学生』を担いでの行脚の旅は、社会の表裏や人間の心を痛い程思い知らされる。教育者という仮面の中で保身にキュキュウする人間の愚かな姿―教育に、人間に、若者に対する一片の誠意や情熱もない―ただあるのは小市民的な生活を守る自衛本能だけだ。(中略)俺が54日間この眼で、この耳で確かめたかった現実はまさに血みどろになった苛酷な事実であった。俺は、俺たち夜間中学生は―日本人、ひとり、ひとりは何をなすべきか?時代遅れの教育者を相手にするな―教科書を捨てろ―そして学校をとびだせ―自分の眼で現実を見ろ―しっかり顔を、心を開いてみろ―教科書には書いていない現実がいっぱいあるのだ―信じられないような、ありえないような事実がいっぱいあるのだ―その現実のど真ん中で―教師と、友と、徹底的に対話を続けてみろ―納得がいくまで―本当に信じられるまで―それがほんとうの教育だ―人間同志の信頼と連帯だ。それ以外の教育は―友情は―信頼は―みんな嘘っぱちだ‥」
今も髙野さんから「お前はどこにたっているのか?」突き付けられていることです。
証言映画「夜間中学生」全國行脚・上映回数 ★青森・北海道の54日(1967.9.5~10.28) 上映 参加 文集 41回 5,589人 837冊 ★岡山の72日(1967.11.6~‘68.1.24) 47回 10,173人 884冊 ★京都の106日(1968.2.6~5.21) 32回 3,282人 412冊 ★大阪の214日(1968.10.11~‘69.6.8) 109回 10,305人 757冊 合計 446日 229回 19,349人 2,890冊 ★ 御協力頂いた皆様に感謝 ‼ |
必然の連鎖が次のステージの準備とつながっていく、この数字の背景を確認していく。わらじ通信の記述は58年後の現在、ますます輝きを増している。この取り組みがなければ、夜間中学は現在、存在することはなかったと識者が語る意味を考えたい。
―大阪市に天王寺夜間中学の開校を決断させる446日に及ぶ闘いは、必然が必然を生む壮大な取り組みの積み上げから必然的に到達できた。にもかかわらず、その天王寺・文の里夜間中学の廃校をさせてしまったいま、私たちは決して看過しない、行動し続けることが次の必然を生みだすはずである。
髙野:夜間中学は人間としての誇りと権利を奪い返す闘いの場であり、自らに問い続ける闘いの場であると確信しています。
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