

夜間中学その日その日 (1102) 夜間中学資料情報室
髙野雅夫夜間中学資料室 第1回講演会(その5) 2026.7.17 萬稀さんの問いかけに61名の出席者から応答があった。筆者の学生時代を想い返しても、問いかけにこのように応答ができただろうか。とったメモをもとに、組み立てを考え、鉛筆と消しゴムをもって、書いては消しを繰り返しながら書くことが多かった。パワーポイントで投影される画面をスマホのカメラで写し、それを参照しながらキーボードを叩いてレポートを仕上げられたと想像する。あの時の萬稀さん、髙野さんとの出会いが生き方に大きな影響を受ける出会いであったと語る人たちが生まれてるかも、応答を紹介する。 ・今日の1時間半の講義は今後の活動を考えていく上でとても重要な時間となりました。 ・「나」という「私」を表す字を初めて習って、自分が人間になれたんだ実感する所です。 ・髙野雅夫さんの歩みからは、かつて知識人が命を落とした「Killing field(殺戮の場)」に対し、夜間中学などの学びの場を「Living field → Learningの場」へと変え、文字を「武器」として、また「自分にとって大切


夜間中学その日その日 (1101) 夜間中学資料情報室
髙野雅夫夜間中学資料室 第1回講演会(その4) 2026.7.11 萬稀さんは「『韓日文解学習者共同宣言文』の趣旨は、韓国と日本の文解学習者の連帯を通じて、アジアとアフリカの多くの第三世界の『文解学習権』保障のための支援と連帯を宣言したこと。そして「宣言が実現できるように、夜間中学の学習者の皆さんと先生たちは日韓交流やさまざまな努力をしてきました。私もあの日の約束を神聖な重荷として抱えながら過ごしていたところ、偶然カンボジアを訪れることになり、戦争と貧困で学ぶ機会を持てなかった大多数のカンボジアの人々を見て、あの日の約束を守る時が来たことに気づき…」と今回も講演でこのように話された。 東アジアの識字文解活動の連帯を実践されていることを、生前髙野さんは、這ってでもカンボジアへ行って、とりくみたいがあの気候の中で、かえって迷惑をかけると何度も語っておられた。 2008年の『韓日文解学習者共同宣言』は韓国と日本を超えて第三世界へ文解教育運動を広げようという約束です。2011年、カンボジア政府から萬稀さんの母校・梨花女子大学校にカンボジアの文


夜間中学その日その日 (1100) 夜間中学資料情報室
髙野雅夫さん逝去1年記念の集い 2026.7.9 2025年7月26日、髙野雅夫さんは亡くなられた。時の経つのは本当に早い。1年を迎えるにあたって、神戸学院大学 髙野雅夫夜間中学資料室に唯一保存された、証言映画「夜間中学生」の16mmフィルムを映写機で投影し、髙野さんについて、証言映画について語り合う集いを企画しました。 母校荒川九中の夜間中学生、在校生、卒業生、教員が一つになって完成させた映画です。髙野さんはその映画を背に、446日の全国行脚と上映活動を行い、天王寺夜間中学開校を実現しました。60年の月日が経過する現在、改めて映画が訴えている想いを語り合いたい。 同時上映は1990年国際識字年の年に、私たちの要望を受け大阪府教育委員会が制作した「夜間学級はわたしの夢」。暑い夏の夜。皆様の参加を呼びかけます。 髙野雅夫さん逝去1年記念の集い 証言映画『夜間中学生』・『夜間学級はわたしの夢』鑑賞 リレートーク「髙野さんへの私たちの応答」 2026年7月26日(日) 午後6時~9時半終了 ところ 東大阪市立


夜間中学その日その日 (1099) 夜間中学資料情報室
髙野雅夫夜間中学資料室 第1回講演会(その3) 萬稀 「カンボジアの小さな村から」 2026.07.04 萬稀さんは6月13日帰国された。『生きる 闘う 学ぶ』に寄稿いただいた萬稀さんの朝鮮語の文章を編集部は読み返した。執筆時期は2018年12月。2026年6月の公開講演会も記録映像をベースにパワーポイントも入念に準備いただいたように、この寄稿文も夜間中学への大切な提起をいただいている。日常に埋没し、理由をつけてそれを正当化しがちな夜間中学現場の姿勢に大きな危惧を指摘されているのではないだろうか。義務教育機会確保法がもたらす夜間中学の危機を2018年12月時点で夜間中学に提起されていることに注目したい。天王寺文の里夜間中学の存続ができていない現状の中、2026年6月の訪問は夜間中学の側が萬稀さんの問いかけに応える順番であった。反省を込め、2018年12月の萬稀さんの夜間中学への問いかけを再掲する。講演の紹介記事の途中であるが理解を深めるため、紹介する。訳文のため、私たちが普段用いる語彙と異なるものが入っていること、ご容赦いただきた


夜間中学その日その日 (1098) 夜間中学資料情報室
夜間中学新聞報道月報 2026年5月 2026.06.27 5月の新聞報道は40件。新設に向けての取り組み5件、自主夜間中学の報道2件、公立夜間中学9件、夜間中学の日本語 5件、「星の教室」の映画化4件。テレビでは10件。 「異なる道を歩んできた人のことを知りたい」夜間・なごやか中、市民らが日本語指導や教科サポート(中日新聞 2026年5月29日) 「市民らによるボランティア“うぃず☆ゆ~サポーター”が活躍している。外国籍の生徒に日本語を指導するほか、教科の学びをサポートする学校独自の取り組みだ。教員OBや大学生、会社員ら多様なメンバーが学校運営を支えている」。 夜間中学の授業をどんな内容で組み立てるか、筆者の場合いつまでも悩み続け、試行錯誤を繰り返してきた。しかし、得た一つの答えは「夜間中学生の持っている力を授業で活用させていただく」つまり、その日の授業の先生は「夜間中学生」に務めていただいて、教員も他の夜間中学生も“生徒”になるこの手法を『夜間中学からの「かくめい」』と名付けた。名古屋のなごやか夜間中学のとりくみは夜間


夜間中学その日その日 (1097) 夜間中学資料情報室
髙野雅夫夜間中学資料室 第1回講演会(その2) 2026.06.20 日韓識字文解交流に参加された韓国文解教室の学習者 金ジェスクさんのメッセージが収録されていた。金さんは卒業後、学校の指導者となり、韓国生涯学習法改正運動の先頭に立ち青瓦台での集会でスピーチをされた方だ。 こんにちは、私は韓国・永月(ヨンウォル)に住んでいます。名前は金ジェスクです。遅ればせながら文解教室を知って通い、勉強し、文字を一つずつ学びながら理解できるようになりました。髙野雅夫先生が天国へ行かれたと聞いて驚きました。多くの苦労をされたでしょうが、天国へ行かれて、どうか安らかにお過ごしください。髙野雅夫先生がいらっしゃったから、私たちは目を開けることができました。文字を学びたかったのですが、学ぶことができて本当に感謝しています。本当に光栄に思い感謝しています。文解教室に数年通ったあと、5泊6日の日程で日本を訪問、夜間中学の皆さんと交流しました。たくさんの先生方皆さんにお会いし多くのことを学びました。 韓国では今、こうした文解学校が非常に多くの人たちが学べるとこ


夜間中学その日その日 (1096) 夜間中学資料情報室
髙野雅夫夜間中学資料室 第1回講演会(その1) 2026.06.13 神戸学院大学 髙野雅夫夜間中学資料室第1回講演会が2026年6月6日、神戸学院大学有瀬キャンパスで開催された。私たちが“韓国の髙野雅夫”と呼んでいる萬稀(マンフィ)さん〈元韓国文解成人基礎教育協議会代表〉をお招きして、「社会の平等は、教育の平等から―髙野雅夫さんと萬稀さんの出会いが切り拓く新たな地平―」と題して講演をいただいた。通訳は金洋見さん。 100名を超える参加者は、大学生、卒業生、教員のほか近畿を中心に福島からも参加があった。 夜間中学・識字・文解・髙野雅夫・夜間中学資料・カンボジアの識字活動がキーワ-ズでスクリーンに映し出される映像を織り交ぜ、参加者も講演に参加する進行が注目される展開であった。 スクリ-ンには石に何かを刻み付けている石器時代の人の絵を映し出し、隣でそれを見守っている人との会話を次のように説明された。 「あなたは何をしていますか?」そうすると、「私はいま文字を発明しています」すると「隣の人は何と答えただろう?」と出席者に質問された。...


夜間中学その日その日 (1095) 夜間中学資料情報室
機関誌「髙野雅夫にまなぶ」創刊号発行 2026.06.04 髙野雅夫夜間中学資料室の機関誌「髙野雅夫にまなぶ」創刊号が完成しました。 2019年3月末、髙野雅夫さんが長年蒐集し保存されてきた膨大な夜間中学関係資料が神戸学院大学に一時的な避難場所として選ばれ、搬入されてきました。「髙野雅夫夜間中学資料室」の活動はこの時から始まります。髙野さんは、一時的な避難場所だった神戸学院大学を自分が保持し続けてきた夜間中学関係資料の安住の地と考えられ、以来、髙野さんは、多くの学生たちや卒業生たち、志を同じくする方々とともに、資料整理作業をお亡くなりになる半年前まで続けてこられました。 終生、非公開とされてきた夜間中学関係資料は、髙野さんの「文字とコトバを奪い返す」ためのさまざまな活動の証であり、そして、全国の夜間中学生の学びと自立を知ることができる貴重な記録です。 大阪人権博物館72回特別展「夜間中学生」 2017.11 髙野雅夫さんが亡くなられてまもなく1年を迎えます。生前、髙野さんはこの夜間中学資料を活用して、夜間中学の明日を指し示す取り


夜間中学その日その日 (1094) 夜間中学資料情報室
髙野雅夫 夜間中学資料と 神戸学院大学 (下) 2026.06.01 髙野さんとの会話で、私たちが「偶然」と表現したとき、違う、偶然ではない、それは必然があったからだと髙野さんが発言することが何度もあった。髙野雅夫夜間中学資料が神戸学院大学に行くとき、行く必然があったからだと髙野さんは言った。 一人のゼミ生が頑なな髙野さんの心を動かしたと書いたがそれだけだろうか? 神戸学院大学の創立の経緯を大学のHPで調べ、設立者・森わささんについて水本浩典先生に尋ねた。(編集部) 「学校法人神戸学院の前身に当たる学校法人神戸森学園の校祖・森わさ先生と髙野雅夫氏が連なる『必然』」 の一文が届いた。 学校法人・神戸学院の校祖である森わさ先生は、苦労されて学ばれ、後、神戸の夜学校で教育者の道に歩まれることになる。 息子茂樹さんは、京都大学医学部教授、後、山口大学学長にも就任されている。 1912年(明治45年)1月23日、現在の学校法人神戸学院の前身に当たる私立森裁縫女学校を開設した。森裁縫女学校の校訓のひとつに、「自治勤労」が


夜間中学その日その日 (1093) 夜間中学資料情報室
髙野雅夫 夜間中学資料と 神戸学院大学(上) 2026.05.30 新聞記事 「夜間中学の歩み詰まる100箱 意義訴えた髙野雅夫さんが収集 授業記録や元死刑囚の手紙『貴重資料』」(2026.3.2 朝日新聞夕刊)の報道があったとき、髙野さんの開設運動がきっかけで、大きな教育運動となり、天王寺夜間中学が開設されたのに、大阪の夜間中学で資料室をつくるということをどうしてされなかったのですか?そんな問いかけが何人もの方から、私たちにあった。 私たちも全く同意見で、その方向で関係者にも働きかけを行ってきた。もちろん髙野さんもそれを望まれ、大阪に居を構えられた2015年からそれを追求されていた。大阪人権博物館 「リバティーおおさか」で特別展「夜間中学生展」の開催が実現したときも、夜間中学資料の活用拠点の開設を目標とされていた。 しかし、関係者や関係組織に働きかけを行ったが大阪で開設をすることは実現しなかった。私たちの折衝状況を詳細に聞きながら、髙野さん自身も可能性を追求しておられたが、夜間中学の移転により、退去期限が迫る中で、夜間中学の

