

夜間中学その日その日 (1092) 夜間中学資料情報室
深夜が項に泊まり込んで映画の編集をする髙野さん 夜間中学新聞報道月報 2026年4月 2026.05.23 4月の新聞報道は70件。新設に向けての取り組み7件。自主夜間中学の報道4件、公立夜間中学11件、新設夜間中学の入学12件。テレビでは18件。 夜間中学に入学して、続けて出席することが困難になり、学校から遠ざかる、夜間中学でも長欠になってしまう。夜間中学の学びに失望を抱く実態はないか。厳しい相互点検ができる現場であるかどうか。夜間中学生は様々な問題を抱え、夜間中学に通っておられる。休みがちになる夜間中学生の家庭や職場を尋ね、通学が困難になる問題を一つひとつ解決する取り組みが必要になる。 夜間中学を卒業した髙野さんは、仕事がないとき、母校荒川九中を尋ね、家庭訪問をする先生と一緒に夜間中学生の職場や家庭に足を運び、夜間中学生ひとり一人の24時間の姿をつぶさに知り、夜間中学生の家庭・職場・学校の姿を映像に収めた証言映画「夜間中学生」を完成させた。カメラは塚原雄太先生、音声は髙野さんだ。 この時期、東京のある大学研究室


夜間中学その日その日 (1091) 夜間中学資料情報室
神戸学院大学 髙野雅夫夜間中学資料室 第1回公開講演会開催ご案内 2026.5.21 髙野雅夫さんが生涯にわたって、収集保存されていた夜間中学資料を明日の夜間中学の活動に生かすため、髙野さんの生前からの意思を受け、神戸学院大学でお引き受けいただき、「神戸学院大学 髙野雅夫夜間中学資料室」が(2019.04.01)発足しました。公開活用に耐える作業を進めながら、新たに判明したことは「夜間中学その日その日」などで発表してきましたが、新たに研究誌『髙野雅夫にまなぶ』を創刊し研究活動を推進していきたいと考えています。また夜間中学に関する様々なテーマで公開講演会開催などを考えています。 第1回の講演会を髙野雅夫さんと親交のあった萬稀(マンフィ)氏を韓国からお招きして開催いたします。講演のタイトルは 「社会の平等は、教育の平等から ―髙野雅夫さんと萬稀さんの出会いが切り拓いた新しい地平―」 終生、夜間中学生とともにあった髙野雅夫さん(昨年7月死去)。韓国の識字(文解)教育に貢献され、現在も、カンボジアで活動


夜間中学その日その日 (1090) 夜間中学資料情報室
髙野雅夫夜間中学資料の魅力 ⑪ 2026.05.16 髙野さんが東大阪に移り住んで2年近くたった、2016年10月ごろだったか、大阪で夜間中学開設運動をしたころ歩いたコースを歩きたいとの提案が髙野さんからあった。体力がなくなり、歩けるかどうかわからないが、ともおっしゃった。私も参加しますよと返事したものの、髙野さんはその時それ以上は何も言わなかった。 釜ヶ崎のドヤ(宿舎)の天井に貼った行動記録の掲示物に囲まれた写真や行動がびっしり書かれた掲示物が「神戸学院大学 髙野雅夫夜間中学資料室」に保存されている。これを分析すれば、わらじ通信には記載されていない、大阪214日の闘いの行動全容がつかめると考えている。 2024年天王寺・文の里夜間中学の統廃合を強行した、大阪市教育委員会担当者に天王寺夜間中学開設を決断した1968年当時の開設運動と当時の教育委員会を突き動かした熱と光を明らかにするためにも、天王寺夜間中学開校への214日の闘いを再確認する作業が急がれる。 その日、旧NHK大阪放送局前の交差点に約束に時間にもう髙野


夜間中学その日その日 (1089) 夜間中学資料情報室
髙野雅夫夜間中学資料の魅力 ⑩ 2026.05.09 1964年3月18日髙野さんは夜間中学を卒業した。卒業後、杉並区善福寺池近くの木造二階建てのアパートで「彼女との共同生活が始まり、翌65年8月14日、長男生誕生。おやじとしての責任上、不完全燃焼のまま。土方、運転手助手などの日雇いを続けていた。66年11月29日、行政管理庁の夜間中学早期廃止勧告の新聞記事を見たとき、体中から血の気がすっと引き、やがて心臓がドキンドキンと高鳴り、震えが止まらなかった。それは、まさに俺にとって信じられない、突然の死刑宣告だった」『夜間中学生タカノマサオ』 (55~56㌻)。とあり、自筆年譜も卒業後2年8カ月、夜間中学とのつながりが不明で、突然、廃止勧告が出てきて、年末に、池袋の喫茶店に塚原雄太先生を呼び出し、廃止勧告を受け夜間中学は反対運動に立ち上がるのかと問い質す。この流れでしか、髙野さんからも聞けていなかった。 461日の全国行脚の記録・「わらじ通信」はまず、官製はがきに直接書き、投函する前に大学ノートに書きとどめたということはうかがっていた。


夜間中学その日その日 (1088) 夜間中学資料情報室
髙野雅夫さんの遺志実現にその第一歩 2026.05.02 『髙野雅夫にまなぶ』創刊号 発刊 髙野雅夫さんが生涯をかけ収集、保存していた夜間中学関係資料の一層の活用をと歴史的資料を分析し明日の夜間中学のために生かすため、明らかになったことを報告し公刊しようという長年の想いをようやく実現することができることになった。神戸学院大学 髙野雅夫夜間中学資料室の研究誌『髙野雅夫にまなぶ』創刊号の発行である。 筆者が夜間中学に転勤となり、夜間中学で先輩にまなび、夜間中学生に向き合い、とりくみを進めると夜間中学が今の社会で果たしている役割が少しずつ視えてきた。“法律にない夜間中学がそれでも存在し続けてきた意味”と言っていいだろう、その理由である。それは夜間中学という日本の教育の「例外」の場から今の学校、教育、社会を逆照射しているという役割である。 一例が「知識・技能」中心の学力観から「個性化・多様化」の学力観への転換である。夜間中学に学ぶ人たちが、昼の学校を就学免除・猶予の扱いを受けた人、不登校になった人


夜間中学その日その日 (1087) 白井善吾
2026年新学期 2026.04.25 新学期が始まった。近くの保育園から、新しい環境に慣れない子どもの泣き声が続き、保育士さんがご苦労されているのが例年なのに、今年は聞こえてこない。子どもの声の振動に鼓膜が反応できなくなったのか?とたずねると、今年は聞こえてこないとの事。朝露が乾く10時過ぎ、レンゲ畑から子どもたちの声が聞こえてくる。11月初めに蒔いたレンゲが花をつけ、子どもたちが思い思いに自然と戯れている。 いつも思い出すことがある。緑肥にするため、晴れの合間をぬって、耕運機で耕していた時、「花がかわいそう」と泣きながら作業をやめるよう田の中に入ってきた子どもがいた。驚いたその子の母親が子どもを抱きかかえ、あぜ道で子どもを説得しておられた。その子どもも、母親になられ、レンゲ畑を眺められている。 新学期、新入生を迎えた夜間中学は、在職時、時間講師でお願いする先生の配置が間に合わないこともあり、3時間授業で、残りの一時間は、新入生の相談に使うようになっていた。ゆっくりと手探りで新入生の反応をうかがいながら学習が


夜間中学その日その日 (1086) 夜間中学資料情報室
夜間中学新聞報道月報 2026年3月 2026.04.18 3月の新聞報道は63件。新設に向けての取り組み12件。自主夜間中学の報道9件、公立夜間中学4件、夜間中学の卒業25件。テレビでは14件。 ハッとするコメントがあった。 「卒業生には『一緒に学校を作ってくれてありがとう』という気持ちと、『これからどんなことがあっても応援している』ことを伝えたい」とする校長の挨拶だ(2026.3.16NHK)。夜間中学の主人公は夜間中学生。夜間中学生と共に学校をつくっていくとのことばだと受け止めた。教育行政主導の学校はややもすると陥りがちな、学習者は「学校にあわせろ」という姿勢とは対極の考え方だ。夜間中学生も「自分のペースを尊重してくれる仲間と先生に出会えたことは、私たちにとってかけがえのない支えでした」と語っている(2026.03.24 テレビ金沢)。 私たちが韓国の識字教室を訪問した時、「(夜間中学生の皆さんは)獲得した文字とコトバでどんな社会活動をされていますか」との問いかけを受けている(2002年)。岡山自主夜間中学の実践は街頭に立


夜間中学その日その日 (1085) 夜間中学資料情報室
「髙野雅夫さんと天王寺夜間中学」で 髙野さんを語ろう 2026.04.11 天王寺夜間中学同窓会から編集部に投稿をいただきました。57回天王寺同窓会総会開催の案内とお願いです。 (編集部) 第 57回 天王寺夜間中学同窓会 総会 開催の案内 去年の同窓会で、力強いあいさつをしてくださった 髙野さんが、そのあとわずか2か月も経たずに亡くなってしまいました。あまりの驚きに声も出ませんでした。天王寺夜間中学の第1回入学式のことは、髙野さんからお聞きしたことがあります。それから30年ほどして、私は天王寺夜間中学に入学しました。あと1、2年もすれば夜間中学の校舎が壊されます。懐かしい校舎や「夜間中学生の像」を、ぜひ見にきてください。みんなで髙野さんを語り合いましょう。 天王寺夜間中学同窓会会長 吉崎なおみ 「夜間中学の原点は天王寺夜間中学にある。 守ってください」 髙野さんが私たちに残こした最後の言葉です。60年ほど前、東京の夜間中学生だった髙野雅夫さんが、「大阪にも夜間中学


夜間中学その日その日 (1084) 夜間中学資料情報室
71回全夜中研大会記録誌 (2) 2026.04.04 夜間中学資料集、記録誌に夜間中学の詳細な実態統計が収録されている。文部省はそれまでの方針を改め、夜間中学の存在を認め、実態把握のために調査研究費用を予算化し各夜間中学や夜間中学設置行政に報告を求める方針に切り替えた「夜間中学に“春”やっと 文部省が『認知』へ 1972年度実態調査にのりだす」(毎日新聞1971.3.29)。 これに対し、さしたる教育行政責任を果たさず、居ながらにして実態報告を手にする、この手法に協力できないとする夜間中学現場もあった。 このような経緯で全夜中研の統計資料は文部省が乗り出す以前から記録されてきた統計資料である。筆者も最初に事務局を担当した時、各夜間中学から締切日までに、届くことはなく、催促の連絡をしながら、電卓をたたいて統計資料の版下を作成した経験がある。大会が終わって、実態分析を行うことが多かった。各現場はそれどころではない条件下、とりくまれていたのかもしれない。 今日のようにエクセルの表計算で何種類の統計を連動させる処理を行っても誤りができてし


夜間中学その日その日 (1083) 夜間中学資料情報室
71回全夜中研大会記録誌 (1) 2026.03.28 全夜中研記録誌が届いた。B5からA4版と紙型が変わり、学校数も35校から62校と増え、しかし、大会日程は従前どおりで、62校の夜間中学の交流促進を進めていくことは大変であることは重々承知しているがとりくみをお願いしたい。大会企画から準備を担当する事務局は、授業持ち時間は軽減されることなく、ご苦労いただいていることは変わりないし、任務は増えることがあっても減ることはない。 出張も広域で、その交通費は自腹でということになっていないか心配だ。というのも、研究大会の報告者になっている方の出席がなく、紙面報告や著者とは別の方が報告する扱いが東京からの報告で何件かあった。 1日目の夜間、10校の夜間中学で学校公開があり、161名の参加があった。 不断どおりの授業見学や夜間中学生との交流が各校実施された。1日目の大会終了後、教員や夜間中学生は学校に戻り、そのプログラムを実施し、交流のあと二日目の大会に備える。分担をしてるとはいえ、そのご苦労は大変である。 各夜間中学、大会資料集や記録

