top of page
検索

夜間中学その日その日 (1009)   夜間中学資料情報室

  • journalistworld0
  • 1月1日
  • 読了時間: 5分

  2025年 夜間中学資料情報室の夢            2025.01.01


 2024年全国で報道された夜間中学資料情報室で確認した夜間中学の新聞記事数は624になる。加えて広報誌、テレビ放送 ユーチューブにアップされた夜間中学の番組も加わるが、義務教育を保障されず、学びを求めている人に夜間中学で学べる事が伝わり入学に結び付く条件は向上したと考えているが、現実はそうでない。

 教育関係者にも夜間中学のことが知られていない現実に出会うとため息がでてしまう。そういう私も大差ない。夜間中学のことが私のアンテナにかかるようになったのは21次日教組全国教研(山梨)1972年1月に参加してからだ。分科会で夜間中学生が厳しく差別教育を告発する現場に遭遇した。その時の私は上下の歯が小刻みに動いて止まらなかった。



 大阪に戻って、夜間中学のことを調べ始めた。天王寺、菅南(現・天満)夜間中学など新聞報道にあたった。問われている内容を正確に受け止めるため、いくつかの記事を書き写した。特に新聞に掲載された記事の内容はよほど注意しないとその場限り、繰り返し読まれることは少ないと言わざるを得ない。長い引用になるが一つの記事を紹介する。


  『夜間中学』                 朝日新聞1970/11/10~11/14

生徒数 天王寺149人、菅南78人、全国でも他のないマンモス夜間中学である。平均年齢35.7歳(天王寺)、35.8歳(菅南)だ。過去のいろんな事情で義務教育を終えられなかったため、社会生活を営む上で苦しい思いや不自由な経験を強いられた人たちだ。これらの人たちはなぜ今、改めて学ぼうとしているのかそこには社会全体の問題として反省すべき面もいろいろあるようだ。両校の学校生活の模様、生徒たちの悩みや喜び、夜間中学のこれからの課題などを5回にわたって書いてみよう。

1回 蛍光灯の中で  2回 戦争と貧困  3回 社会の壁  4回 学ぶ喜び

5回 課題

課題の要約を書く。


 ―生かされるか体験―

夜間中学の教育はもともと現場の先生たちのこのような努力と模索によって築かれてきたものなのだ。いま天王寺には11人、菅南に7人の先生が夜間中学専任として配属されている。「生涯ずっとこの教育に取り組みたいという先生もある。このような先生に対しては生徒たちも深い敬愛の念を抱いている。だが夜間中学が教育制度にないものだけに、自分たちのせっかくの体験が今後どう生かされていくのか不安を抱いている先生も多い。夜間中学をどう性格づけるかも、関係者の間ではまちまちだ。あくまで義務教育の一環だとする見方もあれば特殊教育の一種、あるいは生涯教育といった社会教育的な観点から方向づけようとする見方もある。それほど夜間中学は複雑な要素を含んでいる。

 性格づけはともかくとして、天王寺・菅南両夜間中学の設置者である大阪市教委は専任の指導主事もおいて本格的に取り組むかまえだ。学齢超過者のみを対象にした「大阪方式」ともいうべきこの夜間中学に対して、文部省も積極的な姿勢を示しているという。だが夜間中学の問題は「大阪方式」では解決できない面もある。


 ―長欠なくすカギに―

 99.9%という世界に誇る我が国の義務教育就学率のかげには、なお120万人の義務教育未修了者がいると推定されている。さらに学齢時の長欠者が小学校に35000人、中学校に37000人(1967年度)いる現状だ。「教育は生きるための空気にひとしい」とは、大阪の夜間中学設置に力のあった、東京・荒川九中夜間部卒業生、髙野雅夫氏のことばだ。未修了者をどう救済するかは重要な問題だが長欠問題が解決されなければ、いたちごっこになってしまう。夜間中学の先生の中にさえ「長欠児問題のほうが重要だ」という人もいる。昔と違って、長欠の理由は家庭の経済的事情よりはむしろ学校嫌いといった性格的なものが多いといわれる。-とすると、人間的なふれあいに支えられた夜間中学の学校生活の中に、長欠問題を解決するカギもあるのではないか。つまり、夜間中学の存在は夜間中学をなくすことにも貢献できるのではないか。「夜間中学の必要のない社会になってほしい」というのが多くの夜間中学生たちの願いでもあった。

 夜間中学が存在することの意味について記者の記述に共鳴したのか、その頃の私はこのように、ノートに書き写している。


 その時より54年後の現在、70回全夜中研大会で記念講演者から記者の主張と同様の指摘を受けている。


「実際には夜間中学:通常の義務教育の観点からいえば、『あってはならない』学校。 通常は『あってはならない』教育がなされてこそ、夜間中学は存在意義。 夜間中学:本来、『あってはならず』、なくなることが望ましい。 しかし、実際に存在する以上、通常の義務教育の常識では『あってはならない』教育をしなければならない。これは夜間中学の『宿命』。『(失敗した)昼の義務教育』にわざわざ近づけようとするのは本末転倒である。事実上、夜間中学の存在意義の否定ではないか」と。


 最初に書いた「2025年の夢」についてであるが、夜間中学の立ち位置を明らかにする作業に取り組んではどうだろうという提案だ。一過性で終わらせず、夜間中学が受けている指摘とか存在意義を新聞の連載記事を今日的“視点”で読み直す作業に取り組ことを提案したい。その頃の連載記事の一部を示す。


・岐路に立つ夜間中学 上 中 下  神戸新聞  1968/11/22.25.26

・夜間中学①~⑤ ふれ合う心と心 朝日新聞  1970/11/10~11/14

・教育の谷間で ①~⑤ 夜間中学生の記録  中国新聞 1971/7/17~7/21

・夜間中学①~⑥ 社会の底辺集積     大阪日日新聞1972/2/14~19

・教育を見つめ直す 上 中 下        沖縄タイムス1975/9/8~9/1

 
 
 

Comments


Featued Posts 
Recent Posts 
Find Me On
  • Facebook Long Shadow
  • Twitter Long Shadow
  • YouTube Long Shadow
  • Instagram Long Shadow
Other Favotite PR Blogs
Serach By Tags

© 2023 by Make Some Noise. Proudly created with Wix.com

  • Facebook Clean Grey
  • Instagram Clean Grey
  • Twitter Clean Grey
  • YouTube Clean Grey
bottom of page