夜間中学その日その日 (1029) 砦通信編集委員会
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夜間中学の学び 2025.05.10
今西富幸さんがNHK全国短歌大賞を受けられたこと、NHKの報道であったとお教えいただいた。幸いその放送を見ることが出来た。
「ガザを出る 姉妹が開けた鳥籠を 思う土曜の ペット売り場に」
NHKのニュースでは「飼っていた鳥を逃がさざるを得なかったガザの幼い姉妹が置かれた境遇と平和な日本の生活を重ね合わせて詠んだものです。両者の対照的な状況に深く思いをはせた点が評価されました」と報じていた。
今西富幸さんは産経新聞の記者であった時、夜間中学や識字、部落問題、外国人労働者、人権問題を取材、報道いただいた。それらは『人権考』(解放出版社)から出版、第1回坂田記念ジャーナリズム賞に輝いた。

今西さんと夜間中学のつながりでいえば第一に挙げられるのは「『こやしの思想』を語る髙野雅夫との対話」50回にわたる連載記事(2002/4/4~2003/3/30)だ。私たちは毎週木曜日夕刊に出る記事を、授業前、京阪電車の売店で並ぶ新聞を買いに走った。そして夜間中学の授業で紹介するため、各教員が教材研究にとりくんだ。年度初めは開校記念を前に、どのクラスも夜間中学のあゆみを学習するプログラムから学習がスタートする。7日間隔で掲載される記事は大阪で夜間中学開設運動を実践した髙野さんとの対話でつないでいく連載で最高の教材となった。教員も夜間中学のあゆみが学べる教材研究が展開された。そのうち、掲載記事が何枚も届くようになった。友達のうちを回って、譲り受けた新聞記事を切り抜いてクラスで掲示されるようになった。髙野さんが学校に来られた時、疑問点を質問しようと、関心が高まっていった。この高まりは夜間中学の学びの質的変化を誘引したと考えている。社会や義務教育について厳しい指摘が対話で語られている。今日の自分の授業を反芻しながら、夜間中学生の意見や反応を受け、教材研究が進んだからだ。先生、理科の時間に、私のクラスも『こやしの思想』を語るで授業やってください。夜間中学生から要求が出てきた。髙野さんは私たちの先輩 ‼ こんな先輩があることは私たちの誇りや ‼ 生徒会活動にも結び付いていった。
今西さんのインタビュー記事「同じ地球に暮らしながら」が掲載された『檸檬新報32号』(2025/4/14)が先日届いた。紹介する。
―記者時代を素材にした作品を上げてください。
ライフワークとして詠み続けている、夜間中学の歌です。駆け出しの岡山総局から大阪本社の社会部に上がって3、4年目に、 夜間中学の取材をはじめました。今は現場に行っていないので「想像詠」になっています。空想の人に登場してもらったりします。夜間中学の世界観をわかってもらうためにどのように詠んだらいいのかを、常に考えています。
・夕闇に 老若男女 ぼちぼちと 集まってくる 夜間中学
・生きるため 看板の文字 読むために 父が通いし 夜の学校
・「初恋」と馬(マ-)さんが 筆で書いた文字 夜の廊下にぶら下がりおり
―ライフワークにしているのは、なぜですか。
両親が70歳近くなになってから夜間中学に通いはじめました。父は戦前の1935年生まれ、母は4つ年下です。終戦後の1950年代に中学校に入る年齢ですが、2人とも貧しさなどから十分には中学校で学べなかったと聞いています。嫁いでいた妹が、夜間中学のビラをもらってきたのがきっかけです。2人とも9年かかって卒業。母はさらに定時制高校に進み、卒業しました。夜間中学は文字を学ぶだけでなくて、社会に対するものの見方を育んだり、世の中を生き抜いていく力をつけるための学び舎です。そんな夜間中学の存在を、短歌を通して伝えていきたい。そう思って、テーマに据え続けています。

―ご両親について、書かれたことはあるんですか。
夜間中学運動にかかわる本(*)に『母が奪い返したもの』と題して、寄稿したことがあります。母は定時制高校の時に、授業で作った俳句が日本赤十字社が主催する俳句の大阪大会で最優秀賞に選ばれました。
・せせらぎの 音につつしむ ふきのとう
自ら学んで、生きる術を自分で意識的に勝ち取って、人生を切り拓いていく。母は「生きる力」を奪い返したのです。
髙野雅夫さんの生き方や主張は夜間中学に学ぶ人たちが歩んできた半生の出来事と強制振動を起こす力を持った教材であった。夜間中学生ひとり一人の表情が変わったと思った。その変化をみた私自身が揺り動かされた。
ガザを出る 姉妹が開けた鳥籠を 思う土曜の ペット売り場に
この短歌で夜間中学生はどんな言葉が出てくるだろうか?日本で暮らすようになった夜間中学生はどんな文字とコトバを発するのだろう?
(*)『生きる 闘う 学ぶ―関西夜間中学運動50年』解放出版社
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