夜間中学その日その日 (1008) 夜間中学資料情報室
- journalistworld0
- 2024年12月28日
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夜間中学新聞記事 2024.12.28
夜間中学の新聞報道記事を活用できるように整理しておこうと、その作業を始めたのは1997年であった。それまでは記事を用紙に糊付けしてファイルしていた。授業で教材として記事を活用することが多かったので「物理」「化学」「生物」「地学」「戦争」「原発」「公害」でスタートしたが、「大阪の地史」「地震」「災害」・・と細分化していき、その中に「いじめ」「不登校」「在日朝鮮人」「中国帰国者」そして「夜間中学」のファイルが追加されていった。
教員になりたての頃は鉄筆でろう原紙に「ガリ切り」をして印刷する方法であったので、記事は掲示し、見出しと重要な個所を印刷し授業を進めた。子どもたちはプリントを切り抜いてノートに貼り付け、自分のノートを作成している子どもも多くいた。
私が初めて夜間中学の記事をスクラップしたのは「ねごとも勉強中 夜間中学1年生のはなし」(1972 婦人民主新聞)だ。
「けさも大笑いしたことですが、ぼく、大きな声で寝言をゆうてますのんや。母親がなにゆうてんのんかと よう聞いたら、英語を言うとったんです。いまアルファベットを覚えてますのんで、それを言ってたんでっしゃろ。英語でねごとをゆうてるいうて大笑いでしてん」。
卒業証書を渡せなかった30台の教え子が、大阪市立菅南夜間中学(現・天満)に入学したことを契機に、吹田で夜間中学を開設する運動を始めた先生が書かれた記事である。
開設運動に私も参加して、夜間中学の資料作成のため、アンテナを高くして、記事の保存に注意を払った。手元にない記事は、府立中之島図書館のマイクロフィルムから探し出し、印刷を依頼して入手した。新聞記事の縮刷版は東京発行の記事しか収録されていないので役立たない。今年の2月、図書館のフィルムリーダーで画面に映し出し、印刷を依頼すると、そのマイクロフィルムも劣化が激しく、「ワカメ」状態で、うまく印刷できるかわかりませんと係の人から説明があった。その記事は幸い入手できたが、多くの記事は入手が難しくなってきている。
夜間中学では夜間中学に取材が入り、その記事が掲載されると、いろんな教科の授業や生徒会新聞で紹介、学習に多用されていった。産経新聞の今西富幸記者が1年にわたる連載記事「『こやしの思想を語る』 髙野雅夫との対話」(2002/04/04~2003/03/27)が木曜日の夕刊に掲載されると守口夜間中学では各教員、受け持ちの授業でその記事が配られたり、授業プリントに編集され活用された。夜間中学で学ぶことの意味。学びについて語る髙野さんと今西さんとのやり取りは、そのまま夜間中学生を勇気づけ、教員の姿勢を質す内容であった。
夜間中学資料情報室では手書きで記事の目録を作り、記事を探す方法を行っていたが、1997年からエクセルで目録を打ち込む作業を始めた。そのうち、各新聞社が過去の記事を映像や文字で閲覧できる方法を充実して、パソコン(PC)の画面で「夜間中学」で検索をかけるとヒットし、記事内容を入手することが比較的容易になった。また入手できた生記事をスキャンしてデーターで保存する方法も取り入れ、作業を進めている。
35回全国夜間中学校研究大会(1989/12)の資料集、記録誌に新聞記事の掲載を始めたが、以後今日まで続いている。
新聞記事には夜間中学生の「語り」が文字になっている。夜間中学の資料や記録に収録されていない「語り」が収録されている。各夜間中学で取り組まれた記録も記事でしか残っていない場合が多い。記者が取材に入り、夜間中学生とつながりを築きながら出来上がった連載記事は夜間中学の財産だし、社会をあぶりだし、人民の歴史を記載したオーラルヒストリーではないか。内容は教員も知らない事実が掲載されている。掲載された夜間中学生の姿に励ましを受け、夜間中学生が元気になっていくその変化に教員も励まされる。「ええ加減な授業はできない」と。
産経新聞大阪本社 夜間中学取材班が取材された『夜間中学はいま』は2019/3/16に始まった連載で、2023/9/1同名の書籍として出版された。

2024.10、全国夜間中学校研究大会70回周年記念事業として『全国夜間中学校関係資料集』の刊行が始まった。夜間中学特集新聞記事、各テレビ局が放送した夜間中学の映像記録にも眼を向けていくとりくみの方向はと考えるが。
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