夜間中学その日その日 (1020) 砦通信編集委員会
夜間中学資料の重要性 2025.03.08
夜間中学現場を離れて時間が経過するほど、夜間中学現場から届く情報は限られ、夜間中学卒業者の会の事務局員が今の夜間中学現場の悩みや、ご苦労を受け止めているとはいいがたい。
2020年7月発足から91回を迎えた夜間中学卒業者の会の事務局会議には髙野雅夫氏は皆勤だ。夜間中学をめぐる状況、とりくみ報告を聞き、議論では髙野さんの的確な指摘と発言がある。
夜間中学の教員であったとき、髙野さんから聞く話は大変参考になり、何とか受け止めたいし、一人で聞くより、可能な限り多くの人でと考え学習会などを企画し、関係者に参加を呼び掛けた。その学習会の記録も貴重な資料の一つである。
髙野さんは克明な夜間中学の記録と資料を保存されている。その記録の一部を、出版されたことにより、後に続く私たちは、体験はなくても、概要はうかがい知ることができる。とりわけ、髙野雅夫編『자립(チャリップ:自立)』(修羅書房)を手にできることは本当にありがたい。元資料が収録されているのだ。実体験がない中で受け止めが浅くなることは致し方がないが、疑問点を直接ぶつけ、議論をする機会があることを大切にしたいし、普及する企画を練っているところだ。

先日も、証言映画「夜間中学生」の16ミリフィルムの状態がどうだろうか?が議題に上り、さっそくフィルムのクリーニングを依頼した。幸い事なきを得たが、16ミリフィルムとして残された只一本のフィルムになってしまった。どこにでもあった、16ミリの映写機を探すのに苦労する。以前お借りしたところに問い合わせると、「ありません」つれない返事。これはフィルムだけではない。オープンリールの録音テープ、カセットテープをCDに変換して保存しておかないと、録音テープの劣化が予想以上に進んでいることも心配だ。紙資料も青焼きの印刷物は全く期待できない。紙の劣化も進んでいる。
これまで各夜間中学がとりくまれた活動で生まれた、例えば共同作品などはどうなっているのだろう。紙質の大きな作品は虫干ししないと劣化は避けることができない。共同作品も一度きりではなく、何年にもわたって、届けたい内容を持った作品が多い。守口夜間中学は何度も展示でき、夜間中学生の主張を記した作品をと考え材質は「布」の共同作品に落ち着いた。軽くて、折りたたんで収納でき、持ち運びに便利である。夜間中学生が“出前交流”で昼の学校を訪問するときも、事前に共同作品を届けて、共同作品にかかれた夜間中学生の想いを知ってもらって、交流が始まる。作品展で展示するだけでなく、学内に定期的に別の共同作品に取り換え、先輩が書いた主張に向き合う活用がされている。
このように各夜間中学には多種多様な、膨大な資料がある。授業で使われたプリント類、募集ポスター、えんぴつポスター、作文集、新聞報道記事、記録写真、映像資料等多種多様だ。
これら夜間中学資料の散逸がいま心配だ。50年が経過すると、夜間中学自体にも大きな変化が生じる。大阪で考えても3校(天王寺・昭和・文の里)の夜間中学がなくなった。名前が変わり、場所が変わった夜間中学が4校(守口→守口さつき・長栄→意岐部・太平寺→布施・菅南→天満)。建物の建て替えもこれから進むであろう。時移り、人かわり、場所の移動があると、収納スペースが小さくなり、貴重な資料が残され引き継がれていくことがますます困難になっていくことが心配だ。
学校の統廃合で、移転した学校の建物は取り壊され、公共施設ではなく、民間に売り渡されていくケースが多いと聞く。「学校を作るからと土地を提供するなど協力した、民間に売り渡すなら、戻してほしい」という声をよく聞く。リバティー大阪(大阪人権博物館)の敷地は地域に学校を作るために購入資金の寄付を募り、地域住民の熱と光で建設された学校跡地に建設さてた人権博物館であった。
看板だけは「夜間中学資料情報室」とたいそうな名称を付けたので、問い合わせを受けることがあるが、お恥ずかしい返事しかできない。資料を置いておくだけでは意味がない。資料が閲覧出来て、活用できるためにはその準備作業ができる人たちの協力が必要だ。まず場所を確保して資料を整理する作業に取り掛かる必要がある。そんな段階に来ているのではないだろうか。
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