夜間中学その日その日 (1019) 白井善吾
髙田郁著『星の教室』 2025.03.01
2025年2月14日、夜間中学の書籍が店頭に並んだ。著者は髙田郁さん。朝日新聞の「ひと」欄に髙田郁(たかだかおる/旧・川富士立夏)さん(2000/8/8)の紹介がある。「7月から大阪市立天王寺中学夜間学級で取材を続けている。人の懐にスッと入っていく笑顔でクラスの人気者になった」。
「街の灯」の連載が2001/1/23始まった。「『書きたい』窓越しの夜間中学。夜の運動場、実に楽しそうに体操する高齢者。夜間中学の授業風景だ」とある。入院中の父と一緒に見た窓越しの夜間中学の夜景の挿絵も付されている。
「街の灯」2001/1/30の記事見出しは「いじめの記憶 取材で越えた」。この記事を見た時、夜間中学を取材する中でどのように「越え」られたのか、尋ねたいと思っていた。25年を経た、著者からの回答が出版された『星の教室』である。
記事は次のように書かれていた。

「取材を受け入れた天王寺夜間中学、初めて訪問の日。校門を潜った私を迎えたのは堂々たる『夜間中学生の像』であった。労働で鍛えられた筋骨隆々とした青年が凄まじいまでに真摯な眼差しで。手にした書物を読んでいる。心を鷲掴みされた思いで私はその像の前に立ち尽くした。この像が生徒たちの共同制作によると知ったのはずっと後のこと」
引用は止められない。著者からの重要な問いかけが続く。
「中学が私にとって、それは忌まわしい存在でしかなかった。同級生からの暴力。肋骨を折られ、内臓損傷で一カ月余り入院した苛めの事実に口を閉ざした私。事故として処理した学校。何もかもが封印したい過去だった。『夜間中学生の像』の前に立ち尽くす私に、ひとつの予感めいたものがあった。この取材を通して私自身が中学時代をやり直せるのではないか」
『星の教室』の夜間中学生「潤間(うるま)さやか」は髙田郁さんであり、夜間中学を取材のため長期に夜間中学に通った「用瀬裕」も髙田郁さんなのだ。
19歳のさやかをはじめ登場する夜間中学生は山西蕗子(中国残留孤児)、結婚渡日のグエン・ティ・スアン(ベトナム)、遠見巌(沖縄宮古島)、松崎健児、正子ハルモニ、李さん 朴さん。担任の江口、養護の鈴木先生ら教員。アルバイト先のレンタルビデオのオーナー店長・緒方、両親そして用瀬裕が主な登場者。
さやかの心の葛藤がここまで描けたのは、筆者がさやか本人であること。この心が読み取れなかった、対応できなかった学校関係者であった一人として、自分が関わることができたケースを振り返ってみても申し訳ない気持ちで一ぱいだ。
さやかの夜間中学との出会いは客が探していた「題名がわからない7、8年前に上映された夜間中学が舞台の映画」のビデオを探したときだ。
夜間中学を知ったさやかは運動場のフェンス越しに1週間通い、夜間中学の様子を探った。その姿を運動場から見ていた蕗子が外に出て、自転車で通り過ぎる時、驚いたさやかとぶつかり、歩けなくなった(演技)をして、保健室までさやかの肩を借りて移動する。さやかが自然に夜間中学の門をくぐる形で夜間中学入学を促した。夜間中学入学の決断を促す絶妙なタイミングの一例だ。「偶然に導かれて夜間中学に辿りつく」と記述されている。
学年の枠を取っ払って、習熟度別のクラス編成。七夕飾り、学期の終わりの集まりで行う作文発表会、遠足、識字クラスの授業展開、社会科の授業が記れている。「手作りメニュー」の教材は当時の夜間中学で有名だ。早速多くの夜間中学で試みられた。
補食給食の時間や下校時の語らいも記されている。「ポケットにいつっも包帯を入れてたんや」「私は眼鏡やった。よう眼鏡を忘れたふりをしたんよ。代わりによんでもらうためにねぇ」
夜間中学生徒会は夜間中学生募集活動を行っている。生徒数が減少すると、廃校や統廃合を打ち出してくる。教育行政として募集活動には熱心でない行政には夜間中学生徒会が働きかけを行っている。イラストが上手なさやかに街頭で配る生徒募集ビラ作成の依頼があった。用瀬裕の了解を得て「まだ見ぬ友へ」のフレーズを使った、手書きの大型のポスターが出来上がった。「まだ見ぬ友へ いっしょにやかんちゅうがくで べんきょうしませんか?」。
街頭募集活動の日、河堀中学の昼の子どもと出会い、その子どもたちが募集活動の応援をする記述もしっかり描かれている。
私は作中にある『M教』のことばは初めて聞いた。「問題教師の略で『M教』ばっかりが夜間中学に送られてきた時期があったんと違うか」と語らせている。蕗子は「さやかちゃん、やる気のない先生の授業であっても、自分を磨く砂にかえてしまえる」と発想の転換を語るが、さやかには通用しない。「毎年同じプリントを使い回ししてる」との指摘もある。
「夜間中学で手に入れた文字はもう誰からも奪われない」。夜間中学生がよく語る言葉だ。夜間中学生の半生から搾り出てくる響きを持った言葉だ。「学びとは、だれも奪われないものを自分の中に蓄える」。遠見のうたう沖縄の旋律も登場する。「栄(ゆか)す家庭(きない)や/ 和合ど/笑いど笑いど/我達(ばんた)やゆからで」
「さやかちゃんこれを見て」、李さんが財布から取り出した折りたたんだ宝物。変色し、細かな折り目がついた古い紙。印字はかなりかすれているが「夜間中学」「生徒募集」という大きな文字だけは読み取れた。「私のお守りなんよ」ずしんと響く言葉だ。
教員の人事権は教育委員会が持っている。夜間中学を崩壊させるも充実させるも教育行政が握っている。これら夜間中学生の言葉を受け止められる教育行政であってほしい。
髙田郁『星の教室』は夜間中学関係者への最高のプレゼントではないか。
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