夜間中学その日その日 (991) 白井善吾
髙野雅夫夜間中学資料の魅力 ⑧ 文の里夜間中学 2024.9.21
1975年6月6日、髙野雅夫さんはかつて開設していた夜間中学も含め、89校の夜間中学に完成した『자립』を届けながらオキナワを目指す“長征”に出発した。沖縄に到着する、36日間の行動を「자립(チャリ・自立)通信」と名付けた官製葉書を28通、東京に向け投函している。今回、髙野さんは夜間中学を訪ねる時、事前に連絡をいれ、訪問する方法をとっていない。各校の都合に合わせていくと空白時間が生じ、行程がたてられないからだ。学校には突然の来校者ということになる。しかし、訪問する学校には1974.4.1、「夜間中学について」とする質問書を送り回答を求め、その記録を収録した『자립』を届けるための訪問でもある。とはいっても、行程優先の行動ではない。夜間中学生からの申し出に最大限応じている。
1975年6月11日、大阪市文の里夜間中学を訪れた髙野さんは次のように書いている。「在日朝鮮人のお母さんが多数いる文の里夜間学級は自らの手でチョゴリの像を校庭に建てたばかりなのだ。どんな想いでどんな涙で怨みであの像を創ったのか確かめてみたい」。
文の里夜間中学は突然来校した髙野さんに改めて、6月14日、3~4時間目に生徒会主催で話し合いたいと申し入れしている。
6/14(土曜)、文の里を訪れる前に、NHK教育部の福田雅子さん、菅南夜間中学(現・天満)を訪問している。
文の里では生徒会が司会をして「本音出して生きること」「漢字にルビを打つこと」「自分は“高”ではない“髙”だ」など話し合いの内容を髙野さんは克明にチャリ通信に書き留めている。
3枚の官製はがき、表裏に書いた、この日の「자립(チャリ・自立)通信」の前半を紹介する。
pm.7:30大阪市立文の里中学夜間学級生徒会主催の話し合いに参加。「俺の方から一方的に喋るのではなくザックバランにお喋りしたい。夜間中学生にとって一番大切なことは本音を出すことだ。今の夜間中学生は本音を出さなくなったのはなぜだろう。夜間中学生にとって生きるということは本音を出しつづけることだ。たしかに本音を出せば個人的には差別されたり惨めな目にあったり損をしたかも知れない。しかし、仲間にとって本音を出すことは得になることなのだ。俺たちは何一つ自分の力で選べないけれど本音を出して生きる道だけはたった一つ自分の力でえらべるのだ。そこにうちの子どもが2人いるけれど、1年間休学届を自分で出して沖縄まで行くのだけれど、それは彼自身がえらべるたった一つの道なのだ、皆んなの子どもはちゃんと学校にいっている―その辺の事を本音を出して話合いたい。たとえばここに天王寺中学夜間学級創立5周年記念文集「わだち」があるけれど、生徒の作文(さけび)に全部フリガナがしてある。これは先生の親切だろうが、夜間中学生をバカにしているとしか思えない。こういう親切が夜間中学生の自立を奪っていく逆差別だと思う。特に俺が書いたものまで全部フリガナしてある、フリガナしないでくれと頼んでいるのに全部フリガナしてある。岩井先生に聞いてもなぜか分からないという―俺には全く理解できないのだ。特に髙野雅夫の髙は俺がバタヤをやりながら必死に奪い返した髙なのだから高ではダメなのだ、いやこの高では俺は存在しない。それを天王寺中学で何回も喋っているから先生たちも知っているくせに、これはガリ版だから当然髙に出来るのに高にされている。歴史に「うらみ」―仕事に「にんむ」生理に「しそう」と俺たちが死にものぐるいで奪い返した武器になる文字とコトバも全部フリガナされたら殺されてしまう。完全に髙野雅夫、殺されてしまうのだ。俺は本当にそう思うのだが皆んなはどうだろう?全部の漢字にフリガナすることを夜間中学生が本当に望んでいるのかどうかぜひ本音を聞かせて欲しい―その本音を聞かない限り俺はこれから沖縄まで行けない。建前ではなく皆んなの本音をぜひ聞かせて欲しいんだ」。
司会「髙野さんは最近の夜間中学生は本音を出さなくなった。今日はぜひ皆んなの本音を聞きたいとおっしゃっている。フリガナをふった方が良いか、ふらないほうが良いかぜひ本音を出して欲しいそうです」
男生徒「フリガナふらなければ読めない生徒のことを髙野さんはどう思いますか」
「その事よりも俺たち夜間中学生にとって一番大切なのは、自分がぶつかったことを正しく受けとめ、感じたこと、考えたことを、正確に仲間に伝える力を能力を奪い返すことなのだ。それは“いろは”48字あれば充分できる。それを自由自在に使って仲間に伝えるほうが重要なのだ。正確に受け止める感情というか人間のというか、それさえ奪われているのが夜間中学生だから、それを奪い返す事の方が重要だと思う」
女生徒「やっぱりフリガナしてもらった方が早く覚えるから良い。フリガナしてなかったらサッパリわからん」
「よめただけで良いのですか、よめたぐらいで俺たちが受けてきた怨みがはらせますか。ここに〝狭山差別裁判の第2審判決が10月31日にでていらいすでに半年が経過した〟これを全部フリガナしてあるから皆んなもよめるでしょう。しかしこれが本当によめるという事は無実の人間が殺されようとしている―つまり部落民300万人の生・死がかかっているという事まではっきり自覚してこそよめたといえるのだ、それがわかるまで俺は35年もかかったんだよ。この35年間どんな思いで生きてきたのか‼ 奪い返してきた一字一字にひと言ひと言に俺たちの怨みつらみがこめられているんだよ。漢字を覚えるとか、読めるとか。教えるとかそんなもんじゃない。まさに死に物狂いで奪い返す闘いなんだよ。知識としての文字やコトバなんか昼間の中学生に逆立ちしたってかなわないよ」と夜間中学生との議論が克明に記されている。
全く違う歴史を生きてきたオモニやハルモニたちが、昼間の生徒と同じような文字とコトバではまったく死語で、生きている顔がない。顔がない「文字とコトバ」は命がない。命がない「文字とコトバ」は武器にならない。1993年10月27日、守口夜間中学で夜間中学生と話し合った時もこのように語り、「夜間中学の学び」について問題提起を行っている。
Comments