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夜間中学その日その日 (986)   砦通信編集委員会

 文の里・天王寺夜間中学存続運動の教訓と課題

    -門脇勝、畑芳孝さんらの想いを受け止めて-  2024.08.23

 一枚の写真がある。大阪市議会議員の出席を求め、大阪府教育会館で夜間中学卒業者の会が開催した「夜間中学報告交流会」(2023.7.29)を写したものだ。夜間中学存続を求める夜間中学関係者の願いを報告交流する集会で5名の夜間中学生、卒業生から報告があった。私たちは門脇勝さん(中央)、畑芳孝さん(右隣り)近畿夜間中学校生徒会連合会の会長、副会長をなくしてしまった。畑さんは20日後の8月17日に。80歳になった門脇さんは今年の6月17日。入退院をしながら病魔と闘いながら、夜間中学存続の闘いの先頭に立っておられた。

 畑さんは「僕、この学校が大好きやねん。ここで安心して学びたいんや」と話されていた。79歳だった。始業前、文の里の花壇の水やりをされている写真が『夜間中学はいま』(産経新聞 100頁)に掲載されている。夜間中学の方針を決める、教育委員会議(2023.6.27)傍聴に駆けつけた畑さんは、抗議集会で「筋が通っていません。認められません。皆に報告して、とりくみを続けます」と話された。この日、髙野さんと私たちも文の里夜間中学を訪ねると「髙野さんよう来てくれました。今日のこと校長さんに報告、わたしたちの決意を話してきました」と話された。

 2024年8月17日、夜間中学卒業者の会総会、第2部で「文の里・天王寺夜間中学存続運動の教訓と課題-門脇勝、畑芳孝さんらの想いを受け止めて-」を開催。6人の現・元の夜間中学生と教員が報告した。




 もう一人の副会長は「お兄ちゃん、天国は住みやすいですか?・・」スマホの画面を見ながら、書いてきた文を読み語りかけた。「門脇さんが私に『この学校を残したいんや』といったコトバが私の心に生きている。決して忘れない」。「お兄ちゃんの声の大きさは世界一やといったら、すかさず、『二番目はあんたや』と返ってきた」。


 天王寺同窓会の発表。「門脇生徒会連合会長が卒業式に天王寺に来てくれたのに教頭は入室を断わり、入室してもらうことができなかった。いまの天王寺は、なんでそうなるのか?大変申し訳ない」「私たちが通っていた頃、生徒が200人以上いた。入学する人を断わり、学んでる人を無理矢理、卒業させながら、『生徒が減りました』という教育委員会は許すことができない」「当時の校長は私たちに『一年間居ったら、一人100万円かかる』といった。教育者が言うことか。許すことができない」「教育委員会が天王寺・文の里夜間中学をつぶした」「先生は勤務時間に募集活動をしたらあかん」といい、「同窓会が募集活動をするといったら、それもあかんと言った」。「私たちが学んだ教室に、同窓会も入って、いま学んでいる人と話しがしたいといっても、教頭は入室させなかった」

 夜間中学の先生が物言えない状態にされ、夜間中学生がバラバラにされていっている状況を知ることになった生徒会連合会は「夜間中学生だけで話したい。その後、顧問の先生や夜間中学の先生と話したい」と会長が申し入れたがいつまで経っても返事がなかった。


 教員の方から次の報告があった。「会長は『公務員の先生として、できないことがある事は知っています。しかし生徒としてしかできないこともある』と生徒会で話し合って全体で取り組むことを大切にしておられた」。アイディアマンでもあった。生徒会主催で「シンポジウム」を開きたいと提案し、それを実現。大阪市教育委員会に署名手交や、話合いの扉を開かせたこと。夜間中学生徒会の要望を持って、大阪市議会、府議会、国会議員にも働きかけた行動は忘れることができない。「国立夜間中学」構想もある。




「教育難民」「学ぶことは生きぬくこと」「学ぶことは基本的人権」「すべての人に教育を」「15歳まで先生は敵、“先公”であった。夜間中学に学んで“先公が先生”になった。先生に出逢えた」・・・数々の門脇語録がある。「先生、『私が殺してしもうたんや』」畑さんがお亡くなりになった連絡を門脇さんからもらったときの言葉だ。それからは、生徒会の行動を記録した写真から畑さんが写った写真を印刷して額に入れ、この遺影を携え、生徒会の行動に参加されていた。


「大人の夜間中学生が世間の常識で生徒会として先生方に訴えても返事がない。無視される。生徒会を護る法律、なんかありませんか?」そんな連絡が入った。子どものことで失礼なんやけど「子どもの権利条約」に「意見表明権」「表現・情報の自由」「結社・集会の自由」があり日本も批准をしていることを伝えると、早速調べ、ツイッターにアップされていた。

 天王寺夜間中学開校入学式のあった1969年6月5日、髙野雅夫さんから「私の仕事(にんむ)は終わった。これからは、89名の入学者の仕事(にんむ)だ。大阪の夜間中学の歴史を、いや日本の歴史をつくっていって欲しい」と私たちはバトンを託されている。門脇さんは高校、大学をめざしていた。「私は夜間中学生。夜間中学生として死んでいける」と病床で語った。


 夜間中学生徒会、夜間中学教職員が果たす役割、夜間中学の社会的存在意義そして文の里・天王寺夜間中学存続運動の教訓と課題が明らかになった。


 教育委員会が出してきた廃校を打ち破る生徒会を中心とする行動に立ちはだかったのは、生徒会の団結を破壊する様々な動きであった。その根源を辿ると学校の統廃合、教員の評価の見直し、教育に首長(政治)が介入できる、大阪市の教育基本条例(2012.5)。更に2006年12月の教育基本法「改正」(政治家や行政が「法律の定め」により教育に介入できるようになる)(2006.12)にたどり着く(このことについては改めて記述する)。

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