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夜間中学その日その日 (988)  白井善吾

  2024ミニ教研 八重山     2024.09.07

 大阪から夜間中学のとりくみを日教組教育研究全国集会(全国教研)で報告しようと1991年からレポ-トを提出している。それ以前では、岩井好子さん(1970年)、髙野雅夫さんたち(1972年)が報告や問題提起を行なっている。私も40,46,52,54,56次でレポートを提出、報告を行なった。「夜間中学で行なっている理科」について報告を行なったことが縁で57~65次まで理科教育分科会の共同研究者の一人として参加してきた。ここでは夜間中学の学びについて、様々な角度から検討を加える視点を学ぶことが出来た。

 理科教育の分科会は科学技術一辺倒の理科教育を批判的に、生命、命、いきもの、にんげん、地球を考え、理科の学びを考えることを ①私たちは今、地域でどう生きるのか。②地球市民としての意識をどう培うのか。③ソフトパス・循環型社会の実現を柱に議論と実践を行っている。



 年に一回の全国教研では議論が尽くせないと考えた理科教育分科会の先輩たちが、ミニ教研開催を提起され、私も2008年から参加している。高知、水俣、阿賀野川、大阪、福島、足尾、札幌、長崎、横須賀、沖縄、広島、小樽、八重山と各地の市民運動にとりくんでいる方の記念講演、そしてフィールドワークが圧巻だ。大阪で開催したとき、桜井智恵子さんの記念講演、フィールドワークは大阪人権博物館、屯鶴峯地下壕を案内した。



 2024年ミニ教研は八重山(石垣・西表)で7/30~8/2 開催された。

「沖縄の苦痛を説いていない教科書を使って教えることができない」「沖縄の苦痛を軽んじる教科書は受入れられない」「平和を子どもたちに伝える教員としてのありようが問われている」。慶田盛(けだもり)安三・元竹富町教育長の話を聞く事ができた。在職中であった私は、2011年教科書採択で竹富町教育委員会の闘いを夜間中学で扱うことはなかった。慶田盛さんの「基本的人権や平和主義では、国家権力に対して絶対に妥協しないでほしい」の主張は夜間中学生を随分勇気づけたはずだ。

 慶田盛京子さんは戦争マラリアを紙芝居で報告いただいた。朗読は京子さん。紙芝居をめくるのは安三さん。太平洋戦争の末期、日本軍は石垣市や竹富町の住民に石垣島の北部や西表島東部への集団疎開を命じた。集団疎開は住民の安全を守るためではなく、日本軍の食糧確保のため、強制したとの説が強い。集団疎開先ではハマダラカが媒介するマラリアが猛威を振るい、八重山地域の全人口の12%、3650名の死者が出た。

 マラリアで多くの児童が命を落したことを忘れないようにと、国民学校の校長が波照間が見える、疎開児童の青空教室のあった、西表島南風見(はえみ)海岸の砂岩に「忘勿石 ハテルマ シキナ」と刻んだ。3日目の8月1日、フィールドワークで訪れることができた。

今回も理科のミニ教研で用意される記念講演やフィールドワークは示唆に富み挑発的だ。現地で案内していただいた内原徹さんの想いが伝わるプログラムであった。最終日、バンナ岳山頂の渡り鳥観察施設から、2日目に入ったマングローブ林・「名蔵アンパル」の全容を眺め、環境汚染の問題。そして於茂登岳裾野に建設中の自衛隊基地の問題点を考える組み立ては鮮やかだ。

 折しも「有事」を想定した石垣市民らの島外避難(山口・福岡・大分3県)と市内でのシェルター整備計画に関する説明・意見交換会が8/1、開かれ、様々な意見と問題点が指摘されたという報道があった。

 山口幸夫(原子力資料情報室)さんは「自然・人間・科学技術」と題する講演で小・中等教育の目的? 能力・「人材」について再度問題提起があった。              

 西表島の北端、星砂の浜で砂粒の採取をしながら有孔虫、珊瑚のかけら、マイクロプラスチックが含まれていることが話題となった。ミニ教研で学んだ内容が理科の学びにどのように教材化され。子どもたちがどんな声を発したか聞かせていただきたい。夜間中学生は戦争中の自らの体験を重ね、停まることのない、想いを語り続けるはずだ。  

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