夜間中学その日その日 (1075) 白井善吾
- 2月14日
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夜間中学は“ソフトパスの学び”を追求する場 2026.02.14
夜間中学に勤務するようになって、それまで抵抗なく使っていた言葉や、言い回しで、使うことができなくなった言葉や言い回しがある。まず「読ませる」「書かせる」‥といった「・・・させる」という言い回しである。教員の校内研修などで授業研究発表や実践報告の中で用いられる言い回しであるが、教師が高い立場から夜間中学生に「読ませる」「書かせる」という構造が持つ、両者の関係に大きな反省を持つようになった。

夜間中学生は人生の先輩、その道の達人ともいうべき職能を身に付けた人たち、家庭の中では子育てをし、社会人として喜び、悲しみ、世の不条理に怒りを経験した人たちなのだ。夜間中学に勤務し始めた当初、無意識に自分の口から出てきた「・・・させる」を使った時の深い反省は忘れられない。
何年か経った頃、夜間中学に学ぶ人たちのことを報告する機会があった。義務教育未修了となった人たちが夜間中学で語り始めた学齢時の学校への告白を小中学校の先生たちに伝える内容であった。昼の教員を経験した立場の人間として、自らの反省も込め、報告したのだが、発表の拙さもあり、真意を受けとめてもらえなかった。「戦争用語を使って、・・・私たちはそんな実践はやっていない」との反論が耳に残った。「競争」「成績」「順位」「スピード」「成果」「点数学力」「受験戦争」・・・私が使った語彙では思い当たらなかった。
日教組教育研究全国集会「理科教育」分科会で知己を得ることになった、山口幸夫さん(原子力資料情報室共同代表)から「夜間中学の『学び』」について質問を受けた。
山口さんは豊かさと便利さとを求めて工業化を進め、経済を成長させることはいいことなのかとの問いかけから「ハードパス社会からソフトパス社会へ」の提起を分科会で提起されてきた。私が52次・奈良(2003年)、56次・大分(2007)の理科分科会で「夜間中学の学び」を報告したこともあり質問を受けた。“国民”、“人材”の語彙についてどう考えるか?との質問であった。
夜間中学で私は“国民”の用語は使うことができない。母国が日本とは限られないからだし、夜間中学でよく使う憲法の25条、26条の条文も「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」を紹介するときも「すべて国民は」を略している。「住民・市民」を使っている。
人間を「もの」と考える“人材”の語彙について指摘されるまで問題意識はなかった。私はそれに代わる適切な言葉は現在も見いだせていない。この用語は使わない表現に心がけていると話した。
山口さんはソフトパス・ハードパスを資源エネルギー、材料、廃棄物、時間、社会システム、教育・学校など11の分野で実例を一覧表にされている。(『原発事故と放射能』岩波ジュニア新書 156~157㌻)
「教育・学校」ではソフトパスとして出会いの場、広い世界を知る場、発見のよろこび、発見できる力、生きる基本を身につける、エリート育成を否定、ジェネラリストを、教養主義、規則をゆるやかに、管理は減らす方向へ。
これに対しハードパスとして訓練の場、問題解決型の学力、工業化社会をするための基礎学力を、エリートを養成する場、専門家を養成、規則・管理はきびしく。
とすると、夜間中学の場はソフトバスの場と考えられる。
つい先日、偶然に「物騒なのは日本だけ? 深掘り野球用語、海外では<withスポーツ> 『死』使わない台湾 『犠打』3言語共通」の記事の見出しが目に留まった(河北新報 2026.02.04)。アウト(死) ダブルプレー(併殺) 犠牲バント(犠打) デッドボ-ル(死球) 憤死・・・を例に挙げ、記事は、「殺」「死」。日本の野球は、戦争や軍隊、命の奪い合いを想起させる用語が浸透している。海外でも同じように表現されているのかどうかを調べ、明治期の文献や新聞記事から日本における起源をひもといた。物騒な野球用語を深掘りすると報じていた。学生時代、硬式野球を少しやったこともあり、抵抗なくこれらの用語に慣らされてしまっていた。上に書いた私の報告の時、戦争用語を使っていたのかもしれない。
高木仁三郎さんは『市民の科学をめざして』(朝日選書617)で現代科学技術の根本にある歪みのようなものに、市民の立場から異議を唱える市民の視点が重要だと。
小田実さんは『生きる術としての哲学』(岩波)で「『職能』を持った人々が討議し行動するときに“市民”が成立する」と討議そして行動するに力点が置かれている。
夜間中学でのとりくみの磁針は山口、高木、小田さんの主張を裏付ける方位をとっていたと言えるのではないか。






















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