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夜間中学その日その日 (455)   蟻通信編集委員会 Journalist Worldジャーナリスト ワールド

  • アリ通信編集委員会
  • 2016年5月15日
  • 読了時間: 3分

歴史を受け継ぐということ

 今年は「夜間中学早期廃止勧告50年」だ。半世紀が経過したということになる。1966年1月、当時の行政管理庁(現・総務省)は少年労働に関して調査を始めた。その調査結果をまとめ、同年11月29日、労働省、文部省、警察庁に対し 「年少労働者に関する行政監察結果に基づく勧告」をおこなった。

 このことを報ずる、新聞記事を見ると

 「年少労働者守れ 不十分な指導 非行を招く 行管庁 きょう勧告」5段抜き、社説の左隣りの記事で、よく目につく(朝日1966.11.30)。

 「1月から行った満17歳未満の年少労働者(全国で156万人)に関する行政監察の結果、労働省・文部省・警察庁に対して行政指導の強化と改善を勧告」と記事の前文で書いている。

 記事には「義務教育中で就労しているものが全中学の約5%(約30万人)と推定される」とあるだけで「夜間中学」という活字はない。

 勧告は広域職業紹介、年少労働者の就労の実態把握、勤労青少年の教育と訓練、宿舎の整備の4項目からなる。3項目め、文部省あて勧告文を記しておこう。

勧告文

家庭が貧民などのため,昼間労働して夜間通学しているいわゆる「夜間中学校」については,学校教育法では認められておらず,また,義務教育のたてまえからこれを認めることは適当ではないので,これらの学校に通学している生徒に対し,福祉事務所など関係機関との連けいを密にして保護措援を適切に行ない,なるべく早くこれを廃止するよう指導すること。

そして説明文が続く。

説明文

家庭貧困などのため、昼間労働して夜間義務教育を受けているいわゆる「夜間中学校」は昭和24年生活窮乏家庭の長欠生徒を救う方策として一部大都市に設けられ、昭和28年には全国で学校数71校,生徒数3118人を数えるにいたった。その後減少の傾向を見せたが、現在なお全国で27校(在籍生徒558人)存在している。

夜間中学に通学した動機は、貧困・家庭の無理解によるものが約半数であるが、これらに対する教育委員会および学校の指導は十分行われていない。すなわち、夜間中学生には福祉事務所と連絡のうえ救済措置をとる要があるもの、または、保護者に対する指導の要があるものなどあるが、学校では家庭訪問をしたこともなく、また教育委員会においても昼間学校への復帰について指導もしていないものが多い。

このような義務教育の夜間制は変則で、学校教育法にも認められない臨時的措置であり、また生徒数が減少し1校20名~50名程度であり、存続理由が薄くなっているので、これらの夜間中学に対し昼間の学校に通学できるよう保護措置を講じ、夜間中学はできるだけ廃止するよう指導する要が認められる。

年少労働者に関する行政監察結果に基づく勧告が労働省へは15歳以下の年少労働者を雇用しないように、文部省に対しては15歳以下の子どもの就学を確実に行うように、警察庁へは夜学ぶ子どもが非行に走らないように手立てを講じるように勧告したものである。

学齢の子どもを昼の学校に戻すために、夜間中学をなくすというという勧告は、一方で学齢超過者の夜間中学に学んでいる人たちの学習権を奪う勧告であった。

この勧告を夜間中学の死刑宣告だととらえた髙野さんは、1966年の暮れも押し迫った日、東京・池袋駅東口の喫茶店で荒川九中教員・塚原雄太さんに「先生、カメラ回してください。俺が声を取るから」「夜間中学生の叫びをぶっつけてやりたいんです」と決意を伝え、反撃の行動に立ち上がった。

完成した映画は「夜間中学生」。50年を経たいま。私たち夜間中学生、教員は歴史と想いを受け継ぎ、夜間中学開設運動のとりくみを実践していかねばならない。

 
 
 

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