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夜間中学その日その日 (472) Journalist Worldジャーナリスト ワールド蟻通信編集委員会

大阪市立文の里夜間中学「オモニの像」

各夜間中学には夜間中学生が知恵と力と技を結集して作り上げた共同作品がある。その作品がどのようにして生まれたのか、構成詩であれば、その詩はどのようにして出来あがったのかを考えることは、夜間中学の学びの一つとして重要ではないだろうか。

夜間中学生が油粘土と格闘して作り上げた共同作品が天王寺と文の里の2校の夜間中学にある。どちらも、沖縄で活躍中の彫刻家、金城実さんが夜間中学の教員としておられたとき、美術の授業のなかで出来上がった作品だ。

「仕事で疲れた体にムチ打って勉強を続ける苦しさ。やめていった仲間のことなど。口では言えない夜間中学生の本当の姿をわかってほしい。そのためにはぼくたちの像をつくろう。それもみんなで」。美術の授業の終わった後、金城実先生を囲んで話し合っているとき、「だれとはなしに話が持ち上がった」。天王寺夜間中学校庭にある「夜間中学生の像」制作に立ち上がったきっかけをこのように報じている(1974.02.27 朝日新聞)。

文の里夜間中学の「オモニの像」については 金城実さんの報告がある(「解放教育」1975年3月号)。

「オモニの像」が完成した1975年、文の里夜間中学は125人中70人の在日朝鮮人が学んでいた。金城さんは次のように記している。

「夜間中学生は、本来、差別によってそれまで学ぶことを奪われてきた人が、自分の力で学習権を勝ちとり、同時に真の仲間を見いだすところです。彼らが奪い返そうとしていることばや文字は、そのまま生きるための闘う武器なのです。美術の授業もそうならなければならないと私は思っています」

(日本の学校の校庭に)「差別教育の犠牲者である彼らの手によって制作された『オモニの像』を建てることは、差別教育にくさびを打ち込むことです」。

そして文の里夜間中学生全体のモニュメントを校庭に立てる計画が生徒会の運動として取組まれたと記している。

「わたしはいちどもで(手)をかけていません。けれども、いつのまにかわたしのくにのにんぎょう(オモニの像のこと)がでけ(き)たことをうれしくおもいました。いらう(ふれる)となみだが、うかびます。だれもいないとき、そっとさわってみました」と共同作品制作を通して、夜間中学生が民族意識を揺すぶられたことを夜間中学生の文章を引用して示している。

除幕式の日の出来事も書いている。「しばらくして気がつくと、オモニの像の台座の左右に1升ビンが置かれ、その前で一人の高齢の女生徒がおがんでいるのでした」。

これからの夜間中学を考える

―“行政管理庁:夜間中学早期廃止勧告”50年を迎えた今、私たちは―

学習会が2016年11月26日18:00~ 大阪市立文の里中学校体育館で開催される。参加費無料。誰でも参加できる。

「オモニの像」はこの体育館の裏手にある。オモニが手にもつ本から目を上げると登下校する夜間中学生と視線が合うようになっている。

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