夜間中学その日その日 (968) 白井善吾
髙野雅夫夜間中学資料の魅力 ④ 長征(1) 2024.5.10
軽い喘息の発作の続く次男 大くんと長男 生くんを乗せた日産キャラバンは東名高速を名古屋に向け、時速70㎞、登坂路は40㎞で車を進めた。かつて開設していた夜間中学も含め、89校の夜間中学に完成した『자립』を届けながらオキナワを目指す“長征”に出発した。ルンプロ元年(1975年)6月6日である。
なぜオキナワなのか?ハンドルを握る髙野さんの脳裏を去来したのは何であろう?沖縄に到着する、36日間の行動を書き「자립(チャリ・自立)通信」と名付けた官製葉書を28通、東京に向け投函している。
ルンプロ元年(1975年)6月10日(火)には「武器と弾を積んで名古屋へ」と記している。そのあと、“武器と弾”の内容を書いている。
『자립』350冊、映写機、フィルム、『夜間中学生』『「私設」夜間中学(未完)』、16ミリカメラ、普通カメラ、テープレコーダー、謄写版、ヤスリ、鉄筆、ロウ原紙、スライド、黒板3枚、旗(チャリ)、旗竿、ペンキ、刷毛、スプレー。
竹刀、バット、グローブ、キャッチ ャーミット、メン、サッカーボール、ギター、ゲーム、ビニールプール、浮袋、釣り竿。
タライ、バケツ、竹ぼうき、ゴムホース、寝袋(3)、テント(大・小)、折りたたみベット(2)コッフェル、飯盒、コンロ、水タンク(2)、ポンプ、ござ、蚊帳、毛布、衣類(夏・秋・冬)、靴、帽子、傘、背負子、トランジスターラジオ、自転車(小)、ウチワ、チリ紙、アイスノン、医薬品、大工道具一式、リックサック(2)、懐中電灯(2)、マホービン(2)。
食器一式、米、みそ、ジュース、缶詰(肉・魚・果物)、インスタントラーメン。
それだけではない。写真パネル:永山則夫の少年時代、同クラス、同入福住宅、連続殺人魔逮捕(サンケイ新聞)、全弁護士へのアピール(朝日新聞)、連続射殺魔永山則夫の「私設」夜間中学 13枚、永山則夫の叫び『無知の涙』、『愛か無か』、『無知の涙』(文庫版)、『人民を忘れたカナリアたち』各100冊、『動揺記』(400冊)、出版物。
ビラ「水平社宣言」、「差別の根を断ち切るために」「公立夜中への公開質問状」、「連続射殺魔永山則夫『私設』夜間中学いろはかるた」、
『第19回全国夜間中学研究大会資料(1973)』、『神戸人権作文集No4・No5』
永山則夫のルンプロ文庫とチャリ文庫。
長征の活動内容を予測し、綿密、かつ周到な準備であることがわかる。

懐かしい、「謄写版、ヤスリ、鉄筆、ロウ原紙」。私が教員になったとき、現場ではこれが安価な印刷方法で重宝していた。ヤスリ鉄板の上にロウ原紙を乗せ、鉄筆で文字を書くとロウが取れ、謄写版で印刷すると、ロウの取れたところにインキが浸透して文字が印刷される。鉄筆で文字を書くと「ガリ、ガリ」と音がして、「ガリを切る」という、業界用語が通用していた。移動先でこの印刷手段で活動を想定されていたのであろう。
名古屋にあった夜間中学、天神山中学と東港中学を訪問『자립』を届ける。受け取った校長のようすをみて、髙野さんは「俺たちの刃を知る由もない」と書いている。
「夜、愛知教育センター夜間学級訪問。創立以来担当していた岩槻さん転勤、後任はルス。生徒の山中さんに会えたので『자립』を渡す。週3回(月水金)クラスと(火木土)クラスで2年間、夜間中学インスタントー今にみていろ‼チャリ‼」この日の「자립通信」の最後の部分だ。
「자립通信」は公表されていない。本を届け、受けとった学校現場の反応と、そのやりとりは示唆に富み、学ぶことが多い。夜間中学が、日本の教育制度に位置付く、その役割と存在理由があぶり出されていることに気づいた。
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