夜間中学その日その日 (963) 白井善吾
髙野雅夫夜間中学資料の魅力 ➀
夜間中学とNHK鈴木健二アナ 2024.04.08
鈴木健二さんが3月29日逝去されたこと、4/3のラジオニュースで知った。夜間中学と鈴木健二さんを結びつけるのは何と言っても1969年7月14日、放送された「こんにちは奥さん」の番組司会者である。
6月5日、開校した天王寺夜間中学に入学した夜間中学生7名と髙野雅夫さんが出演、JOBK大阪放送局のスタジオから電波が飛んだ。開校後わずか40日のこの日、生放送で7名の夜間中学生が鈴木さんと掛け合う場面は鮮やかによみがえってくる。入学したばかりの夜間中学生は地下鉄切符の切り売りをしていた人、幼稚園の園長さん、電話交換手、消防士、在日朝鮮人のオモニなど、テレビカメラの前で語った内容はどれも感銘深い内容で、インタビューマイクを持つ鈴木健二さんの手が震えている。釘付けになって動かせない。夜間中学生の説得力のある語りは鈴木さんと少しも引けをとらないのだ。
私も在職時、ひとりひとりの夜間中学生がもつ力のすごさは教室でも何度も確認することが出来た。

前列 髙野さんと7名の夜間中学生 後列花菱アチャコ(左二人目)鈴木健二(右端)
番組台本があって、それをきっちり頭に入れ、出演者からキーになる言葉を引き出し、時間内に収めることに定評のある鈴木さんをして、出演した夜間中学生はこの日、そうはさせなかった。この後出演する花菱アチャコさんの「お風呂と私」の部分が短くなってしまった。放送後、アチャコさんは怒るどころか、夜間中学生の話に「ええ話しやった」と福田雅子ディレクターにはなされたそうだ。
1972年、教職員組合で夜間中学開設の教育運動の担当になって、この番組を収録した16㍉フィルムがあることを教えてもらい、学習会で上映した。当時は映画フィルムで放送が記録保存されていた。フィルムが複数つくられ、私が使ったのは大阪府教委のフィルムライブラリーの一本で、勤務した昼の中学でも何度も上映し学ぶことの意味、夜間中学について考える学習に使わせていただいた。
開校したばかりの天王寺夜間中学を朝の情報番組で取り上げる。しかも、髙野さんと7名の夜間中学生の出演を求め、大阪放送局のスタジオから放送する。この企画をされた福田雅子さんのメモが「髙野雅夫夜間中学資料」に保存されていた。メモだけでなく、こんにちは奥さんの16㍉フィルム、番組シナリオ、番組冒頭に流された、天王寺夜間中学の入学式、授業を記録したフィルムなども保存されていた。
福田雅子さんは著書に次のように記されている。「NHK大阪放送局の企画会議の席で私は『こんにちは奥さん』テレビ番組で、入学一ヶ月の生徒さんが出演する提案を語っていた。義務教育を受けていない、おとなの中学生の存在を、ディレクター仲間に説明することから始まった提案は、そのタイトルが〈私たちは夜間中学一年生〉ということで難航する。夜間中学は法的に認められていないのだから、夜間学級、または二部の生徒というべきでないかと、『こんにちは奥さん』の東京のデスクやチーフ・プロデューサーが反対した。私は譲りたくなかった。現実に夜間に学ぶ中学生が実在するのだから、この事実からはじめたい。東京のNHKのデスクとの応酬を見守っていた大阪のデスク田辺宏先輩は『夜間中学一年生』でいこうと押し切って賛成。放送は夏休みまでの、入学一ヶ月の報告というかたちで設定される。私は上京した。・・・」(『タカノマサオとは何か』川瀬俊治編 みずのわ出版)。
行政管理庁の夜間中学早期廃止勧告→証言映画「夜間中学生」の制作→全国行脚→大阪214日の闘い→天王寺夜間中学の開校→「こんにちは奥さん」での夜間中学生の叫び→菅南夜間中学の開校・・・これらが有機的なつながりで、燎原の火のごとく拡がっていく夜間中学の開設と。この流れは、現在の夜間中学開設の市民運動に生きるヒントを提供していると考える。
55年の時空を超え、鮮やかによみがえる、7名の夜間中学生と髙野雅夫さん、花菱アチャコさん、福田さん自筆の企画メモ、鈴木健二さんの語り、これらは髙野雅夫夜間中学資料のもつ魅力として紹介したい。
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