夜間中学その日その日 (541)
- アリ通信編集委員会
- 2017年12月15日
- 読了時間: 4分
特別展「夜間中学生展12.14」(24)
展示の準備のために大阪人権博物館にはいたのは9月7日。それから3ヶ月が経過した。季節も夏から秋そして冬だ。大阪湾から吹き込む西風はなかなかのもの、博物館前街路樹はサクラ、イチョウが終わり、ケヤキも一斉に葉を落とし始めた。

特別展示室はひときわ熱気を帯びている。この日の一番は東大阪市の小学5年生、41人。展示室の中央床に陣取り、われわれが話をすることになった。子どもたちは、私たちが語り始める70年前の話に吸い込まれていった。
『私の手は/17才の細く白い手ではない/30代の手みたいに/太く短くふしくれだっている。/そしてみるからにごっつい。/わたしはなぜ/こんな手にならなければ/いけなかったのだろう。/だれが/わたしの17才の手を/こんな手にしてしまったのだろうか。/私は/一日中ペンと紙を相手に勉強がしたい/そしてもう一度/細く白い17才の私の/私の手にしておくれ』。
荒川夜間中学生の詩「私の手」と「私の家族」をゆっくりと読んだ。朗読を聞きながら、昼は働き、夜、学校に行って学んでいる夜間中学生、その情景を各自想像していることが分かる子どもたちの表情だ。5年生の子どもたちの10年余りの人生で、戦争・貧困・義務教育未修了者のこと、そして夜間中学生自らが、「私たちと夜間中学でいっしょに勉強しませんかと街頭でおこなう募集活動」は子どもたちの頭にどのような収まりになるのだろう。
何人かがアンケートに記入してくれた紹介する。
「夜間中学校に通う人の思いが伝わってきた、夜間中学に通いたいと思っている人が140万人もいると聞いて悲しかった。夜間中学に通う人の気持ちが分かりました」
「かん国の人たちや夜間中学校のひとたちは昔からたいへんだったことが分かった。昔から時間をかけていっしょうけんめい夜間中学校を守りつづけていることが伝わりました。ありがとうございました」
「自分たちは『学校にいきたくない』とよくいうけどいけなかった人たちもいるから今を幸せと思う」
小学5年生が初めて夜間中学に出逢った率直な感想である。これを受け止めて次の展開をお願いしたい。
大学生、研究者、会社員、市役所職員、人権啓発情報センター、牧師さんなど多彩な人たちが来館、説明し、質問を受け、有意義な時間であった。そして夜間中学の先生から博物館で特別展が開催されている話を聞き、訪れたという二人の夜間中学生があった。
展示の説明をしながら、話をすすめていった。少し展示を見ただけで胸がいっぱいになり、目に泪がにじみ出てきてる2人であった。荒川夜間中学生の詩のところで私はこの詩を読んでくださいといって説明を止めた。1人は詩を小さな声で読み始めた。もう一人の夜間中学生は胸がいっぱいになり読めなくなってしまわれたんだと早合点した。しかしそうではなかった。私たちの様子を見ていたもう一人のスタッフが、近づいて、その夜間中学生といっしょにその詩を声を出して読んでいった。夜間中学に入学したばかりでまだ十分に読めませんとそのスタッフに告げられた事をあとで知った。「この詩を読んでください」といってしまったことを反省している。配慮が足りなかった。
「75才になった私もこの人とおなじ人生でした。17才の手ではありませんでした」
夜間中学をどうして知ったんですかと尋ねた。
「友だちに教えてもらいました。いつも同じ時間に鞄を持って通り過ぎていく友だちに、どこに行くのと尋ねると、ちょっとそこまでといって、なかなか行き先を教えてくれませんでした。あうたびごと同じ質問をして、何度目かに。『夜間中学に通っています』とその友だちは教えてくれた。私も行って勉強したい、どうして早く教えてくれなかったのというと、その友だちは、『あんたは中学校を卒業していると思っていた』といった。その友だちにつれられて夜間中学に入学しました」と話した。「私たちの時代でも、学校に来なくなったり、途中でやめていく中学生は多かったです」と付け加えた。
「私たちが学んでいる夜間中学があるのにはこんな運動があったことがよーく分かりました。初めから夜間中学はあったんだと勘違いしている仲間は多いと思います。一日も欠かさず母校に葉書を出して大阪の夜間中学をつくる運動をつづけてきた人が夜間中学卒業生の髙野さんであることは私たちの誇りです」
「勇気がわいてきました。これから夜間中学に行ってみんなに話してきます」
このように言ってJR環状線芦原橋の改札口を入っていかれた。
Comments