夜間中学その日その日 (642)
不就学の外国籍の子ども
見出しが「外国籍の子 就学不明1.6万人 義務教育の対象外」の記事が掲載された。「やっぱり」というのが記事を読んだ時の感想であった。
「日本に住民登録し、小中学校の就学年齢にある外国籍の子どもの少なくとも約2割にあたる約1万6000人が、学校に通っているか確認できない『就学不明』になっていることが、全国100自治体を対象にした毎日新聞のアンケート調査で明らかになった」(毎日新聞2019.01.07)。
この記事がきっかけとなり、文科省が2019年5月、全国調査を行いその結果を2019年9月27日公表した。「外国籍の子供、2万人が不就学か 各教委の把握不十分」(産経新聞 2019.09.28)の見出しだ。
不就学者1,000人、就学状況が確認できない子ども8,768人、住民基本台帳との差として9,886人。これらを合わせた19,654人が「不就学の可能性がある」としている。
不就学のことで、夜間中学でのある出会いがいつも浮かんでくる。
夜間中学現場に、多くの夜間中学入学希望の人たちが訪れ、授業の合間を縫ってその相談にのった時期がある。1990年代の半ば頃であった。
その中に残留婦人の祖母に連れられて3名の姉妹が夜間中学を訪れた。「まず私が日本で生活基盤をつくってから、子ども夫婦を迎えたいと子どもや孫に言いきかせたんですが・・」と大家族を連れて帰国したことを後悔していると話された。子どもたちは働き始めたんですが、「孫をこの学校で学ばせてやってください」と話された。学齢をこえた10代から20代の入学者の将来を考えると、孫と同じ年齢のころの中国での自身の生活と重ね、祖母の苦悩は相当なものであったと想像できる。
祖母の苦悩はもっと深いことが後日わかった。次の日、この姉妹の家族や日本での生活のことを聞いていったとき、小学生の年齢の弟がいることが分かった。体に障害があって、学校に就学せず、ずっと家で暮らしている、その世話を祖母が行っていることが分かった。家庭訪問をして、祖母の話を聞くと、肢体不自由の障害を持った子どもは学校にはいかず、家族が世話をするもの。日本で育ったときの祖母の〝常識〟であった。「今の日本は、この子も学校にいくことができるんですか?」びっくりした返事が返ってきた。住民登録をして、市役所の窓口で説明を受けたとき、担当者から教育委員会にいくようにとの説明がなかったという祖母の話であった。
教育委員会に連絡をして、就学手続きを取ってもらい、小学6年生に編入できることとなった。弟の姉たちが夜間中学を訪れたことにより、編入が実現した。祖母の悩みの一つを除くことができた。祖国に捨てられ、大陸に残され、子どもに十分な教育を受けさせてやることができなかった。帰国して、子や孫のことが気になりながらも、まず生活という順位である。この連鎖を断ち切るために、義務教育保障は重要である。
夜間中学に中国帰国者の入学が相次いだ時、ある教育委員会の担当者が「外国人には就学義務はない」と答えたことがある。国際人権規約をふまえ、「外国籍であっても本人が希望すれば就学できる」ことを確認して担当者の発言を撤回させた。祖母が言う、教育委員会の窓口に行くことの説明がなかったことについても、「外国人の就学義務はない」とする一面的な認識しかなかったとしたら、ありうることだ。
はじめに書いた「外国人の子ども2万人不就学か」についても、「外国籍であっても就学できる」ことが伝えられていないケースが多く含まれているように考える。
何年かして、夜間中学を訪れた姉から、弟は府立養護学校高等部を卒業して、しょうがい者雇用によって、ある大手の会社に就職して頑張っているという報告があった。次に訪れた時、交通事故で亡くなったとの残念な報告であった。
不就学の子どもたちを生み出さないためにも、学校現場ができることがある。それを支えるためにも、学校現場の繁忙と疲弊状況が気がかりだ。やはりこの国の新自由主義の教育政策に問題がある。ここに戻ってしまう。