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夜間中学その日その日 (658)

「夜間中学生歴史砦・夜間中学卒業者の会」発足記念集会

夜間中学卒業生そして入学希望者の立ち上がりにより、大阪の夜間中学が再生して50年目にあたる 2019年、私たちは関連行事を企画した。『生きる 闘う 学ぶ』の出版と完成報告会(3月7日)、「関西夜間中学運動50年に寄せる想いを語る集い」(6月30日)、そして、締めくくりとして、夜間中学卒業生、夜間中学元教員、そして市民で「夜間中学生歴史砦・夜間中学卒業者の会」の発足記念集会(12月21日)を開催した。

 また、天王寺夜間中学同窓会が主催した「天王寺夜間中学創立50周年―未来への一歩-」(6月2日)、近畿夜間中学校生徒会連合会が行った学習会「近畿の夜間中学50年」(11月10日)が開催された。

 発足集会は50年間の夜間中学生のとりくみを中心に据え、その掘り起こしと記録、そして「語り」にこだわり、とりくみを進めた。夜間中学生がとりくんだ大きな〝闘い〟に焦点を当て、映像と語りで深めた。取り上げたのは、17回、18回の全国夜間中学校研究大会で形式中学卒の夜間中学入学を認めさす闘い。就学援助補食給食の大阪府負担を継続させる闘い。夜間中学生と作り育てる会で闘った安心して学べる夜間中学にするとりくみに焦点を当て、パネルディスカッションを行った。

 約100箱に膨れ上がった、髙野雅夫資料のなかにあった無声映画を神戸学院大学・水本浩典教授の研究室で蘇らせていただいた。16ミリフィルムの17回大会の映像を上映、髙野雅夫さんにお話しいただいた。

 この映像を見て、18回大会でも、あいまいにしようとする文部省、大阪府教育委員会、大阪市教育委員会に夜間中学生が完璧な迫り方をし、形式中学卒業者の夜間中学入学を確認させた、夜間中学生のこだわりが理解できた。17回大会に夜間中学生の体験発表で参加した夜間中学生は三省(厚生省、労働省、文部省)担当者に訴えをおこない回答を求めた。文部省に対しては形式中学卒業者が夜間中学に正式に入学できるよう訴え、中島課長補佐に回答を求めた。曖昧な回答に食い下がった。しかし予定時間が来た、次のプログラム、学校訪問に移ると司会が閉会を強行し、散会となった。

参加者が移動し、少なくなった会場で呆然と演台のそばに突っ立った古部美江子さん、小林久美子さんに髙野さんが烈火のごとく怒る場面が映しだされる。遠巻きに見る塚原雄太さんの姿もある。「普段は生徒を守るとかカッコいいこと言っているんだけど、いざとなったら、生徒の発言をみんな封じていくんだよ」「内なる差別を思い知れ!!」髙野さんの激しい叫びだ。

 この映像を見て、次の18回大会で夜間中学生が形式中学卒業者の夜間中学入学の確認を求め、信念を持って挑んだ夜間中学生のこだわりの意味が分かった。文部省、大阪府教育委員会、大阪市教育委員会から回答を求めることがねらいではなく、夜間中学教員の立ち位置を問うているのだ。これからつづく、50年間の出来事は絶えずこのことに帰趨する。50年の原点がここにある。

 50人が参加した、この日の発足記念集会は、パネルディスカッションとそれを受けた夜間中学生、卒業生をはじめ、参加者の討論で「夜間中学生歴史砦・夜間中学卒業者の会」の活動の方向と基調提案を確認することができた。

集会の基調提案を掲載する。

 多くの力を結集し、夜間中学開設運動が大阪でとりくまれ、1969年、岸城夜間中学の公認と天王寺夜間中学の開校が実現した。そして、2019年は開設50年目の記念すべき年である。

 この夜間中学の開校はそれまでの夜間中学とは異なる歴史を持つ。東京の夜間中学卒業生髙野雅夫氏が呼びかけ、開設の市民運動を展開。8名の義務教育未修了者が呼びかけに応え、立ち上がり、開設を要求してできた夜間中学である。それまでの恩恵・慈恵から、憲法に明記された教育を受ける権利の保障を求める闘いによって実現した夜間中学である。

 1969年6月5日、天王寺夜間中学開校入学式で髙野雅夫氏は「これからは君たち夜間中学生の任務だ!大阪の夜間中学の歴史を、いや日本の歴史を創っていって欲しい。君たち自身の心と足と手で」と挨拶を行った。それを夜間中学生と教員に託し大阪を去った。

 夜間中学生の実態を基に学びやすい夜間中学、給食、就学援助制度などを実現するとりくみ、夜間中学生募集活動に注力し、「夜間中学を育てる会」を結成し、近畿夜間中学校生徒会連合会に結集して様々なとりくみを行ってきた。それらは近畿でさらに14校の夜間中学開設の実現につながった。

 教員も解放教育や日教組教育運動、韓国の識字文解運動に学び、夜間中学教育運動にとりくんだ。昼のカリキュラムの流用を克服し、夜間中学生の実態と願いに応える学びの創造にも力を注いだ。

しかし、一方で卒業を断念、中退する夜間中学生を多く創りだしている現実もある。髙野雅夫氏から夜間中学の現状を厳しく問う「17項目の公開質問」も受けている。「(夜間中学生たちは)『文字とコトバ』を奪われた、『空気を』奪われた怒りを再び奪い返されて、『知識』を詰め込むことが〈勉強〉だと信じこみ、詰め込ませることが〈教育〉だと信じている教師がうまれていた」と髙野雅夫氏は問うている。

 50年が経過した現在の状況はどうだろう。国は学齢超過になった人たちの学習権を認める「教育機会確保法」を公布した(2016.12.14)。各自治体に「最低一県一校」の夜間中学を開設するという義務を課したのである。国はそれまでの「廃止する」「社会教育で」とする方針から「開設する」「学校教育で」という正反対に舵を切った。しかし、この法律ができ、さまざまな通達が発せられたとしても、ただちに各地に夜間中学を開設されるわけではない。学びを必要とする当事者の名乗り出と開設要求の市民運動が必要なのだ。官制の夜間中学を克服し、あるべき学校教育を追究し、夜間中学生が主役となる夜間中学として機能していくために、関西夜間中学運動が提起している課題の追求は重要性を増している。

 私たちは大阪人権博物館72回特別展「夜間中学生」展、『生きる 闘う 学ぶ 関西夜間中学運動50年』の出版、「関西夜間中学運動50年に寄せる想いを語る集い」などにとりくんできた。

 これらとりくみを通して髙野雅夫氏が収集し、活用してきた夜間中学資料に加え、多くの夜間中学資料の整備充実作業の重要性を痛感した。また夜間中学生からも「夜間中学卒業後も引き続き私たちができる、夜間中学のことにとりくみたい」という声が起こってきた。この想いは、夜間中学に勤務した教職員も同じだ。

 改めて夜間中学生歴史館の開設と「夜間中学卒業者の会」の結成を呼びかけることにした。そして、夜間中学に寄与するとりくみ、夜間中学資料の充実、活用作業とそのとりくみのセンターづくりへの活動を実践していく。

2019.12.21  「夜間中学生歴史砦・夜間中学卒業者の会」発足記念集会

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