夜間中学その日その日 (1061) 夜間中学資料情報室
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髙野雅夫さん追悼のつどい(3) 2025.11.22
髙野さんがお亡くなりになって間もなく4ヵ月になる。髙野さんの謦咳に接した私たちは「髙野雅夫さんの想いを受け継ぎ決意を新たにする集い」の準備を進めている。多くの皆様のご参加を呼びかけている。

集会には カンボジアで識字の実践をされている萬稀さん(元韓国安養市民大学校長/元全国文解成人基礎教育協議会代表)が出席される。1998年髙野さんがソウル大学に語学留学されたとき、萬稀さんと出会われ、帰国後髙野さんから夜間中学生の韓国訪問の提案を受け、2002年から12回にわたる相互訪問が実現した。この取り組みは夜間中学の学びに一石を投じ、生徒会活動に大きな影響を及ぼすことになった。韓国の識字教育実践運動を代表する方である。夜間中学現場も踏査され、第49回全国夜間中学校研究大会(2003年)の記念講演もして頂いた。
萬稀氏を講師に、髙野雅夫さんの想いに学ぶ公開学習会を下記の日程でおこなう。韓日・文解/夜間中学学習者交流集会で採択した「交流集会宣言」(2008年3月29日)やその後の実践を学習できる機会になればと考えている。
髙野雅夫さん追悼のつどい 日時 2025年11月29日(土) 受付18:00~ 開会18:30~ 閉会20:30 会場 大阪市立住吉区民センター/小ホール (大阪市住吉区南住吉3-15-56) 参加予約 参加費 いりません |
髙野雅夫さんの想いに学ぶ公開学習会(第1回) 報告 萬稀さん(元韓国安養市民大学校長 /元全国文解成人基礎教育協議会代表) 日時 2025年12月6日 (土) 16:00~18:00 会場 東大阪市立文化創造館 577-0034 東大阪市御厨二丁目3番4号(電話06-4307-5772)
71回全国夜間中学校研究大会終了後同じ会場で行います |
「夜間中学の父」と呼ばれた髙野雅夫さん
大西良子
先日、「夜間中学の父」と呼ばれた髙野雅夫さんが亡くなりました。突然のことで、今も信じられません。天王寺夜間中学はもちろん、全国の夜間中学にとっても、なくてはならない偉大な人を失ってしまったという悲しみでいっぱいです。
髙野さんとの思い出はたくさんあります。いろんな集会、街でのビラまき、教育委員会での訴えの時など、会うたび、私に「がんばれ。生徒が訴えないと、誰も夜間中学を守ることはできないんだから」と言ってくれました。以前、天王寺夜間中学の同窓会の集会で、髙野さんと息子さんと三人で写真を撮ってくれました。それは、私の宝物になりました。
髙野さんは人生のすべてをかけて、学びを奪われた人たちのために夜間中学校を作り守る闘いをしてきました。髙野さんの視点は、日本だけでなく、世界にも向いていました。その輪は、どんどん大きくなり、広がっていきました。髙野さんのおかげで、学びを奪われたたくさんの人が夜間中学校で学び、喜びを知り、自分に自信つけていきました。
私もその一人です。「障がい」というだけで学問はいらないと言われ続け、学校に行くことができないまま、大きくなりました。いろいろありましたが、52歳の時天王寺夜間中学校に出会い、今の私がいます。
髙野さんの亡き後、私に何ができるでしょうか。やはり髙野さんが残してくれた、夜間中学校を守り、広めることだと思います。もちろん、一人ではできないです。教育委員会に訴えること、学びを奪われた人たちに夜間中学校の存在を伝えること、世間の人たちにも訴えて理解してもらうこと。それには、街でビラを巻くとか、小さい集会や勉強会をしてー人でも学ぶことの大切さを知ってもらうことです。どういう形ですればいいのかは、まだわかりません。一度、卒業生や夜間中学の生徒さん、先生のみなさん方の意見交流会をもつのはどうでしょう。今、いろいろ頭に浮かびます。
髙野さんにとって天王寺夜間中学校は命だったんだと思います。希望の灯火とともに天国に逝かれたように思います。でも、髙野さんはあのパワーで、天国でも、学びを奪われた私たちのような人のために、夜間中学校を作っているかもしれません。私は、もう少しこちらでがんばりますが、いずれそちらに行き、一緒に手伝っていきたいです。そして、先に逝った河田先生や先輩たちと語り合いたいです。
本当にありがとうございました。ゆっくり休んで下さい。 (天王寺夜間中学 同窓会)

夜間中学や読み書き教室は、自然にできたのではない
吉﨑なおみ
髙野雅夫さんが亡くなられて、なんて言っていいのかわかりません。もう少し、私たちと一緒に夜間中学を見守っていただきたかったです。とても残念です。すごく悲しく寂しいです。
髙野さんは58年前、「大阪にも夜間中学を必要としている人がたくさんいるはずだ」と立ち上がってくださいました。髙野雅夫さんがいらっしゃったので、学ぶことをあきらめていた私たちが 今もこうして学ぶことができるのです。
私は50歳近くなって夜間中学に通いました。年いってからでも、学校生活をおくれたことが、ほんとうにありがたいことでした。字が読める、字が書けるようになることが、こんなに幸せなことだとしりませんでした。今まで味わったことがない、学校生活、いろいろな行事、遠足、運動会、修学旅行など、たくさんの思い出をつくっていただきました。
私は、夜間中学を卒業してからも、まだ勉強したいと思い、今、あべの読み書き教室で勉強しています。あべの読み書き教室は、28年前、夜間中学を卒業した人たちが続けて勉強したいと、この学ぶ場を作ったそうです。このときも、たくさんの人が声をあげてくれたおかげで、読み書き教室ができたそうです。
今まで、夜間中学のたくさんの卒業生があべの読み書き教室で学んできました。今はたくさんの外国の人たちと いっしょに学んでいます。とても楽しいです。
夜間中学や読み書き教室は、自然にできたのではないのです。たくさんの人が声をあげ、いろいろな人に引き継がれ、今があります。とてもありがたいことです。私も、髙野さんやいろいろな人の思いを引き継ぎ、あとに続けたいと思っています。
髙野雅夫さん、長い間、ごくろうさまでした。ほんとうにありがとうございました。
(天王寺夜間中学 同窓会)






























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