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沖浦和光先生の思い出 2 Journalist World ジャーナリスト・ワールド

  • 川瀬俊治
  • 2017年12月7日
  • 読了時間: 2分

 先生との思い出で、とりわけ心に残るのは、瀬戸内海の島々をめぐり、広島の被差別部落を回り、島根の多々羅の村を訪れたことだ。

 先生は「沖浦の名前からわかるように、瀬戸内海の島が先祖だ」とかねがねおっしゃっていたが、その島々を巡る小旅行を計画していただいた。

 この時は、先生の学生時代から交流がある作家の野間宏さん、岩波書店の加藤さんらも同行した。

 加藤さんは野間さんの編集担当者であり、のちに野間宏選集を出すことになるが、沖浦先生の将棋の好敵手だった。先生によれば「私が強い」とおっしゃっていたが、真偽の方はわからない。

 瀬戸内海の船上で、ある質問を野間さんにぶつけてみた。

「在日朝鮮人作家は旺盛な創作活動をしていますが、被差別部落出身の作家はどうでしょうか。中上健次さん、土方鉄さんなどあまり多くない。どうしてでしょうか」

 この質問に野間さんは黙り込んだままで、答えられることはなかった。

 私はこのころ「橋のない川」の作家住井すゑさんの本の編集を担当していて、住井先生にも同じような質問をしていたから、野間さんにも尋ねてみようと思ったのだ。

 住井さんの答えは「在日朝鮮人作家には民族的な回復などの明確にみえてくるテーマがあるが、被差別部落出身作家は、あまりにも差別を受けた苦しさがテーマに結びつかない」という趣旨だったと思う。

 沖浦先生は野間先生の横で聞いておられたと思うが、広島港に船が近づき、海中を攪拌(かくはん)するエンジン音にかき消されて、下船準備が慌ただしくなってしまった。

写真は2014年12月の桐村奈良産業大学教授を偲ぶ会で(会場は河内長野市で)

 
 
 
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