「沖縄通信」第112号(2016年2月-2) 原点はどこに?- 1996 年橋本・モンデール会談か、沖縄戦か ー Journalist Worldジャーナリスト ワールド
- 西浜 楢和
- 2016年4月9日
- 読了時間: 10分
○ 沖縄振興予算の誤解 山口沖縄担当大臣に「本土の方々、あるいは国会議員も含めて、みんな各 47
都道府県行き届いた後に沖縄だけが 3000 億円の振興予算を特別にもらってい 5
1月19日 大成建設前抗議行動1
ると誤解している。地方交付税は 16 位、国庫支出金と合わせて 6 位である」と いう話をさせていただいた。
○ たらい回し
岸田外務大臣には「ワシントンDCに行って話をしようとする時に、マケイ ンさんとかリードさんとか、全員が紙を読み上げるんですね。同じセリフを言 ってからの会話でありましたので、同じ文書を回したんじゃないですか」と話 もさせていただいた。
総理には「日本に帰ってきて、外務大臣、防衛大臣と話をすると、大概です ね、アメリカがノーと言うんだよというのが、今まで私たちのたらい回しの現 状です。そうすると総理の『日本を取り戻す』という中に、沖縄が入っている んですか」ということも聞かせてもらいました。
○ 戦後レジームの死守 「総理は戦後レジームからの脱却と言っているけれども、沖縄の現状を見る
と、戦後レジームの死守ではないか」という話もさせていただきました。
○ 集中協議への評価
菅官房長官には「歴史の話もたくさんしましたので、お互い別々に今日まで 生きてきたんですね、70 年間ね。すれ違いですね」という話もさせていただき ました。
協議はよかったんじゃないですかね。一致できないところもよく分かりまし たしね。言葉だけの話というのもよく分かりましたしね。
○ 議論は深まったか
分かりませんね。菅さんに聞いてください。総理が出て行かれて、菅さんが 具体的に話をされたので私の質問になりました。私が質問しなければおそらく 今日は何の話で締めくくったか分からなかったと思いますが、今日までの 5 回 の協議はどっちかというと私の方が沖縄の実情を話して、聞き役に回っていた だいて、なおかつ理解ができないということですから、これはなかなか難しい。
○ 沖縄の負担軽減について
私からは「もう何十年間、時の総理、官房長官、外務大臣、防衛大臣に同じ 話ばかり聞かされています。みなさん方、100 年後に解決するつもりでいるんじ ゃないですか。言葉だけが一人歩きして、安倍内閣はよく頑張っているじゃな いかと国民に思われたら、私たち沖縄はなす術がなくなりますので、いつでき るか分からないようなものはもうおっしゃらないでいただきたい」と今回は話 をさせていただきました。
2)会談後の菅官房長官の記者会見での発言 総理から
1普天間飛行場の辺野古移設に関してはあくまでも 19 年前の日米合意が原点である。
2普天間飛行場の危険性除去、これについて進める必要性がある。
3日米間で合意されている北部訓練場の半分以上の 4 千ヘクタールの早 期返還を沖縄県の協力を得ながら取り組んでいく。
4日米地位協定の環境補足 協定について、近いうちに妥結する見通しである。
5国家戦略として沖縄県の 振興をしっかり推進していく。
6沖縄振興予算については、2021 年まで、毎年 3 千億円を確保する約束を重視し、その実施に最大限努力する。この 6 点が述べ られました。
5.何が明らかになったのか。何が問題なのか。
安倍内閣はしばしば「沖縄(の方)に 寄り添う」と言います。しかしその内容 は今まで見てきた通りです。普通の感覚 を持った人間ならば、相手が何を言って いるのか、何を伝えようとしているのか を考えるものです。それが人間というも のです。

2015 年 4 月 6 日の初会談から最終回の 9 月 7 日までの約 5 ヶ月間、菅官房長 官は何を学んだのだろうか?何を学ぼうと欲したのだろうか?それを感じるこ とは全くできません。彼の発言はオウム返しのように「負担軽減(=危険性の 除去)と抑止力の維持」、これのみに終始しています。相手の発言を理解しよう という態度は微塵もありません。“何か言いたいことがあれば言ってみな!発言 は許すが聞く耳は持たないヨ”という態度です。めまいを起こすばかりです。 ここまで沖縄を軽く見るのか。沖縄は自らの思考の中に入っていないのです。
「いずれにしろ今日スタートですから、これから進めていって理解が深まる、 そこは努力していこうと思います」(8 月 12 日の会談後の記者会見)と語っても、 何らの努力の跡も見られない。知事に「官房長官の沖縄への思いを聞かせてほ しい」と問われても、政治の恩師と仰ぐ梶山静六のことしか語れない、否、語 らないのです(8 月 29 日の会談)。
安慶田副知事も「沖縄県の理解は日本政府には辺野古案はないんじゃないで すか。閣議決定してこれを取り消して、現在、辺野古案はないと私たちは理解 している。そういう意味からすると、辺野古案が唯一という政府の考え方はお かしいんじゃないか、と言うと返事はありませんでした、ただ聞いていました」、 翁長知事も「言葉だけの話というのもよく分かりましたしね」(9 月 7 日の最後 の会談)と記者会見で述べています。我々はよくぞここまで認識の低い、無責 任な人間を権力中枢のナンバー2 に持ったものです。否、これこそまさに植民地 の総督府における支配者の立ち位置(ポジショナリティー)でなくて何であろうか。 翁長知事も 1 ヶ月間の集中協議で何かが劇的に変化するとは考えていません
でした。「政府と一致できないこともよく分かった。多くの国民のみなさん方に 沖縄の思いを一定程度のご理解をいただいたということは、私からすると良か ったと思っている」(9 月 7 日の記者会見)との発言からもそれをうかがい知る ことができます。「沖縄(の方)に寄り添う」と言う安倍内閣の回答は、9 月 12 日から(最後の会談から 5 日後)の辺野古工事再開でした。一方、翁長知事は 間髪を入れずに 9 月 14 日、埋め立て承認取り消しの手続きに入り、10 月 13 日、 埋め立て承認を取り消しました。あくまでも民意を尊重し、このような決断を する知事はかつて日本にはいなかったでしょう。
以上述べた一連の日本政府の対応に、4 人の研究者が抗議声明を発表しました。

6.4 人の研究者による抗議声明
菅官房長官は 9 月 8 日、政府と沖縄県の 集中協議が決裂した後の記者会見で、普天 間飛行場が戦後に強制接収されて建設さ れたことが現在の普天間問題の原点だと する翁長知事の主張に対して、「賛同でき ない。日本全国、悲惨な中で皆さんが大変 ご苦労されて今日の豊かで平和で自由な 国を築き上げた」と反論しました。
それに対し 11 月 24 日、鹿野政直・早 稲田大学名誉教授と戸邊秀明、冨山一郎、森 宣雄の 4 人の研究者が「戦後沖縄・ 歴史認識アピール 沖縄と日本の戦後史をめぐる菅官房長官の発言に抗議し、 公正な歴史認識をともにつくることをよびかける声明」を発表しました。1228 人の賛同を得(ぼくも賛同した一人)、12 月 15 日に撤回を求めて声明を内閣府 に提出しました。
声明は、要旨次のように言います。
(菅官房長官の)この発言にみられる歴史認識は、沖縄と日本の戦後史、 あるいは現在にいたる日米両国の対沖縄政策の歴史を、主観的な思いこみ を頼りに自己流に解釈した無責任なものです。日本政府の国務大臣が公式 の場でこのような歴史認識を表明したことに対し、私たちは、沖縄と日本 の戦後史の研究に携わる者として抗議し、発言の撤回を求めます。
連合国の占領の形態は、日本政府に指示・命令を与える間接占領であり、 地上戦で「血を流して得た」征服地を米軍が直接統治した沖縄の軍事占領とは、性格がまったく異なります。 日本本土は、冷戦下の厳しい緊張状態にあった近隣諸国とは対照的に、いわば低コストの安全保障環境のもとで「奇跡の経済成長」に邁進する有 利な条件を得ました。それは、沖縄に軍事的負担を押しつける構造なしに ありえなかったのです。
集中協議の場で菅官房長官は、「私は戦後生まれなので沖縄の歴史はな かなか分からない」、そのため日米両政府の 19 年前の「辺野古合意がすべ てだ」と語り、これに対し翁長知事は「お互いに 70 年間も別々に生きて きたような感じがしますね」と返したといいます。とても抑えた言い方で すが、このやり取りには、自分が継承する政府の行為を「戦後生まれ」と いった個人的理由で否認する、驚くほどの無責任さが露呈しています。し かし、菅官房長官の発言は、単にひとりの国務大臣の認識不足と無責任さ を露呈させただけなのでしょうか。沖縄の基地問題にあたる政府当局者に、 歴史の事実や、その歴史のなかで犠牲を強いられた人の痛みを省みない発 言をしても構わないと思わせている日本の政治・言論状況や歴史認識の現 状にこそ、問題の根はあるのだと考えられます。
いま「日本の政治の堕落」、「民主主義の価値観の共有」、そして「日本 の安全保障を日本国民全体で考えること」が、何度となく沖縄から問いか けられています。問われているのは政府だけではありません。沖縄の基地 建設の発端となったアジア・太平洋戦争の歴史を本当に克服できているの か、沖縄への差別は戦前の植民地主義とつながりがあるのではないか、そ れらを克服する歴史認識を築きえているのか-。沖縄からの問いは、戦後 70 年の歴史的な問いであり、まずもってそれに答えるべきは、政治家や 専門家もそのうちにふくむ日本本土社会の人間以外にはいません。
沖縄では、戦後 70 年にわたり「基地の島」とされ軍事的緊張と対立の ただ中に置かれつづけてきたからこそ、この島で平和と人権、自治を打ち 立てることがすなわちアジア・太平洋に真の戦後、平和をもたらすことに なるという思想が、草の根のレベルからじつに数多くの人びとによって分 け合われ、訴えられ、語り継がれてきました。辺野古新基地建設に反対す る大きな理由もそこにあります。その平和への夢と希望を日本国内はもち ろん、ひろく世界の人びとに知っていただきたいと願っています。このこ とは沖縄のためというだけではありません。日本がこれからアジアの平和 と繁栄に貢献する道は、沖縄の住民世論に即したかたちで基地問題の解決 をはかり、「基地の島」から平和を発信するその先にこそ、ひらけてくる と確信いたします。
このように声明は言っています。続けて「付記 私たちの立場、声明発表の 経緯、これからについて」も公表されました。それには「戦後沖縄と日本の歴 史は、より少数の弱い立場のところに矛盾や負担を集中させる分断支配の構図 のもとに進んできました。この歴史の上に立ち、安倍政権は沖縄に対してもっ とも正直に自らの政治姿勢を露わにしています。歴史を否認し、法の精神や行 政ルールも省みず、警察権力と利益供与で力ずくの支配を行うというのがそれ です」と分析した上で、「みなさんと、たがいの知識や経験、思いを寄せ合い、 沖縄に対する積年の差別の克服をめぐって連携しあうことができないか、提案 したいと考え、この声明を発表するにいたりました。それを政治の力ずくのあ りように対して抵抗しうる、ひとつの(信頼を結びあう)思想的回路にしたい と臨みます。
こうして日本本土の歴史と現在に向き合うことで、ようやく沖縄からの問い かけに応答することが可能になり、沖縄と日本本土の壁をこえて話し合う場が 築けないか、呼びかけを返してゆくことができるのではないかと考えました」 と記しています。
この呼びかけにぼくは賛意を表し、ともに歩んで行きたいと願っています。