top of page
検索

夜間中学その日その日 (474) Journalist Worldジャーナリスト ワールド

  • アリ通信編集委員会
  • 2016年11月30日
  • 読了時間: 4分

「これからの夜間中学を考える」学習会

 行政管理庁がいわゆる「夜間中学早期廃止勧告」をだして、11月29日で満50年を迎える。2016年11月26日、第68回全国人権・同和教育研究大会の分科会会場、大阪市立文の里中学で学習会「これからの夜間中学を考える-“行政管理庁:夜間中学早期廃止勧告”  50年を迎えた今、私たちは-」を開催した。証言映画「夜間中学生」上映と、この証言映画制作を決意した 髙野雅夫さんに聞くが、この日のプログラムだ。

 夜間中学関係者のみならず、他の分科会会場から駆けつける参加者も含め、全国各地から120名の参加があった。

 会場の体育館は近畿の夜間中学15校の垂れ幕が飾り付けられ、開設運動で使用した、アノラック、映画フィルムを持ち運びした鞄、ヤッケ、ゼッケン、横断幕、ポスター、写真集、新聞記事スクラップ、寄せ書き、書籍などが展示してある。学習会が始まる時間まで、これら各展示物の前で説明が行われた。

 18時ちょうど、学習会は始まった。

映画「夜間中学生」が映し出す画面は行政管理庁の勧告がいかに不当なものであるかを映し出した証言映画である。東京・荒川九中の夜間中学に学ぶ、夜間中学生の24時間の生活をカメラが追った映像、録音機で音声を撮る手法で出来あがった45分のドキュメンタリー映画である。カメラは塚原雄太(荒川九中教員)さん、音声は髙野雅夫さんだ。16ミリ映画の制作は二人とも、全くの素人だったという。

 “千江子鐘“がなり、始まる授業、職場から駆けつけ、階段を駆け上る足音、映し出される夜間中学生の顔は学齢者がほとんどだ。給食を食べ、語り合う姿は、昼の中学生と同じだ。食堂の出前配達。大きな工作機械が回る騒音の中で、メッキ工場で、働く人。米屋の店番をしながら玄米を入れ精米機を回す人。製本工場で頁をそろえ、糸でとじあげていく人など、全て夜間中学生が昼間働いている労働現場である。夜間中学から帰ると店の掃除をし、明日の仕込をする。全てを終え、布団を敷き、眠りにつくまでカメラは追っている。夜間中学で学ぶ4時間の夜間中学生の顔は昼働いている顔とは全く異なる。

 この映画と文集をもって、髙野さんは夜間中学開設を訴え、全国行脚を展開した。行く先々で、上映会を行った。今回も、16ミリ映写機による上映に髙野さんはこだわった。映写機がフィルム送りをする機械音の中で「夜間中学生」を上映するのだと。まるで50年前のある日の、上映会を再現するかのように、私には思えた。

 ところが50年後の今、どこにも16ミリ映写機は見つからなかった。かつてはどこの学校にも、備品として備わっていた映写機も廃棄したという返事ばかりであった。やっと大阪市の総合生涯学習センターにあることがわかり、この日の上映が実現した。髙野さんはフィルムをクリーニングに出し、この日に備えたという。

 上映後の髙野さんへのインタビューにもこだわりがあった。冒頭、夜間中学生の3編の詩を髙野さんは朗読した。「私の手」(江草恵子)、「私の家族」(辺見美紗子)、そして「夜間中学」(多胡正光)だ。場と時間を50年前に戻して、髙野さんは質問に答えていった。

 1966年11月29日、夜間中学は学校教育法に認められていない。廃止するようにとする “死刑宣告”を受けた。50年後の今、文部科学省は「最低、一県一校の夜間中学を開設するように」「形式卒業者の夜間中学入学を認めます」と通達をだした。義務教育を受けることができず、夜間中学入学を断られ、悔しい思いをして亡くなっていった人たちは全国で何人になるのだろう。国はその人たちのことを考えた事があるのだろうかと語った。

 私も同感だ。50年前、行政管理庁は夜間中学早期廃止勧告をだしましたが、あれは誤りでした。多くの方々の学習権を奪ってしまいました。謝っても取り返しがつきませんが、今後は全力を傾けて夜間中学の開設に取組みますと言うのが常識だと考えるのだが、国の常識はそうでないのか?少なくとも、行政管理庁(現在の総務省)は「1966年11月29日の勧告は撤回します」と発表すべきであろう。

フリースクール関係者の評価が分かれている、「教育機会確保法案」が衆議院本会議で可決された(11/22)今、この日の髙野さんの話はいっそう重みをもって伝わってきた。義務教育の保障を求める当事者が中心になって切り拓いていく夜間中学開設運動が今こそ求められているのだと。国や行政任せでは決して学習者が求める学びの場はできないのだと。

話のあと、会場からも質問が相次いだ。予定時間を20分も超えた。またたくさんの感想をいただいた。

「小学校の校長をしています。子ども一人一人の学力保障について、最前線にいることを改めて痛感しました。自立への挑戦を応援していきます。共に闘っていきたいです」

「初めて夜間中学のことを知りました。また参加したいと思います。形式卒業で、文字が書けない親。子どもを病院に連れて行くことをいやがる。文字を獲得したら家庭も変わるだろう。どうしたら文字を取り戻そうとできるのか?」

「貴重な資料を見て、今、私は夜間中学で学べてること最高の幸せを思います。この夜間で学びの灯を消してはいけない強く心に思います。これからも存続に頑張っていきたい。私にできること、今も夜間中学を必要としている人がいる。その人たちに、夜間中学を届けたい」

インタビューの雰囲気はとても文字で再現できないが、記録としてまとめておきたいと考える。

 
 
 
Featued Posts 
Recent Posts 
Find Me On
  • Facebook Long Shadow
  • Twitter Long Shadow
  • YouTube Long Shadow
  • Instagram Long Shadow
Other Favotite PR Blogs
Serach By Tags

© 2023 by Make Some Noise. Proudly created with Wix.com

  • Facebook Clean Grey
  • Instagram Clean Grey
  • Twitter Clean Grey
  • YouTube Clean Grey
bottom of page