夜間中学その日その日 (476) Journalist Worldジャーナリスト ワールド
- 白井善吾
- 2016年12月25日
- 読了時間: 4分

夜間中学を教育法規に明記さすこと (1)
夜間中学が教育法規に明記されてないばかりに、学習者や夜間中学関係者が不当な扱いをうけたり、不利益を被ってきた例は枚挙にいとまがないはずだ。
夜間中学の学習環境の改善を求めて大阪府教育委員会との交渉に初めて参加したときのことを鮮明に覚えている。1987年のことだ。当時、府内10校の夜間中学から参加した教員や大阪教職員組合の執行委員併せて約20人を前に、たった一人で現れた担当者は答弁で次のように言った。
「夜間中学が教育法で明確に書かれていれば、もっと教育条件を整えることが出来ます。学校教育法施行令25条の第五項、『二部授業』をよりどころに、大阪府が行っている施策が精一杯です。これ以上は出来ません」と吐き捨てるように言ったのだ。
私はこの発言を「学校教育関係法規に名称がなく解釈によって運営されている夜間中学であることを忘れるな」との宣告だと受け取った。
一方、夜間中学同様に、夜間に授業を行っている定時制高校があるが、学校教育法に「定時制の課程」として明記されている。この違いは、橋下知事の時に顕在化した。それまで大阪府が行ってきた就学援助と補食給食の補助を廃止する一方、定時制高校の給食の予算は増額した。府立と市町村立の違いがあるが、黒田知事の時代に創設された補助を橋下知事は打ち切ったのだ。
今国会で成立した「義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保等に関する法律」は14条で「就学の機会が提供されなかったもののうちにその機会の提供を希望する者が多く存在することを踏まえ、夜間その他特別な時間において授業を行う学校における就学の機会の提供その他の必要な措置を講ずる」と記している。「夜間その他特別な時間において授業を行う学校」と表記しているが夜間中学を指している。
教育法規に夜間中学が明記されていないという理由で、夜間中学が開設されず、学習権を保障されず、亡くなってしまった人たち、学べていない数多くの人たちが全国に存在していることを忘れてはならない。
「最低一県一校の夜間中学の開設を」と声がかかると、国のこの変化に戸惑い、「寝耳に水」と語るある県教育委員会の幹部の声があった。開設の検討を始めた道県の教育委員会は、入学希望者はいかほどあるのか?開店休業になるのでは?と危惧する声も耳にする。前にも書いたが(「夜間中学その日その日」 467)、1972年、大阪で開校した堺市立殿馬場、八尾市立八尾、東大阪市立長栄、3校の夜間中学は募集開始して1ヶ月時点で12名、10名、26名。入学式時点で41名、13名、56名。そして9月時点では52名、27名、60名入学者であった。
半世紀後の現在もこれら夜間中学は存続している。夜間中学の活動を始めると、夜間中学があることが伝わっていき、学習者は校門をくぐってくるのだ。
むしろ教育行政が心配しなければならないのは、自分たちが頭の中にある“学校の常識”をどれほど変えることができるかを心配するべきではないだろうか。年齢、国籍、就労体験、就学経験の有無など様々な人たちとどんな学びが展開できるかということだ。“昼の学校の常識”を放棄して、昼のカリキュラムの流用を排して、点数のない学びが創造できるかということに腐心できる学習環境を作れるかということを心配すべきだと考える。
学習者が夜間中学に入学して良かったと感じることができる学びを学習者と教員が立場を超えて編んでいける学校を作っていくことができる環境を教育行政として支えていく度量をもっているかを教育行政自身問うべきではないか。
2016年11月26日開催された「これからの夜間中学を考える―“行政管理庁:夜間中学早期廃止勧告” 50年を迎えた今、私たちは―」学習会を全国各地で開催し、夜間中学への理解を深めるとりくみが重要ではないだろうか。
近畿の夜間中学校生徒会の全国夜間中学校研究大会参加者は、12月2日、東京で、文部科学省の夜間中学担当者に、夜間中学生の法案に対する期待と同時に懸念の声を届け話し合った。夜間中学の常識を夜間中学生は語った。
多くの自治体が公立夜間中学を開設し実践がすすむと、「教育」に通底する「学ぶことの意味」を検証でき、「教育再生実行会議」が目論む「教育」は誤りであることを確認できる近道であると考えている。