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「沖縄通信」第119号(2016年12月) 「土人」発言を斬る Journalist Worldジャーナリスト ワールド

  • 西浜 楢和
  • 2016年12月28日
  • 読了時間: 16分

1.東日本大震災ボランティア活動中に、それは起こった

10月17日、沖縄平和運動センター議長の山城博治さんが高江で不当逮捕されたことに後ろ髪を引かれながら、筆者は10月18日、東日本大震災被災者支援ボランティア活動で、仙台と石巻の支援センター・エマオに向かった。自身25回目になる。そうするとどうだろう、その日10月18日、高江において米軍ヘリパッド建設工事に抗議する市民(目取真俊さんら)に向かって大阪府警機動隊員が「どこつかんどるんじゃ!ぼけ、土人が!」、「黙れ!こら、シナ人!」との差別発言を浴びせた。

支援センター・エマオの活動に入ると団体生活となり、基本的に新聞やTVは見ないので、世間で何が起こっているのかが疎くなる。大阪府警機動隊員が何か差別発言をしたということはメールなどで知る程度だった。それを知った時、筆者は瞬時に目取真俊さんの講演を思い出していた。筆者が世話人を務めている「関西・沖縄戦を考える会」は、10月14日に目取真さんを講師にお呼びして「今も続いている沖縄戦-辺野古・高江」と題した講演会を開いたが、そこで次のように話された。

『 今、高江に沖縄県警に加えて警視庁、大阪、千葉、神奈川、愛知、福岡の府県警から計500人が派遣されています。その中で一番評判が悪いのが大阪府警です。例えば、他の県警はクルマを止めて窓をコンコン叩いて「開けてください」と言いますが、大阪府警はガラスが割れんばかりにバンバン叩いて「開けろ!バカヤロー」、「アホか、さっさと開けんか!」などと言います。沖縄への差別は関西から始まっているなぁという感じがします。

 外国人へのヘイト・スピーチを始め、橋下知事の頃から大阪は全国に先駆けて反動化した、その現れじゃないかという気がします。

 今、一昔二昔前なら口にできなかったことが平然とネットや街宣車で言われる時代になっています。だから沖縄で大阪府警が暴力的に県民を弾圧しているのもこの時代の一つの表れだと思えてくるのです。沖縄にヘリパッドを押し付ける、辺野古に新基地を押し付ける、それを当たり前と感じて恥じることもない、そういった日本人が大多数に今後ますます広がっていくのでしょう。辺野古の新基地建設の前にまず高江で反対運動を潰してヘリパッドを完成させる。その“意気込み”が500人という機動隊の数に現れています。

(関西・沖縄戦を考える会『会報』第18号)』

 この講演からわずか4日後に大阪府警機動隊員による差別発言がなされたのだ。まったく目取真さんの発言はそのことを予言していた。大阪では早速10月19日に大阪府警前で抗議の集会が持たれた。翌10月20日、筆者は前から約束していた宮城学院女子大学の教授(宗教センター所長)と飲食していた。その時に沖縄タイムス社から電話取材があり、「土人」発言に対するコメントを求められた。そのコメントは10月21日付『沖縄タイムス』に掲載された。以下がその記事である。

   沖縄の基地問題に取り組む関西の18団体で組織する「Stop!辺野古新基地建設!大阪アクション」の西浜楢和共同代表(72)は2004年から、名護市辺野古の新基地建設などに反対を訴えてきた。

   「死語だと思っていた『土人』という言葉が、若者から発せられたことに驚いた。根底に沖縄が『土人』であってほしい、という本土の差別意識がある」と指摘。その発言を擁護するような松井知事に「あきれて言葉も出ない。大阪の恥だ」と切り捨てた。

 時あたかも、10月26日から30日まで那覇市を中心に第6回世界のウチナーンチュ大会が開催され、世界中から6,000人を超えるウチナーンチュが参加していた。最終日の10月30日には「世界のウチナーンチュの日」が宣言されたが、この「土人」発言は、それ故に世界から集まったウチナーンチュの知るところとなったのである。

2.差別語とは何か

 さて、『差別語・不快語』(2011年、にんげん出版)によると、差別語6つのポイントとして次のように述べている。

ポイント その1

   差別語は、他者の人格を個人的にも集団的にも傷つけ、蔑み、社会的に排除し、侮蔑・抹殺する暴力性をもつ言葉をいう。

ポイント その2

   差別語は、それ自身に固有の歴史的、社会的背景をもつ。そのときどきの歴史状況から生みだされ、社会的偏見にもとづく差別性(マイナスの価値)をふくんだ言葉である。

ポイント その3

   なにが差別なのか、なにが差別語であるのかは、社会の進展によって大きく変化する。

ポイント その4

   差別語は、それぞれの時代の社会的・文化的状況に照応して生まれる。ある言葉に差別性が付与されて、新たに生みだされる差別語もある。

ポイント その5

   差別語は、人種・民族・宗教・性・職業・国籍・身体的・精神的特徴など、さまざまな<差異>を手がかりに排他性をもってつくられる。

ポイント その6

   それぞれの差別語には、その言葉がさししめす差別的実態が反映されている。<差別的実態>の存在が、マイナスイメージによって表現され、認識されるとき、差別語が生みだされる。照応する差別的実態がなくなったために差別的意味を失った言葉もある。

3.「土人」は差別語か

 『差別語・不快語』では、民族差別を、「文化の伝統を共有する」同族意識をもった民族集団を、他の民族集団が、政治的・経済的・社会的、かつ文化的に差別し、排除するイデオロギーであると定義し、「土人」は差別語であるとする。そして、「蔑称に変化した『土人』」と題して、次のように解説している。

 『大和民族の社会において、「土人」は古い時代から、「土地の人々」「現地の人々」という意味で、異民族・外国人に対する蔑称は「夷人」でした。アイヌ民族が「夷人」と呼ばれたのも、また幕末の外国人打ちはらいが「攘夷運動」と呼ばれたのも、そのためです。ところが、1855年の日露和親条約で、日本政府は、アイヌ民族を本来の日本国民とし、アイヌ民族の居住地域を日本の領土だと主張するようになります。この論理からいえば、アイヌ民族を「夷人」と呼称しつづけることは、領土権をみずから放棄することになります。そこで、日本政府は、アイヌ民族の呼称を「土人」に切り替えたのです。これが、その後アイヌ民族が「土人」「旧土人」と呼ばれる原因にもなります。

   そして、この切り替えによって、「土人」という言葉の実体的な意味が「土地の人々」から「未開で野蛮な異民族」にすり替えられることになります。とくに、アイヌ民族に使われたことから、日本の植民地主義や侵略戦争が展開されるなか、先住民族への蔑称として使われるようになりました。明治時代の初期には、琉球人に対して「土人」という呼称が使われ、また日本が委任統治領とした南洋群島などでも「土人」という呼称が使われました。1997年に「北海道旧土人保護法」が廃止されるまで、「土人」という差別語は、行政用語としても定着していたといえます。

   たとえば、軍艦に便乗して太平洋の島々をまわり、オーストラリアまで旅をした志賀重昴(しげたか)は『南洋時事』(1887年)のなかで、住民を「土人」と記しています。第一次世界大戦後の講和会議(1919年)で、赤道以北の旧ドイツ領を委任統治領とした日本は、1922年に南洋庁を開設しました。南洋領土との具体的な接点が生まれ、南洋に関する書物が「海外雄飛」をめざす青年たちの夢をかきたてました。マンガ『冒険ダン吉』(島田啓三著、1933年~1939年)は「満天下の少年たちを欣(きん)喜(き)雀(じゃく)躍(やく)、狂喜感激させ、百万部を突破」しましたが、そこに描かれているのはヤシの木に日の丸を立てて、左腕に腕時計をし、靴を履いた色の白いダン吉が、真っ黒で唇のまわりだけが白い「土人」を従えて島を統治する光景です。また、ネズミの「ガリ公」には名前がついていますが「土人」には名前がなく、胸に大きく数字が書かれているだけです。』

4.「土人」はどのように描かれてきたか

 「明治時代の初期には、琉球人に対して『土人』という呼称が使われ」たと、『差別語・不快語』に記されているが、「土人」という言葉は、歴史を遡ればどのように描かれてきたのであろうか。

琉球処分官・松田道之は1879年6月3日、「沖縄県士族一般ニ告諭ス」で琉球士族を前にして次のように言い放った。いわゆる、「首里城明け渡し」のうすら寒い光景である。

子等ハ猶ホ悟ラズシテ旧態ヲ改メザルトキハ新県ニ於イテハ到底用ュルヲ得可ラサルモノトナシ百職皆ナ内地人ヲ取リ遂ニ此土人(琉球人)ハ一人ノ職ニ就クヲ得ル者ナクシテ自ラ社会ノ侮慢ヲ受ヶ殆ド一般ト区別サルルコト恰モ亜米利加ノ土人(インディアン)北海道ノアイノ(アイヌ)ノ等ノ如キノ態ヲ為スニ至ルベシ(カッコ内は筆者)

 現代語に意訳すれば、

 お前たちが旧態を改めない時は、新たに発足する県庁の職務はみな「内地人」を採用するぞ。ここの「土人」は一人も県庁に就職できず、あたかもアメリカの土人、北海道のアイヌのようになるぞ。

 要するに、政府の指示に従わない沖縄の「土人」は、みな失業の憂き目をみるぞ、これは自ら招いた自己責任だと脅迫したのである。その後、松田道之は同年12月に東京府知事の要職に就いた。

 松田道之の「沖縄県士族一般ニ告諭ス」について、ぼくが琉球大学大学院に在学していた時の指導教員であった比屋根照夫・同大学名誉教授は次のように言う。

 これが明治政府の端的な沖縄像の表明であった。アメリカのインディア ン、日本国内の少数民族としてのアイヌ、それに類似する琉球-。事柄の本質はインディアンにしろ、アイヌにしろ、「国民国家」の巨大な権力によって侵攻され、すべての価値を剥奪された民族の悲しい運命であった。まさに、琉球・沖縄の近代史への登場はこれらと同様にすべての価値を剥奪された形での登場であった。価値剥奪とは何か。インディアンやアイヌがもつ民族的な自負、伝統、アイデンティティを剥奪したと同じように、琉球・沖縄はその伝統的な価値、琉球・沖縄人としての人間的な価値を剥奪された。

 まさに、松田が「百職皆ナ内地人ヲ取リ遂ニ此土人ハ一人ノ職ニ就クヲ 得ル者ナク」と威圧するように、琉球処分以後の政治・社会状況は、「内地人」優位、より本質的には薩摩閥によって壟断される状況であった。このような琉球処分の強権的な価値剥奪の諸様相に画面する時、近代以降の「日本」と「沖縄」の関係をどのように捉えるかとの根源的な問いがうかび上がってくる。

(比屋根照夫『沖縄近現代史の中の現在』

『世界』2015年4月臨時増刊-沖縄 何が起きているのか所収)

 さらに、内務大臣であった山縣有朋は、沖縄、奄美、五島、対馬地方を視察した後、1886年5月の「復命書」で、「本土ヲ守ルニ土人ヲ以テスルハ兵ノ原則ナリ」と、島嶼の防衛は島民をもってするのが原則であるとしていたが、彼が見た沖縄の民衆は、「両属ノ念頑然猶絶エス其病根深ク骨髄ニ入リ一モ敢為ノ気力アルコトナシ」、また、「此ノ如キ人民ヲシテ我要地タル南門ノ守護タラシメントスルハ方今ニ在テ決シテ行フ可カラサルハ論ヲ俟タス」と、島民に警備を任せることはできないとした。そのため、

   徴兵ノ召集ニ応セシメ各隊ニ編入スルノ法ヲ設ケ常ニ各鎮台ニ分派シ我内地ノ制度風俗及ヒ兵制ノ大要ヲ領知セシメ新陳交換シテ以テ星霜ヲ経ハ其愛国ノ気象自カラ振作勃興シ

 と、徴兵により愛国心を高め、その後、警備隊の兵員として充足すれば「兵制ノ基礎ヲ強固ナラシメ且其費用モ頗ル節減スルヲ得ヘキナリ」と考えた。

(山縣有朋の資料については、関西・沖縄戦を考える会・松浦事務局長の力添えを得た。感謝します。)

 以上、見てきたように1879年の琉球処分(併合)以降、日本(ヤマトゥ)政府は琉球民族、アイヌ民族を日本(ヤマトゥ)民族より下等な民族と見下し、それを「土人」と称してきた。筆者はまだ分析できていないが、こうした差別観は、1609年の島津の琉球侵略から形成されてきたものかも知れない。

 ところが、『差別語・不快語』が述べているように、異民族・外国人に対する蔑称として当初は「夷人」を使用していたが、日本(ヤマトゥ)政府は領土権をみずから放棄することになりかねないとのおのれの勝手な都合から、その呼称を「土人」に切り替えたのである。

5.「差別と断定できない」と言うに至った我が国家・日本

 大阪府警機動隊員の「土人発言」に関し安倍政権は11月18日、鶴保庸介沖縄担当相の「差別と断定できない」とする発言を容認する答弁書を閣議決定した。今やここまで我が日本国は堕落したのである。

 ところで、国際人権規約は世界人権宣言の内容を基礎として、これを条約化したもので、人権諸条約の中で最も基本的かつ包括的なものである。その社会権規約(国際人権A規約と呼ぶ)と自由権規約(国際人権B規約と呼ぶ)は、1966年の第21回国連総会において採択され、1976年に発効し、日本は1979年に批准した。この規約の実施を監督するために、国際連合の機関として自由権規約委員会が設置されている。この委員会は、6回目となる日本政府の提起報告に関する、以下の総括所見を2014年7月23日に発表した。

   締約国(筆者注:日本のこと)は、差別、敵意または暴力の扇動となる、人種的優越または憎悪を唱えるあらゆる宣伝を禁止すべきであり、またそのような宣伝を広めることを意図した示威行動を禁止すべきである。締約国はまた、人種主義に反対する意識啓発キャンペーンのために十分な資源の配分を行うとともに、裁判官、検察官、警察官が憎悪および人種的動機に基づく犯罪を発見する力をつける訓練を受けることを確保するための取り組みを強化すべきである。

 「憎悪および人種的動機に基づく犯罪を発見する力をつける訓練」を受けるべき警察官が差別発言をおこなっているのだ。そして「差別と断定できない」と政府が容認するのである。菅官房長官が「差別だと断定できないというのは政府の一致した見解だ」と述べたことに対して、面と向かって言われた目取真俊さんは「『断定できない』とは、『差別ではない』と政府が公式に認めたようなものだ。断じて許せない」(『沖縄タイムス』11月23日付)で述べている。

 では、なぜこのような差別発言を機動隊員が公然とおこなうのだろうか?

 10月26日付のインターネットに「『土人』発言の背景…警官に極右ヘイト思想を教育する警察専用雑誌が!ヘイトデモ指導者まで起用し差別扇動」との記事があり、次のように述べている。

 警察では内部の研修や勉強会、上司からの訓示など、さまざまな機会を通じて、警察官に市民運動やマイノリティの団体、在日外国人などを『社会の敵』とみなす教育が徹底的に行われる…。(中略)

 警察では「専門の雑誌を使って、極右ヘイト思想を警察官に植え付けている」という…。その専門の雑誌は『BAN』(株式会社教育システム)。『BAN』は警察官専用の29万人のための総合教養情報雑誌というフレコミ…。2016年11月号の特集「どうする沖縄 米軍基地の今後」で恵隆之介氏が寄稿している。恵氏といえば、沖縄出身のジャーナリストを自称しているが、元海上自衛隊で基地反対派に“デマ攻撃”を仕掛けてきた人物。たとえば、先の沖縄県知事選では“翁長氏の娘は北京大学に留学”“その娘の婿は中国太子党出身”などとメディアで語っていたが、当時、翁長氏の娘は「埼玉の小さな大学」におり、未婚だった。

   『BAN』には作家の百田尚樹、渡部昇一上智大学名誉教授、西尾幹二などが登場している。

 このような教育が警察内部で実施されているところから、「土人」発言を生み出す土壌が作り出されているといえよう。単に一機動隊員の発言に留まらず、警察組織に構造的問題があるのだ。事態の推移いかんによれば今後、“嫌沖”感情が醸成され、ヤマトゥに住むウチナーンチュへの襲撃が起こりかねないとの危惧を筆者は抱く。

6.「土人」は、先住民族に投げかけられる侮蔑的な差別語である

 2015年12月22日に豊見城市議会は「国連各委員会の『沖縄県民は日本の先住民族』という認識を改め、勧告の撤回を求める意見書」を採択した。次のような内容である。

(前略)私たち沖縄県民は米軍統治下の時代でも常に日本人としての自覚を維持しており、祖国復帰を強く願い続け、1972年5月15日祖国復帰を果たした。そしてその後も他府県の国民と全く同じく日本人としての平和と幸福を享受し続けている。

それにもかかわらず、先住民の権利を主張すると、全国から沖縄県民は 日本人ではないマイノリティーとみなされることになり、逆に差別を呼びこむことになる。(後略)

 同様の意見書は2016年に石垣市議会でも可決されており、裏で日本会議が暗躍しているとの情報もある。

 筆者は今までいくつかの論考(『“県外・国外移設”に示される沖縄の思想と自己決定権-先住民族規定をめぐって-』『共生社会研究 第6号、2011年』所収、『沖縄戦70年-自己決定権を希求する琉球と無恥なヤマトゥ』『共生社会研究 第11号、2016年』所収など)で自己決定権について述べてきた。要旨を再録する。

 国際人権規約第1条1は「すべての人民は、自決の権利を有する。この権利に基づき、すべての人民は、その政治的地位を自由に決定し並びにその経済的、社会的及び文化的発展を自由に追求する」と謳い、すべての人民は自己決定権を持つと規定している。ここで言う「人民」とは既存の主権国家の「国民」と同義ではない。国家内における特定集団(先住民族等)も「人民」とされ、自己決定権がある。特定集団とはエスニック・アイデンティティや共通の歴史的伝統、文化的同質性、言語的一体性等を持ち、集団自身が「自己認識」を持っている集団のことで、先住民族を含む。では、沖縄の人々はその「人民」に該当するのだろうか。

 近代国家が国民形成の名のもとに野蛮・未開と見なした民族の土地を一方的に奪ってこれを併合し、その民族の存在や文化を受け入れることなく、さまざまな形の同化主義を手段としてその集団を植民地的に支配した結果生じた人々が、先住民族と呼ばれうる民族的集団である。先住民族と言う時、日本人の多くはネイティブアメリカン(インディアンと呼ばれる人々)とか、南米のインディオの人たちを思い描くのであるが、どの民族が先に住んでいたのかという「先住性(indigenousness)」は、先住民族の資格要件の一つにすぎない。ここでは先住か後住かということは問題ではなく、植民地支配や同化政策がおこなわれていたか、が重要なのである。

 そうした理由から国連は、既に2008年10月30日付の国際人権(自由権規約)委員会第5回日本政府報告書審査総括所見で、琉球・沖縄人は自己決定権を持つ先住民族であるとの結論を出している。

 よって、琉球・沖縄人は日本国(民)に組み込まれているが、日本(ヤマトゥ)民族ではない先住民族である。琉球民族が日本国(民)に組み込まれたのは1899年制定の旧国籍法からである。ところが日本国民にもなっていない1899年の1年前の1898年に琉球・沖縄人は日本国家に徴兵されている事実がある。

「先住民の権利を主張すると、全国から沖縄県民は日本人ではないマイノリティーとみなされ」、「差別を呼びこむ」との豊見城市議会の意見書は本末転倒もはなはだしい代物である。“我々は先住民族たる琉球民族ではなく、れっきとした日本人(日本民族)だから差別しないでくれ”ではなくて、“我々は先住民族たる琉球民族である。先住民族が故に差別することはおかしい、許さない”と宣言すべきなのだ。

 そのように理解する筆者にとって、12月10日に扇町公園で開かれた「沖縄県民の民意尊重、基地の押し付け撤回を おおさか総がかり集会」で発言された兵庫沖縄県人会の方の挨拶に強烈に違和感を持った。彼は要旨、「『土人』とは何ですか。腰のみをまとい、手に槍をもち、ドクロの首飾りをしているとでも言うのですか」と発言したのだった。このようなレベルでは「土人」発言を批判したことにはならないのだ。

 前述した恵隆之介が「土人」「シナ人」差別発言について、<昨年、翁長知事は国連人権委員会で「沖縄人は先住民、自決権を尊重せよ」と自己差別的発言をしました。要するに自らを一種の「土人」とアピールしたのです。今度は大阪府警の機動隊員が基地反対派左翼に「土人」と発言しただけで「差別」ですって?>と投稿しているが、先住民族に対する侮蔑的な差別発言として糾弾しなければ、こうした発言にかすめ取られ、日本(ヤマトゥ)民族に同化を迫られることになるであろう。

 こうした筆者の見解に首尾よく表現した記事が、『沖縄タイムス』12月14日付に掲載された。それは12月3日に開かれた琉球民族独立総合研究学会主催のシンポジウム「高江、辺野古問題、『土人・シナ人』発言問題から考える琉球独立」での親川志奈子さんの発言を報じたものである。即ち、

   琉球大学大学院の親川志奈子氏は、「土人」という差別的な表現への怒りとともに「私たちは土人ではない」という反応も多かったとして「これでいいのかと大変違和感を覚えた」と問題提起。

   人類館事件などを例にしながら「この痛みや怒りと正しく向き合わなければ『土人と一緒にするな』と差別される存在を前提としたまま、逆に私たちも差別者になる。日本人に同化しなければ差別されてしまうという心理は、悲しいまでの被植民者の精神の表れだ」と問題視した。

というもので、核心をつく発言であるといえよう。

 
 
 
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