夜間中学その日その日 (489) Journalist World ジャーナリスト・ワールド
- アリ通信編集委員会
- 2017年4月9日
- 読了時間: 4分
近畿夜間中学校連合作品展
雪が舞う寒い日となった2017.02.12(日)、41回を迎える、近畿夜間中学校連合作品展が開かれた。大阪市北区の天満夜間中学が会場だ。美術、習字、手芸、陶芸はもちろんのこと、共同作品、数学、日本語、理科など、夜間中学生の文字やコトバを通して学びの中身が読み取れる作品が展示室からあふれている。毎日の学びから生まれた作品を持ち寄り、展示し、夜間中学生が鑑賞する。学びを確認する夜間中学の大切な行事の一つである。
『学校にきて表情が変った私』『日本の社会を知る勉強がいっぱいしたい』『仕事と夜間中学校時間のたつのが早い』。夜間中学生の書いた習字の文字が目に飛び込んできた。喜び一杯の文字だ。
「入学して7年目 あっという間でした いろんな人との出合い学び、いつもわくわくが止まりません。90歳の中学生。ひ孫が『かっこイ-』と言います。気持ちは中学生でこれからもがんばります」。こんなえんぴつポスターがあった。
1時間半近くかけて見て回ったが、作品を全部見ることはできなかった。前日、展示準備を行い、この日の午後4時過ぎには展示を撤去するという。一般市民にも公開されているが、何人の参加があったのだろう。夜間中学の存在を発信できる絶好の機会であるが、本当にもったいない作品展だ。「少なくとも、一県一校の夜間中学を」の情勢の中、夜間中学の作品展が全国各地で開催できればと考える。
この日午前10時から大阪市北区民ホールで作品展開会行事と近畿夜間中学校生徒会連合会の生徒集会が開催された。
2016年、前半の生徒会活動報告があった。「12月7日、『義務教育機会確保法』が可決成立した。私たち夜間中学校の支えとなり、新しい夜間中学が全国に増えていくきっかけになる法律です。しかしこの法律をどう生かしていくかは、私たちの運動にかかっているでしょう」とだけ述べ、成立した法律に対し生徒会としてのとりくみが提起されなかったし、意見発表をした12人の夜間中学生からも具体的な提案は聞けなかった。
「入学してはじめの3年間は勉強できることは当たり前と思っていた。夜間中学生募集活動や府教委との話しあう会に参加して、先輩方のこんな努力があったから自分も学ぶことができたんだとわかってきた。昼の学校では当たり前のことが、夜間中学は後回し、市議会では『中学校の勉強をしているのか』と言い、夜間中学のことを理解していない議員の発言がある。夜間中学に対し、理解が深まるようがんばっていきたい」「先生にもいろいろある。中には夜間中学のことを理解してくれない先生がいる。教育委員会には理解してくれる先生の配置をお願いする」など意見発表があった。
髙野雅夫さんも意見を述べた。
「24歳で夜間中学を卒業、今年で53年を迎えた。夜間中学の卒業生であることを誇りに生きてきた。みんなは夜間中学生であることを誇りに思っているか?」と問いかけた。会場からは「はーい」大きな返事が帰ってきた。
「大阪に夜間中学を作ったのは髙野雅夫だと言うが、嘘です。確かにビラをまいたのは髙野雅夫だが、それに応え、名乗り出た、小林晃、神部博之・八木秀夫など8人の仲間がいたからだ。名乗り出てくれなかったら夜間中学はできていない」「名乗り出てくれたから、大阪に夜間中学ができ、奈良、琴城(ひょうご)にも夜間中学ができたんだ。その歴史を切り拓いたのは夜間中学生だ」「1966年、行政管理庁の夜間中学廃止勧告に立ち上がり、映画を作り、母校の文集を持って1967年9月5日、夜間中学の開設を訴える全国行脚に出発して今年で50年だ」「いま大阪人権博物館で夜間中学の企画展が計画されている。みんなも、えんぴつポスターや作文や共同作品を出してほしい」「マララさんは国連で『1人の子ども、1人の教師、1冊の本、そして1本のペン、それで世界を変えられます』と言った。オレたちも同じ考えだ。マララさんを日本に呼びたい」「みんなに手紙と署名をお願いしたい。マララさんに手紙と署名を持ってイギリスに行く」「’90年の国際識字年で明らかにされたように、世界には10億人の仲間たちが、文字とコトバを学ぶ場を奪われています。だから、夜間中学生の皆さんが自分たちの生きる権利と学ぶ権利を主張するのは勿論のこと、どこまで仲間たちの生きる権利と学ぶ権利を主張して生けるかどうかが夜間中学生と卒業生ひとりひとりに問われていることを忘れないで欲しい」と語り舞台をおりた。
この呼びかけに応え、会場からは大きな拍手が返ってきた。
文の里中学校と琴城分校の舞台発表のあとこの日の集会を終えた。

この日の集会参加者は370人。