「沖縄通信」第122号(2017年4月) 3月24日、関西・沖縄戦を考える会は、新垣 毅講演会 「沖縄からの問い-自己決定権をめぐって-」を開く Journalist World ジャーナリスト・ワ
- 西浜 楢和
- 2017年4月18日
- 読了時間: 27分
関西・沖縄戦を考える会は 3 月 24 日(金)、琉球新報記者・新垣 毅さんを 招き講演会「沖縄からの問い-自己決定権をめぐって-」を開きました。この 会は「大江・岩波沖縄戦裁判支援連絡会」の後身組織として 2012 年 6 月に結成。 会の目的は「大江健三郎氏と岩波書店が被告とされた『沖縄戦裁判』の勝利の 成果を引き継ぎ、沖縄戦の史実歪曲を許さず、沖縄の真実を学び、広く市民に 知らせていく」というもので、筆者のぼくは現在、会の世話人を務めています。
以下は当日の講演記録で、文責は筆者の西浜にあります。

新垣 毅です。私は琉球新報に入社し て 20 年ほどになります。昨年 2016 年 春に東京支社へ移りました。部屋探し をしていると赤坂にいい物件が見つか った-不動産屋が沖縄出身の方だった -が、「琉球新報には部屋を貸さない」 と大家が言って来たので不動産屋は怒 り心頭だったのです。管理会社による 不動産屋への説明では「大家は右寄り」 だそうで、2 年ほど前に百田尚樹さんが 「沖縄の 2 紙は潰すべきだ」と言った
ことが話題になりましたが、どうもそ の大家は百田さんの考え方に共鳴するような方なんだろうと思いました。この 一件を 2016 年 3 月 20 日付『琉球新報』の「記者の窓」というコラム欄に、「強 まる排外主義 暗雲払うにぬふぁ星(北極星)に」と題して書きました。これ を書くとネットで物凄い反応があって、いわゆるネトウヨと言われる人たちか らは「反日テロリストにアジトを貸さなかった大家は英断だ」というような表 現でよばれています。その後、他の物件を探していると、逆に「琉球新報や沖 縄タイムスみたいなところに貸したかった」と言う大家がいて、家賃を大幅に 値下げしてくれました(笑)。これをまた 4 月 7 日付『琉球新報』の「金口木舌」 というコラム欄に書きました。 どうもこの日本という国は、ヘイト・スピーチやヘイト・クライムという癌 が進行してきたのではないかと感じました。今回は琉球・沖縄人ということで部屋を断られたわけではありませんが、言ってみれば国家的なものに、あるいは「愛国」と言われているものに背くような存在、例えば沖縄の米軍基地に反対するような意見を持つ人々、こういうのは叛賊だ、反日だ、テロリストだとレッテル張りして罵声を浴びせていくという構図がここ数年強くなってきている。最初は外国人労働者、あるいは在日コリアンのみなさんに-今もそうだが-差別が深刻化している。“琉球人お断り”というのは戦後もしばらくありましたが、どこか潜伏的にずっとあるものが、今表面化しているのではないかというのが非常に怖い。この理由はいろいろあるのかも知れません。ただ、今ヘイト・スピーチやヘイト・クライムの標的に沖縄がされているのは確かだと思います。 B.沖縄からの問い1. 沖縄で今、何が起きているのか 基地を押し付けるという物理的な差別と、ヘイトという差別、この二重の差別に今、沖縄はさらされています。前者の物理的な差別でいうと、①米軍基地建設の強行と、②南西諸島軍事強化の二つがあります。①は、高江のヘリパッド基地建設の強行と辺野古新基地建設を進めていることです。これは沖縄の民意に反した強硬策で、なりふり構わず進められている。②は、すでに与那国に自衛隊が配備され、石垣、宮古にもミサイルを置くという計画がなされている。何故そこに自衛隊を強化せねばならないのか。実はアメリカの軍事作戦に、もし尖閣列島で有事が起きた場合は宮古・八重山で封じ込める、そこで限定的な戦争をして終わらせるというエアシー・バトル(Air Sea Battle)という構想があります。それにともなって自衛隊にもヤマザクラという作戦があって、これは離島の奪還作戦です、奪還なのです。どういう作戦かというと、まずは攻められる、これは防げない。だから一回占領されて、それから奪い返すというものです。ということは島民はどうするのか。中国軍が攻めてくる前にどこかに避難させるのかというと、専門家に言わせるとそれはないでしょうと。だから島民は見殺しなんですね。まず島民が殺されて、それを奪い返す。これが尖閣有事の時の封じ込め作戦です。またしても沖縄は「捨て石」にされるというのが沖縄県民にとっては恐怖なのです。辺野古の基地建設に反対する根底には、いざとなったら基地があるが故に標的にされる、戦争になれば真っ先に死ぬ。これが沖縄県民に背負わされた本質的な恐怖、それに対する反発なのです。平時においては事件・事故が起こる。昨年2016年、女性が元・海兵隊員にレイプされて殺害されました。こういうことが繰り返される。1995年には小学校6年生の女の子が海兵隊員3人に輪姦され殺された。なくならない。このように平時における人権の侵害がおこなわれ、有事においては命が奪われる。これが沖縄の現実です。沖縄にとっては許せないことである。しかし、政府は普天間の危険性除去のためには辺野古に移設することが唯一の解決策で、沖縄の「負担軽減」につながると繰り返し言っている。果たしてそうなのか
2. 政府が言う「負担軽減」の欺瞞基地をつくってしまうと半永久的に沖縄は戦争における標的となり、事件・事故も繰り返される。政府がやろうとしている「負担軽減」というのは新たな基地の開発ではないか。機能が強化されて永久に固定化される、そういった側面を持っていないか。

沖縄の「負担軽減」といって基地を返還する場合は、必ず二つの条件がある。一つは、代替基地を県内につくること、もう一つは新しい基地でリニューアルすること。この二つが必ず付くのです。例えば、先日北部訓練場7,800ヘクタールの51%が「返還」されました。その代わりに150人ほどが住んでいる高江に6つのヘリパッドをつくるというのが条件だった。最近、アメリカの軍事報告書で明らかになっていますが、それには「返還」された北の半分は使用不可能地域と位置付けられているのです。1996年のSACO(沖縄に関する特別行動委員会)で、既に日米で返還が合意されていた。本当に沖縄の「負担軽減」というのなら、その時点で返してよかったはずなんだけれども、返還地域を人質にしつつ、ヘリパッドを新たにつくらなければ返さないよということなのです。しかもこのヘリパッドはオスプレイが使用する最新のものです。このことを日本政府はずっと隠し続けていました。大田県政の時、沖縄県は返還が決まった時歓迎しました。まさかオスプレイ使用のヘリパッド基地ができるということは翁長さんの時まで分からなかった。何故ならオスプレイが沖縄に配備されることをずっと日本政府は隠していた。アメリカはそういう計画があるという、アメリカ経由で情報が分かってくるが、日本政府はそれを否定してきた。沖縄の「負担軽減」といっていますが、米軍の報告書によれば、辺野古にも新しい基地ができる。ここにもヘリパッド基地をつくることで、沖縄北部一帯をヘリパッド基地の開発をすると書いてある。結局米軍としてはリニューアルしたいわけです。要らなくなる部分はある。北部訓練場はジャングルです。ベトナム戦争の時にジャングル戦を想定した訓練がおこなわれていた。もうジャングル戦をするという戦争はテロに対してはない。だいたい都市部でテロと戦う。だからあまり必要ではない。時代によって戦争の形態が変わっていくと施設も要らないものも出てくる。もう要らないという時点でも返さない。新しいものをつくらない限り返さない。これが沖縄の「負担軽減」といわれているものです。 辺野古の基地が出来れば嘉手納以南を返すと言っていますが、牧港の倉庫はる。騒音とか訓練形態とか、いろんな環境基準がアメリカ本国でクリア出来ないものが沖縄で訓練して、まあ訓練の草刈り場みたいになっている。

ある市民団体(筆者注:「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」)の調べによると、1945年4月以降2012年までの67年間で、確認できた米兵による性犯罪は約350件だった。申告罪なのでこの数字は「氷山の一角」でしょうが…。発生市町村が確認できた310件のうち、最も多かったのが那覇市の63件、次いで沖縄市55件、うるま市46件、宜野湾市22件と続く。ここからある傾向が 在 沖 米 軍 基 地 見えてくる。発生地は広範に及び、特に人口密集地で多く起きている。基地の有無に関係なく、米兵が動き回り事件を起こしている。近年は那覇でも住居侵入や強盗致死事件などが相次ぎます。実は私も那覇のマンションに妻と二人の娘を置いて東京に単身赴任していますが、マンションの理事会とかで「このマンションは米兵対策がちゃんとできているか?」という質問があります。基地がほとんど少ない軍港しかない那覇ですらこうした恐怖があります。抜本的に兵力を減らすとか基地をなくしていかない限り、この種の事件はまた繰り返される。では政府はどのように対応しているのか。オバマ大統領が昨年2016年、広島を訪問した時に安倍首相が、女性が元・海兵隊員にレイプされて殺害された事件に対して抗議したことになっているらしい。その後の政府の対応を見ると、この犯人が軍属だったので、軍属を明確化する作業をしている。それに対し沖縄からは日米地位協定を変えなさいと要求していますが、それには手を付けない。何故沖縄は日米地位協定を変えよと言っているのか。米兵は事件を起こせば基地のフェンスの中に逃げれば何とかなるという意識を持っていて、このことが米兵の間で流布している。そこに日本の警察が入れないということをよく知っている。こういう特権意識が犯罪の温床になっている、動機付けになっているところを変えていかねばだめだというのが沖縄の意見ですが、政府は軍属の明確化と言って、沖縄に軍属が何人いて、その軍属の内日米地位協定の範囲が及ぶのはここまでですよと検討しているが、軍属の人数すら把握できていないのが今の状況です、やがて1年経つが…。こういう枝葉の葉っぱの先っちょみたいな話をしている。これで画期的だと官房長官は記者会見しているわけです。「負担軽減」からはほど遠いと思います。 どうして沖縄の人々がこれだけ基地を嫌がるのか。基地容認派―仕方ないだろう、あきらめ的な容認なのですが―も嫌がります。それはやはり沖縄戦なのです。沖縄戦で住民の4人に一人が死んだ。この教訓は「軍隊は住民を守らない」と言いますが、守らないどころか殺しもする。それには特徴が二つあって、一つは集団自決(筆者注:強制集団死)、もう一つは日本兵による住民虐殺です。根っ子は一緒で「軍民共生共死」、一緒に死ぬという思想です。ですからどの家庭も家族、親族の誰かを失っている。清明祭や旧盆などで親族が先祖に拝む。沖縄戦のことは忘れたいと思っても米軍基地があるから忘れさせられない、忘却を許さない。例えて言えば、沖縄戦のトラウマ(心の傷)に米軍基地というナイフが刺さっている状態、これを抜いてほしいというのが沖縄の願いです。ちなみに普天間飛行場は沖縄の米軍基地の0.8%に過ぎません。100本ほどトラウマに米軍基地というナイフが刺さっていたら、わずかその一本にも満たないような基地を無条件で返してくれというささやかな願いに対して、政府はいや辺野古に大きな包丁を刺さないと返しませんヨと言っているに等しいわけです。では、このナイフを刺しているのは誰なのか?結論から言いますと日本政府です。アメリカはむしろ沖縄の基地は減らしてもいいという計画を持っています。何故か?沖縄の米軍基地の一番の特徴は海兵隊が多いことです。面積で75%-北部訓練場返還前の数字ですが-、兵力の6割が海兵隊です。この海兵隊とはどういう存在か?アメリカ本国では“荒くれ者”と言われている。比較的若くて有色人種で貧困層が多いと。そういう層の雇用の場にもなってきた。彼らが海外で展開している。
3. 海兵隊の役割変容/新安保法制と自衛隊との一体化
この海兵隊も時代の変化によって、もう要らないんじゃあないかという議論が20年も前から起きている。1950年からの朝鮮戦争では海兵隊は脚光を浴びました。殴りこみ部隊です。その後のベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争、アフガンと進んでいくと、空爆でほとんど決まってしまう。空爆で敵地がほぼ壊滅状態になったあとに海兵隊が行って、生き残っている人たちをせん滅する。それでは今はどうかといえばミサイル戦争の時代です。だから沖縄に基地をこれだけ集中させるとミサイル2発ほどで壊滅状態になる、分散させた方が良いというのがアメリカの軍事報告書にある。さらに海兵隊の役割も変わってきて、今何をやっているのか?テロの特殊作戦、人道支援、災害救助で、戦争から遠いのです。だからこれだけの人数が必要なのか、金食い虫じゃあないのか、減らしていこうという計画があったりします。海兵隊は後方支援部隊なのでここ沖縄にいる必要もなくて、グアムとかハワイとかオーストラリアまで撤退してもいいという打診がアメリカから日本政府にあった。しかもこの海兵隊がイランとかアフガンに向かう時は、佐世保の米軍基地から輸送船が来て海兵隊を乗せて行く。ですから時間がかかっても役割を果たせる。当初の殴りこみ部隊だった頃と全然違う。ちなみに尖閣で何かが起きた時に海兵隊は何の役にも立たないと言われています。オスプレイは戦闘機ではなくて輸送機ですから、尖閣諸島に着陸できない。ところが「本土」では、中国、北朝鮮が怖いから沖縄に基地がないと困ると漠然と考えていますが、沖縄にいる海兵隊は何の抑止力にもならない。では日本政府は何故留めているのか。二つの理由があると思います。一つは人質です。尖閣が有事の際にはまず自衛隊が戦争することになっている。アメリカ兵に血を流させないとアメリカは本気にならない。だからここ(沖縄)に米軍が居なければならない。ここに米軍基地を置いておかなければ、アメリカとの関係で尖閣を安保の適用(の範囲)にできない。もう一つは家庭教師です。自衛隊が海外で立派に戦争できるように訓練させる、鍛え上げる、そういう役割を担う。現に共同訓練が頻繁におこなわれています。今後は基地の共同使用もどんどん進むと言われています。これは「本土」も同じです。米軍と自衛隊の一体化です。一昨年の新安保法制の肝(きも)は集団的自衛権の行使です。集団的自衛権を行使するには米軍と一体化した自衛隊をつくり上げていかなければならない。この訓練が今沖縄で頻繁におこなわれている。新安保法制が成立する1ヶ月前の2015年8月、うるま市で対テロ特殊作戦用といわれているヘリが墜落しました。このヘリに自衛官が2人乗っていた、しかも怪我をした。安保法制の中味を先取りするようなことが沖縄ではおこなわれていたということです。安保の矛盾が沖縄にずっと押し付けられている証拠でもあると思います。
4. 政治とメディアの状況:強権・隠蔽・黙殺こうした沖縄の状況を「本土」メディアはどう伝えているか。
非常に「客観」性、「中立」性というのを気にする。最近の流行語で「忖度」と言われるものです(笑)。政権の顔色をうかがって政権批判的な報道をしないというのが顕著だと思います。在京メディアの全てだとは言いませんが、どういう考え方で報道しているかと言うと日米同盟こそが日本の国益であり、それを神さまみたいに位置付けて、そういう観点から見た場合、沖縄の反基地運動は邪魔な存在というような印象操作を政治家と一緒にやっている感じを受けます。東京MXというTV局が「ニュース女子」という番組の中で、沖縄の人たちをテロリストに例えて公共電波で放送しましたが、たかじんの「そこまで言って委員会」の制作会社のスタッフが作ったと言われています。沖縄に対するヘイトが強いのは、ここ大阪府警機動隊員が「土人」と発言したことにもつながる。沖縄戦で日本軍から「きさまら、土人が!」と言われた経験のある沖縄の人たちにとってはとっても傷つく言葉なんですが、この「土人」というのは福島の人たちにも使われている。だから使う方も意味が分かっていないと思うのですが…。法務大臣は最初「この発言は差別表現だ」と国会で答弁しましたが、鶴保沖縄担当大臣が「いや、これは差別表現じゃあない」と言い出した。それに対し沖縄選出の仲里利信衆議院議員が「閣内不一致ではないか」との『質問書』を提出したところ、「差別ではない」との『答弁書』を閣議決定しました。これがもし差別表現ではないとなれば、例えば学校現場で沖縄の子どもや福島の子どもが「土人」と言われていじめを受けた時、先生や親が「差別だよ」と注意しても、いじめた子に「内閣で差別表現じゃあないと決定しているでしょ」と反論されたらいったいどうなるのかということです。責任ある政治家が差別を容認するだけではなくて扇動するということが、いかに人を傷つけるかということです。沖縄ヘイトに対して内閣がお墨付きを与えたことになるわけです。この罪深さに日本国民が気付いているのかなぁと感じます。こういうのを放置すると-冒頭、癌と表現しましたが-、癌が進行して最終的にはブーメラン効果で大多数の国民に大きな影響を与えると思います。日本の人口は2050年には1億2,000万人から8,000万人になると言われている。4,000万人減る。この人口減でしかも超高齢社会になるわけです。今の経済をどれだけ維持できるかとなった時に、移民や移住者の外国人に頼らざるを得ない。こういう人々を排外主義やヘイトで迎えるのか。癌が進行するのを放置すると“日本に行かない、日本から帰る”となって、日本は孤立を深める。排外主義は長い目で見ると、自分たちの首を絞めているようなものです。人を傷つける罪深さもありますが、こういった側面もあるのです。沖縄に対する偏見はヘイトだけではなく、例えば沖縄は基地で食っているから基地がないと困るんじゃあないというのが平然と政治家からも聞こえる。沖縄の基地収入は全県民所得の5%に過ぎません。むしろ基地があった方が経済の発展にとって阻害要因だと最近では言われています。那覇市におもろまちという元米軍の施設が返還されて栄えています。北谷町の美浜も返還されて栄えています。米軍基地があった時の経済効果、雇用効果と比べて数十倍、数百倍伸びたのを県民は目の当たりにしています。今まで沖縄は<基地経済>か<命の尊厳>か、というところで揺れるというイメージがありましたが、経済界においても基地がない方が沖縄は発展するんだという認識が広がっているので、翁長知事を応援する「かりゆしグループ」とか「金秀」という大きな企業がバックについている状態です。 ですから沖縄は基地で食っているというのも誤解で、本当はおかしいのです。

C.自己決定権をめぐって1. 沖縄はなぜ今、自己決定権か
-キャンペーン報道の意図:縦糸・横糸印象操作、デマあるいは沖縄の問題の矮小化というものが政治家やメディアの中でやられている現状を打開するために、自己決定権をキーワードに、最近沖縄は訴え始めている。 自己決定権とは何か。国際法で定められている一番大事な人権規約と言われている国際人権規約があります。A規約とB規約があります。A規約が社会権(筆者注:経済的、社会的および文化的権利に関する国際規約)、B規約が自由権(筆者注:市民的および政治的権利に関する国際規約)です。1966年に国連で採択された。A規約とB規約のどちらも自己決定権が第1条に位置付けられている。何故かと言うと、集団の自己決定権が侵害されるとその集団を構成する一人ひとりの人権が侵される可能性が極めて高いからです。沖縄に例えて言えば、沖縄はずっと基地の整理・縮小や撤去を求めている、そういった自己決定権が侵害されているということです。日本では学会などで、自己決定権は民族自決権と訳されるが民族という日本語のイメージとはやや違うと思う。原文はAll peoples have the right of self-determination です。すべての人々、人民と言ってもいいでしょう。エスニック・グループとかネイションとか、血のつながりとか文化的同一性を彷彿させる民族ではないpeopleなんです。そこに住んでいる人でいい、沖縄に住んでいるヤマトンチュも含めてその権利を持っている。自決権という言葉は沖縄ではやはり「集団自決」を思い出してしまうので、なるべく使わないでおこうというところから自己決定権という言い方が流通している。この自己決定権には二つの側面がある。一つは内的自決権、もう一つは外的自決権です。内的側面というのは、既存国家の枠内で、人民が自らの政治的、経済的、社会的、文化的発展を自由に追求することが保障されることを指す。自治権の意味合いに近い。一方、外的側面というのは、既存国家から独立する権利を指す。内的自決権の行使が著しく阻害される状況は、さまざまな人権が侵害され続ける事態とも捉えられるため、それを救済するための「分離権」ともいえる。決して独立が前提だったり、独立ありきではありません。この自己決定権を沖縄で考えるキャンペーン報道を『琉球新報』でやりました。その時、私が考えたのは縦糸と横糸の関係で、この問題をとらえ返そうということでした。縦糸とは時間軸です。歴史です。歴史を掘り起こすことによって沖縄には自己決定権を主張する根拠が備わっているということを明らかにする。横糸は空間軸です。海外を取材することによって視野を広げ、沖縄で起きている自己決定権の主張は世界的に普遍的なものだと説得力を持たせるための取材をしました。縦糸の時間軸についてです。沖縄の問題を語る時、その出発点はよく沖縄戦と言われています。そうではなくて1879年の琉球併合(処分)から見て行く必要があるのではないか。ここで手掛かりになったのが琉米修好条約です。黒船のペリーが日本に開国を迫ってきた時に琉球王国とも条約を結んでいました。日本で最古の国際条約は1854年の日米和親条約ですが、これを結んだ4ヶ月後の1854年7月に琉球国王はペリーと条約を結びます。アメリカ側は英語ですが、琉球側は中国語です。当時琉球の公式文書は中国語です。内容はお互いに仲良くしましょうとか、アメリカの船が来た時には水とか食料を与えましょうといったもの。どうしてこんな条約を琉球が結べるのか。条約というのは主権を持った国家と国家が結ぶものです。日本の一部であるはずの琉球が結べるのかどうか。実はペリーは事前にすご琉 米 修 好 条 約く勉強してやって来るわけです。当時の江戸幕 府に「琉球とも条約を結びたいが良いか」と問うたところ、幕府は侃侃諤々議論する。当時、琉球は薩摩藩の属国みたいな所だったので、薩摩藩の意見も聞こうとかいろいろ意見が出ましたが、結論は「私たちは琉球と関係ありません」とペリーに答えた。だからペリーは琉球と条約を結ぶことになります。どうして江戸幕府はこういう返答をしたのか。当時、中国ではアヘン戦争があり列強諸国に苦しめられていることを幕府は知っていた。琉球如きでアメリカと戦争になったら大変だと、火の粉をかぶりたくないので、トカゲのしっぽを切るように琉球を切る。その後、琉球は1855年11月にフランス、1859年7月にオランダとも同じような条約を結びます。これは何を意味しているのか?琉球は当時国際法の主体だったという証拠になるわけです。何故そんなことを言うのかといえば20数年後(筆者注:1854年の25年後が1879年)の出来事に大きな影響を与えるからです。もし明治政府が琉球処分を断行するのだったら国際法に則った手続きをやらなければいけない。1879年3月、松田道之処分官は武装警官160人余、熊本鎮台兵約400人を伴って首里城を囲み「廃藩置県」の通達を読み上げた。「31日正午までに首里城を立ち退き、熊本鎮台分遣隊(日本軍)に明け渡せ。藩王は東京に移住せよ」と尚泰王を抵抗勢力の中心にならないように東京に連れて来る。こうした琉球処分のやり方は当時の慣習国際法が禁じた「国の代表者への強制」に当たり違反だ、不正だというのが国際法学者の見解です。 実際、アメリカはハワイ王国を暴力的に併合したのは誤っていたと謝罪した。当時、ハワイ王国は外交権を持っていてイギリスとかと条約も結んでいる、国際法の主体だった。クリントン大統領がおこなった謝罪は、1893年の併合からちょうど100年後の1993年のことで、このように世界の趨勢はマイノリティに対して歴史的な犯罪・過ちを謝罪し、共生していこうという流れがあります。では、沖縄の人たちは先住民なのかどうか。先住民族と日本語で言ってしまうと響きが良くない。未開の遅れた人たちのような響きがあるが、英語ではindigenous peopleといって、元々そこに住んでいた人々という意味で、血のつながりとか文化的同一性は全く関係ない概念です。琉球王国が独立国として存在していた、これだけで沖縄は先住民として主張できるわけです。現に国連は2008年に沖縄の人々を先住民として認定している。2007年に「先住民族の権利に関する国連宣言」が採択されます。ここには先住民の土地を軍事利用することは駄目だと軍事利用の禁止が謳われています。一つだけ付帯条件があって、先住民の人々が同意すること、これが条件。もし沖縄が先住民だと主張して、今ある米軍基地がこの「権利宣言」違反じゃあないかと言い出したら日本政府は困るわけです。だから、それに対して俺たちは先住民じゃあないと自民党県連の人たちが記者会見したり外国特派員協会で会見したり、一所懸命火消しに躍起になっている現状があります。一昨年2015年9月、翁長知事はジュネーブの国連人権理事会で演説をおこない、自己決定権と人権がないがしろにされていると訴えました。このように国際的な外圧も使わないと日本政府を動かせないと。そしてワシントンまで行ってロビー活動もしている。何故ここまで来たのか。沖縄の人たちは本当に日本に「復帰」したのか、「本土復帰」とは何だったのかいう問いの繰り返しの中で、自立とか自己決定権が出て来たと思います。
2. 憲法、そして国際法へ:
沖縄戦後史を振り返る 沖縄における「本土復帰」運動は、復帰の概念が変

化していきます。戦後すぐには“子が親の元に帰る”ように、私たち沖縄の人は日本人なんだから日本に帰ろう、あれだけ戦争をがんばったじゃあないか、だからそれを認めてほしいというような民族主義的な発想からスタートする。実際、復帰運動を先導した人たちも教員とか地元の知名人だったり、住民を戦場に誘導した人たちが復帰運動を始める。ところが1950年代に“銃剣とブルドーザー”で米軍基地建設のために土地が接収される。ここで人権意識が芽生えるわけです。土地が奪われるというのはすごく大きな人権侵害です。当時、沖縄は日本国憲法も適用されないし、アメリカの憲法も適用されない。アメリカの行政法が適用されていたが、これは米軍の運用最優先なので住民の人権は二の次三の次だった。1960年4月28日に祖国復帰協議会が結成されるが、この時に謳われたのが“憲法への復帰”です。これで最初の民族主義的な概念が少し薄まります。そのあとベトナム戦争が激しくなります。沖縄が出撃基地になるわけです。その中でベトナム反戦運動が世界的に広がり、国際的な反戦運動と沖縄の復帰運動が結びついていく。ここで言われたのが“反戦復帰”です。復帰運動は言葉だけ取ると日本ナショナリズム運動のように見えるが、内容は段々と普遍的な価値を高めていくような内容になった。1960年代後半になると“全基地撤去”を復帰運動の中で旗印として掲げるようになる。しかし1969年11月の佐藤・ニクソン会談で、沖縄の基地がほとんど残るということが分かった瞬間、日本に裏切られたという落胆が広がります。権利獲得闘争が沖縄の自立論に復帰後変わっていきます。その延長に自己決定権があると考えるわけです。広島原爆を哀悼し、連帯を訴える碑 先ほどの縦糸と横糸で言えば横糸の空間軸になりますが、自己決定権の取材で2014年9月にスコットランドに行きました。スコットランドは外交、防衛、金融、社会保障の一部以外はすでに自分たちの権限を持っています。議会も政府も持っています。分権が進んでいるにもかかわらず何故独立しようとしているのか?大きな理由の一つは、イギリス唯一の核兵器を積んだ原子力潜水艦の母港クライド海軍基地があることです。この基地が老朽化しているのでリニューアルしなければならない。これには莫大なカネが掛かる。そんなカネがあるのなら貧困層とか若者への仕事の対策とかに使えよとの主張があって、核基地の撤去が、独立を主張する政党・スコットランド国民党(SNP)の公約に掲げられている。ここの風景は何か辺野古に似ているような感じです。ここで住民たちが基地の監視活動をしています。20数人が掘立小屋に住んでいてウォッチしている。そこに広島の原爆に対して哀悼と連帯を訴える石碑があります。 この独立運動は非常に平和的です。ヨーロッパではスペインのカタルーニャやベルギーのフランダースなどで独立運動が起きています。何故平和的に独立運動ができるかと言えばEUの存在が大きい。だいたいがEUの枠組みを前提とした独立運動です。EUは地方自治を支援する仕組みが整っていて、分権もどんどん進んでいる。2014年9月18日に実施されたスコットランド独立の是非を問う住民投票は、55%対45%で独立「ノー」という結果でしたが、この流れはもう止められないと言っています。負けたあと、SNPの党員は2万5千人から2カ月で10万人増えました。住民投票がおこなわれてから8ヶ月後の2015年5月に実施された英下院総選挙でSNPは大幅に議席数を伸ばし、第三党に躍進しました。この時にはすでに2017年にEU離脱を問う国民投票の実施が決まっていました。「もしイギリスがEU離脱を決めれば、俺たちはもう一回独立投票をやる」と言っていました(筆者注:2017年3月10日付『英ファイナンシャル・タイムズ』[FT]紙は、スコットランド独立の是非を問う2度目の住民投票は今や避けられない情勢となっており、英政府の閣僚らはもはや時期の問題だと認識している、と伝えた)。果たしてEU離脱になりました。なぜイギリスはEU離脱を選択したのか?昔栄えた大英帝国を復権させようということを掲げてEU離脱を決めた。ところがこの流れの中でスコットランドがまた独立投票をやってもし独立派が上回ったら、イギリスは4つの連邦で成り立っているが大英帝国の復活どころか連邦が崩壊する。スコットランドの独立運動は、隣りのウエールズや北アイルランドにも飛び火しているので、こちらもそういう主張をし始めると今までのイギリスはもっと小さくなる。 私がスコットランドから何を学んだのか。EUが元々出来たのは戦争を回避するための装置としてです。フランスとドイツがしょっちゅう戦争をして人が死ぬ。フランスとドイツの真ん中にある鉱物資源を巡って奪い合うわけです。真ん中にあるオランダ、ルクセンブルグ、ベルギーが戦場になる。そこでこの3国が同盟を作ってイギリスとフランスに握手させる、鉱物資源を共同管理しよう、これがEUのスタートです。実はEUのアジア版があります。

3. 世界的展望と沖縄の青写真EUのアジア版を東アジア共同体構想といって、昔からあります。例えば姜 尚中さんや孫崎 享さんらが唱えていて、この枠組みはASEAN 10ヵ国プラス東 ア ジ ア 共 同 体 構 想three(日本、韓国、中国)です。鳩山 政権の時にこれをやろうとしたが、アメリカは面白くない。鳩山さんは「最低でも県外」と言って公約違反となったが、実は一番アメリカが怒ったのは、この東アジア共同体構想です。今、日米同盟と言われているものも担保しつつ、東アジアとも仲良くしようよと言う協調主義的な考え方は保守の政権にもありました。小泉さんの時には、この東アジア共同体の枠組みでは中国の影響力が強過ぎると、インド、ニュージーランド、オーストラリアも加えたRCEPという枠組みを作ろうとなった。RCEPは今でも生きています。TPPは事実上の中国包囲網です。これが駄目になったので、今はなるべく国境の壁を低くすることによって、最終的には安全保障分野でも仲良くしようという考え方です。もしこの構想が実現すれば、沖縄は今のEUにおけるベルギーのブリュッセルのように対話の場、交流の場という中枢的な所として、東アジアのかけ橋になる役割を担えるのではないか、というのが私の夢です。軍事の要石と言われている沖縄に、軍隊が必要のない環境をどのように構想していくかが大切です。東アジアを巡る日本の問題は二つあります。一つは領土問題です。竹島と尖閣です。もう一つは歴史認識です。靖国参拝、歴史教科書、従軍慰安婦の問題です。この二つの問題を真剣に解決しない限り東アジアの紛争の火種はずっとあります。解決に向かう対話の糸口を沖縄でやってほしいなあというのが願いです。今、排外主義とか言われている一つの原因は内向き志向になっていることです。夢を描けないと内向き志向からも脱せない。

4. 闘いの展望-人、カネ、ビジョン
今、必要なのは、人、カネ、ビジョン=夢の三つです。人権感覚を磨くことが大事です。あとはカネ、財政論が重要です。オスプレイを自衛隊が17機購入する計画があります。トータル3,500億円で、一機200億円余り。相場は80億円と言われている。あの欠陥機を相場の2点何倍かで買うわけです。ちなみにオリンピックの国立競技場は2,500億円で無駄遣いと言われて、1,500億円になりました。オスプレイを3,500億円で買うということにどれだけのメスが入っているのか。こういう風に考えると、防衛費については青天井、聖域化している。新年度予算で防衛費は5兆2千億円、教育費が確か5兆8千億円ほどです。 最後に強調したいことは、自己決定権を沖縄が主張するのと同時に、重要なのはヤマトゥのみなさまが植民地主義と決別することです。植民地主義とは、ある特定の地域-ここでは沖縄です-を道具のように使うこと、私はそのように呼んでいます。沖縄はずっと国防の道具であり続けてきた。植民地主義と決別することがアジアとの共生につながってい ると思います。先ほど紹介した琉球処分これを実行したのは伊藤博文です。彼はまったく同じやり方を1910年、韓国併合に適用します。帝国日本のアジア侵略は沖縄から始まったと言ってもいいかも知れない。その逆コースを沖縄からやろうと訴えています。沖縄に対する米軍基地の押し付け、あるいは沖縄ヘイトと決別することによって、アジアの人々とつながっていく、東アジア共同体を構想していく。 私の好きなマーティン・ルーサー・キング・ジュニアという、黒人の公民権運動を闘った牧師の言葉を引用します。彼の有名な演説に“I have a dream”というのがあります。非常にシンプルです。黒人も白人も子どもが同じ砂場で遊ぶ、これが私の夢なんだ、と。もう一回こういった夢をアジアで、日本人一人ひとりが考えないといけない時じゃあないかなぁと思います。ところが中国嫌い、北朝鮮恐ろしいというのが浸透していて、これが排外主義につながったりしている。このように日本の将来を自分たちで危うくするような発想が広がっている気がしてなりません。せめてマーティン・ルーサー・キング・ジュニアの夢をずっと描いて、共有していくことが大事だと思います。