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夜間中学その日その日 (494) Journalist World ジャーナリスト・ワールド

  • 白井 善吾
  • 2017年6月4日
  • 読了時間: 3分

労働・学習・遊び

今日も雨。一雨ごとに草の背丈が伸びている。菜種梅雨だ。厳しい冬、しっかりと根を伸し、昨日より今日と、この時とばかり茎や葉を伸しているのだ。こどものころ、裏作に大麦や小麦を作っていたこの時期、土曜や日曜は家族総出で麦畑に入り、畝の両縁の土を削り落とし、鋤簾(じょれん)と呼んでいた農具で、落とした土をもう一度麦の根元にかけていく農作業を手伝っていた。そんなとき、様々な出来事に遭遇した。

ヒバリが激しく鳴いて、麦畑にこしらえた巣に、人が近づくのをさえぎり、人の注意を自分に引きつけ、いっそう激しく鳴き、上がり下りを繰り返していた。畝の中にヒバリの巣を見つけ、中をのぞき込むと何個かの卵があったり、毛の生え始めた雛が動いていた。上空では親鳥が更に激しく鳴いていた。

前屈みの作業を続けると、腰が痛くなり、作業を中断して、背を伸すのだ。そんなとき、遠くの甍(いらか)を眺めると、その甍が踊っていた。かげろうが立っていた。

何でそんなことが起こるのか?親にたずねると、作業の手を休めず、説明をしてくれた。今度は聞いて、理解したことを自分の言葉で下の兄弟に説明する。それを聞いた親は説明を付け加える。そんな会話も交わしながら、子どもにとってきつい労働をしながら、いろんなことを学んでいたことを思い出した。教室の勉強とは違った厚みのある学びが展開されていた。

家の手伝いをしながら、いつのまにか麦畑が学びの場所となり、子どもの遊び場所となっていた。今の時代、私たちとはまた違った労働・学習・遊びを体験しているんだと考えるが、どことなく不安だ。

夜間中学の勉強はどこかよく似たとこがある。

根から掘り起こした大麦のひと束とルーペを準備して教室に入る。ルーペで穂を観察することがその日の目的であった。白い雄花がえいから飛び出し、花盛りの大麦を数本ずつ配った。

それは「大麦か小麦か?」から始まって、夜間中学生は大いに語った。麦踏みから始まって、収穫までの労働のこと。話が終わるのを待ち切れず、横から話に割り込みがある。話の内容がだんだん膨らみ、授業の展開を想定した教員の予想を遙かに超え、夜間中学生の語りが紡がれていくのだ。そんなとき、私は授業の展開に気をかけないようにしている。学習者の一人に徹するようにしている。本当に初めて聞く話、不断、あまり口を開くことのない夜間中学生が耳目を集め、話しているのだ。進度に関係がなく、テストもないからこんな展開ができるのかもしれない。教科の範囲なんて関係ない。理科の学習もあれば、社会科、日本語、数学、音楽・・・。どんな教科の内容も包括する学習が展開されていく。

「麦ご飯は栄養があるのは分かっているが、弁当箱をみんなの前で開くのが恥ずかしかった。米と麦を一緒に炊いて、米の多い箇所を入れてくれ持たせてくれた母親の気持ちを考えると言えないことは分かっているが、しかし恥ずかしかった」

頷きながらこの話を聞いていた、この空気を打ち破って、

「私らは収穫したこの麦も食べられなかった。日本の家畜の餌にするため、強制的に供出させられた」

長い沈黙のあと、「母親のこの気遣いはほんま、ありがたかった。親になったとき、このことはよく思い出します」と故郷(くに)のオモニの話に切り替えた。

この日の勉強で想い出した「麦秋のこと」と題する作文が届けられた。この作文を紹介するところから次の学習が始まった。

労働・学習・遊びが一体となった授業展開が夜間中学の学習では印象に残っている。自然の中にある原理を丁寧に見ていく、しかし合理性の眼だけですすめるのではなく、自然や人間のありのままの姿を感じ取る理科を追究する。そのヒントが「農業」にあると考えている。(2017.04.10)

 
 
 
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