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「沖縄通信」第124号(2017年6月)沖縄(琉球)も沖縄教区も、自己決定権確立への格闘が続く Journalist World ジャーナリスト・ワールド

  • 西浜 楢和
  • 2017年7月5日
  • 読了時間: 16分

 日本基督教団沖縄教区第77回総会が5月28日(日)~29日(月)に宜野湾セミナーハウスで開かれ、ぼくは大阪教区沖縄交流・連帯委員会から傍聴参加した。総会終了後、5月30日(火)から6月3日(土)まで辺野古新基地建設に反対する行動に参加、6月4日(日)ヤマトゥに戻った。

 キリスト教の会議と新基地建設反対闘争の間に直接結びつくようなテーマは見当たらないように思えるが、自己決定権の確立にむけて格闘する沖縄(琉球)と沖縄教区に通底する苦悩を、ぼくはつぶさに見た。

その1 辺野古-キャンプ・シュワブ前にて

 5月30日(火)、31日(水)、6月2日(金)の3日間は陸上のキャンプ・シュワブ前での座り込み、6月1日(木)と3日(土)の2日間は抗議船に乗り込み、大浦湾から抗議行動をおこなった。

5月30日(火)  沖縄縄教区総会が終わって、いろんな教区から傍聴に来ていた人たちがキャンプ・シュワブ前に集まっていた

5月31日(水) 6時起床。7時40分にはキャンプ・シュワブ前に到着。平良悦美さんが来ている。頭が下がる思いだ。雨のため11時頃からテントに移動する。そこで大宜味村の土木技術者である奥間政則さんから次のような報 報告を受けた。

キャンプシュワブ前で座り

辺野古の海底地質は空洞のある琉球石灰岩が多い。人間の骨で言えば、 骨粗しょう症のような状態だ。大型特殊船ポセイドンが調査した箇所は10数ヶ所と沖縄防衛局はHPで公表しているが、実際は百数十ヶ所に及んでいる。点ではなく分単位で面的に移動している。空洞の有無を調べる音波調査をしていた可能性があるからだ。どうみても地質上、基地の建設は不可能だ。1966年のアメリカ軍の調査でも地質が弱いと述べている。「漁業権を放棄すれば岩礁破砕許可を受ける必要はない」との3月14日付水産庁長官通達の撤回を- 沖縄のみならず全都道府県知事権限を奪うものなので -全国の自治体に申し入れる行動を起こしてほしい。

 続いて、ぼくはStop!辺野古新基地建設!大阪アクションの活動報告を 11時50分からおこなった。 昼食時、見ず知らずの女性がぼくのところにやって来て「先ほど大阪の報告をされた方ですネ。さすがに大阪です。感動しました。ありがとうございます」と声をかけられた。「ありがとうなんて…。基地を沖縄に押し付けているのはぼくたちヤマトンチュなのですから、当たり前のことをしているだけです。まだまだできていないのです」と答えると、「これを持って帰って、もっと広げてください。よろしくお願いします」と絵はがきをくださった。その絵はがきには美しい絵に「辺野古の海を守り抜く 首里天がなし辺野古の海は 人類の宝だ! Reserve alive the Sea of Henoko!」、「夢に見る人魚の涙 九条よ 抵触を裁け この基地建設」、「らでんの海 われらの守護神 辺野古ぶるー 自己決定権」、「辺野古・大浦湾を生き埋めにしないで! Dont bury Henoko&Oura Bay alive!」「辺野古にはほとんど貝だけでできた

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海岸がある 琉球処分、明治政府は琉球王国を接収。いま日本政府は、辺野古の過半の土地および海、山、空のすべてをアメリカに提供している」と記されていた。ぼくは涙があふれてきた。午後からはダグラス・ラミスさんも発言に立った。水曜行動日で参加者数も多く工事車両も入らなかった模様だ。相手側も水曜日は公休にしているみたいだ。

6月2日(金)どしゃ降りの一日。今日は船は出ないだろう。結集50名弱というところか。水曜行動日はおとなしくしている機動隊だが、結集人数が少ない日の弾圧は凄まじい。一昨日水曜日の公休分(?)を一気に取り戻そうという気配がありありだ。装甲車とフェンスの間に囲い込み、閉じ込める座り込んでいる人たちをごぼう抜きして、今までなら違う場所まで運んで解放していた。だか

ら、また座り込むことが可能だったのだが、- 多分2015年の安保法制に反対する国会前から導入したと思われる -、ごぼう抜きしてから装甲車とキャンプ・シュワブのフェンスの間に我々を囲い込み、閉じ込める弾圧手法を取っている。それを作業用車両の搬入が終わるまで何十分間も続ける。その間、装甲車から出る排気ガスを吸い、トイレにも行かせない。関西学院大学の豊下楢彦・元教授がしばしば使われる「そもそも」論という物言いからすれば、こんな権限を機動隊が有する法的根拠はどこにもないのだ。

 『歌壇』6月号に次の短歌が詠まれている。

スクラムを四人がかりで引き抜かれ機動隊車の囲いの中へ 中山眞理子

     (『沖縄タイムス』6月25日付)

 たまたまぼくが現場を一時離れていた時、昨日6月1日(木)、一緒に船に乗った千葉から来た夫婦連れの女性が倒れて救急車で運ばれた。脳挫傷の疑いとか。あと男性一人も運ばれた。 囲い込み、閉じ込めて、工事車両を搬入させる トイレ送迎の運転はすべてボランティアでおこなわれている。ぼくがその車に乗った時、誰に語るともなく運転をされていた方が「全国から動員をかけてくれて毎日 300人が集まれば止められる」と言う。「沖 縄での人数は限られている。この闘いは勝てる闘いなんだ」とも。身につまされる。

 関西での運動の拡がりと現地への派遣を同時に追求していかねば…と誓う。この女性の その後について6月25日付『沖縄タイムス』は、次のように報じた。

2日の抗議中のもみ合いで、頭蓋骨骨折や急性硬膜下血腫の重傷を負った中村淑子さん(64)=東京都=が退院後、初めてゲート前を訪れ、「無事に帰ってきた。これからも新しい基地建設は許せないと闘っていく」と元気な姿を見せた。中村さんは搬送後、集中治療室などに約2週間入院。血腫は徐々に小さくなっているが頭蓋骨は骨折前のようにくっつくことはなく、発症した嗅覚障害が改善するかは不明という。負傷時の記憶は、座り込み前に車に乗った時から後が全く思い出せない。現場にいた市民によるともみ合いの排除時、機動隊員に運ばれてきた男性に押される形で転倒し、頭部を地面にぶつけて出血した。(中略)中村さんは、「表現の自由を暴力で押さえ込む状況に驚き、許せない」と語り、国への賠償訴訟も今後検討する。「警察が非常に暴力的で大変だけど、気を付けて」と座り込む市民らを激励した。(後略)

 彼女の今後の無事を祈らないわけにはいかない。

その2 辺野古-大浦湾海上にて

6月1日(木) 午前5時に起きて、海上行動へ。午前中は「平和丸」、午後は「美ら

海」に乗船。船長の北上田 毅さん、仲宗根和成さんと再会。埋め立て工事現場で抗議行動大浦湾の海上では、沖縄防衛局の船、防衛局がチャーターした民間の漁船10隻ほどが、音量の高いマイクで四六時中、「抗議船のみなさん!カヌー隊のみなさん!ここは臨時制限区域です。立ち入り禁止区域ですのでただちに退去してください」と連呼する。これはただ単なる音で、言葉じゃあない、言語ではない。彼らもそれは分かっているのだ。対話しようという気は始めから更々ない。ただ警告を流しているということのアリバイ作りのためにやっているに過ぎない。逮捕者が出て、仮に裁判になった時、「このように私たちは警告していましたが、彼ら(抗議する人びと)はそれを無視し続けたのです」と証言するためにおこなっているとしか思えない。ぼくは「やかましい!一度言ったら分かるワ!」と怒鳴る始末だ。 海上から抗議する筆者 豊下さんの「そもそも」論からすれば、2014年6月20日に開かれた日米合 同委員会で、臨時制限区域を沖合2キロまで拡大し、立ち入り禁止を示す浮具 や浮標で取り囲んだ総面積を562ヘクタールに広げた。

 その「用途」は、「①陸上施設の保安、②普天間飛行場代替施設の建設に係わる区域の保安、③水陸両用訓練」とされているが、①、③は従来から変更がないので、実質的には②の新基地建設事業のために指定されたものである。こうした変更は国会の承認もなく、沖縄県の了承も得ていない、日米合同委員会という密室において数人で決めたものであって、少なくともぼくは認めていない。新基地を拒む沖縄の民意を無視したこのようなやり方を認めるわけにはいかない。ぼくは船上から力の限りマイクアピールを続けた。

「5月31日(水)から6月1日(木)にかけて、フロートの一部が複数箇所で切断されたと防衛局が発表」と報じていた。

午後3時。海上からだと、シュワブ沿岸でシャベルカーが砕石を敷きならしている作業を目視できる。「ガツッ、ガツッ」と鈍い音が大浦湾に響く。何とも言えぬこの音が心臓にまで響いてくる。この時、ぼくははっきりと波平教授の講演を思い出した。ぼくも世話人を務める「関西・沖縄戦を考える会」は2015年10月16日、『沖縄戦後70年-沖縄とヤマトゥ』と題して、琉球大学・波平恒男教授を講師に講演会を開いた。その中で、波平教授は次のように語った。

                       フロートを果敢に越えるカヌー隊

 講演を思い出した。ぼくも世話人を務める「関西・沖縄戦を考える会」は2015年10月16日、『沖縄戦後70年-沖縄とヤマトゥ』と題して、琉球大学・波平恒男教授を講師に講演会を開いた。その中で、波平教授は次のように語った。

 私が自分はウチナーンチュだと特に強く思ったのは、去年(2014年)の夏のことでした。去年の7月、辺野古の海でボーリング調査の再開が始まったのです。その時、自分の腹の底にドリルを当てられているような気になりました。以来、落ち着かない日々が続いています。

 当日の講演録を掲載した『会報』14号にはこのように記載しているが、実はこの時、波平さんは感極まって涙に咽び、一瞬会場は時計が止まった。すぐに彼は「研究者がこのように感情が高ぶってはならないのですが…」と言って、講演を続けられたのだった。波平さんが感受したものと同一のものをぼくも大浦湾上で受けた。

 そして汀(てい)間(ま)漁港の方角から「ドカン、ドカン」という音が聞こえてくる。米軍が実弾演習をしている音だ。ヤマトゥでヤマト

ンチュなら「今日は淀川花火大会? それともPLの花火大会?」と思うところだろう。この乖離!

 陸では工事車両98台が搬入された。2016年12月27日の工事再開以降、1日に入った車両台数として最多とのこと。水曜行動の翌日はいつもこれだとリーダー格の人が話していた。陸で女性一人(49歳)が道交法違反で逮捕された。

6月3日(土)この日も午前5時に起きて、海上行動へ。第8期沖縄意見広告運動が取り組んだ辺野古新基地建設反対の意見広告が『琉球新報』、『沖縄タイムス』2紙に2面をぶち抜いて載っている。2面を使えたのは今期が初めて。ぼくの名前も小さく載っている。 「不屈」が不屈に進む念願の「不屈」に乗船できる日だ。佐敷教会の金井 創牧師が船長として乗船することをあらかじめ聞いていた。いよいよ「不屈」に乗れる。ぼくが委員長を務める 大阪教区沖縄交流・連帯委員会は2014年9月、沖縄キリスト教平和研究所からの「緊急募金のお願い」に応えて、「辺野古新基地建設反対のため、船購入募金への協力お願い」を各教会・伝道所に依頼した。委員会の取り組みは微力なものだったが、こうした全国からの募金もあり「不屈」を購入するに至ったわけである。

 だから現在、大浦湾で活躍している抗議船はすべてが中古だが、この「不屈」だけが新艇だ。 砂利を埋めている どのような経緯か分からないが、午後から沖縄在住の友人と一緒に東京からやって来た青年が「不屈」に乗船した。二人とも赤い髪の毛、両腕から刺青が見える(本物かどうかは分からない)。世間ではこういう人をヤンキーと言うのかも知れないが、辺野古新基地建設に反対する人たちの風貌とは明らかに異

「不屈」を背景に金井牧師(左)と筆者(右)

なるけれど、昨日6月2日(金)、ぼくはキャンプ・シュワブ前で彼らを目撃していた。臨時制限区域では、海上保安庁のGB(ゴムボート)とカヌー隊、抗議船が対峙している。この光景を見て、東京から来た青年は気持が昂りYouTubeが出来るような機器で中継を始めた。

ぼくは今、沖縄の辺野古というところに来ています。ものすごい数のゴ ムボートです。見てください。防衛局の船からは凄い音量で警告してます。今、カヌー隊がフロートを越えて行きます。あ!海上保安庁が海に飛び込んで拿捕しました。真っ黒な恰好の男によって、海に投げ込まれたカヌーに乗っていた人はどこかへ連れて行かれてます。

こんなところが日本にあるとは知りませんでした。ここは日本とは思えません!びっくりです。見てください。美しい海です。こんな所に滑走路を作ってはいけないとぼくは思います。凄いです、凄いです。今まで知らなかったです。

 彼はこのような実況をしていた。その後、沖縄在住の方が船酔いを起こし、二人は途中で下船したが、今まで辺野古の状況を多分知らなかった二人が、現実を見てくれたことは純粋に嬉しく思った。これを機会にいろんな事を知り、また辺野古に来てほしいと心から思う。

Stop!辺野古新基地建設!大阪アクションからカヌー隊に参加している男性から

埋め立て工事現場で海保と対峙

                「西浜さん!人数が少ないとどうしてもやられてしまいます。何とか人を派遣してくだ

さい」との訴えがあった。この願いは心の底から発せられたものだ。「了解した」とぼくは答えた。海上での会話だから細かなことは話せなかったが、この要望に何とかして応えねばならない。ここでもまた陸上と同様、関西での運動の拡がりと現地への派遣を同時に追求していかねば…と誓う。

 この日、カヌー隊はパケット台船にまで到着するための予行演習に取り組んだ。「不屈」はそれに並走した。「不屈」に追いつこうと海保のGBが必死に追いかけて来るが、こちらの方が速度は速い。GBは追いつけない。さすが新艇だけのことがある。ただ「不屈」にはマイク装備がないのが弱点だ。だから抗議も肉声でとなる。取り付けるように金井牧師に頼もうと思う。途中カヌー隊2名が拘束され、3時45分、解放地点に向かう。4時10分に解放される。5時20分、この日のすべての行動が終了した。船長の仲宗根和成さんに「必ずまた来るから」と約束してお別れの握手をした。

その3 沖縄教区総会にて

 沖縄教区総会会場 三役全員がヤマトンチュ(議長:竹花和成、副議長:小倉隆一、書記:望月智)の体制から昨年度の総会で三役全員がウチナーンチュ(議長:平良 修、副議長:大城 実、書記:伊波美智子)に代わり、今年度は役員改選がないので、今年の総会のハイライトは1日目の夜に持たれた「当分の間、教団との間に距離を置くとの教区方針についての第2回学習協議会」だった。この学習協議会の第1回は 3月26日に開かれている。その呼びかけ文には次のように記されている。 沖縄教区が日本キリスト教団との間に距離を置いてから早や14年になります。 なぜ距離を置くことになったのか、なぜ距離を置き続けているのか、沖縄にあるわたしたちの教会の将来像を考えるために主の導きを求め、今だからこそそこの問題について理解を深め、現実を共有し共に祈り、交わりを深めていきたいと切に願っています。(後略) 第2回学習協議会の発題は、平良 修議長が「主キリストが沖縄に配置なさった日本基督教団沖縄教区の現実を見据え、その未来を望む」と題しておこなった。発題の結論部分は、「Ⅴ.当分の間、教団との間に距離を置いている沖縄教区にとってのいくつかの選択肢」として次のように記されている。

1.教団との間に距離を置く緊張状態を中止して、当たり前の教区にもどる。

2.「合同のとらえなおしと実質化」の再開を前提条件にして教団に復帰する。

3.「沖縄特別教区」として教団に復帰する。

4.元沖縄キリスト教団(現・沖縄教区)と元・日本基督教団の合意により、合同を解消する。両者において問題を継続的に深め担い、将来両者が良しとする際の再合同の可能性を残す。

5.沖縄教区は日本基督教団から離脱し、“沖縄の人を中心とした沖縄の教 会の形成”を求めた戦後第一世代牧師たちの方向性に添う。

6.「教会」は日本基督教団と諸教会であり、その中間の「教区は教会ではない」とする教団の中で、かつて沖縄キリスト教団という名の「教会」であった私たちが、教会性を持たない教区として存続し続けることは不可能ではないか。この点から、沖縄教区の日本基督教団からの離脱独立は正当である。

 発題で、平良議長は「69年合同は時代を先取りしているという誇らしさがあった」と語っていたが、沖縄の教会も「本土」復帰運動の影響を大きく受けていた。それは沖縄キリスト教団5役見解(議長、副議長、書記、事務局長、宣教師代表)に色濃く反映されている。『道しるべ』1967年8月号に発表された「何故沖縄キリスト教団と日本基督教団は合同するのか」と題する意見書で、合同の必然性は次のとおりとされた。

                                発題する平良議長

一、キリストの体なる教会は一つであるべきである。                     

二、両教団はもともと一つの教会であった。

三、施政権分離は両教団が分離していなければならない理由にならない。

四、沖縄人は日本人である。

五、両教団は神学面でも組織面でも同質同性格である。

 この5役見解について、平良議長は『旧沖縄キリスト教団第二世代牧師懇談会 会議録』の中で、2004年3月15日に出された「沖縄キリスト教団と日本基督教団の合同についての総括」に触れつつ、次のように発言している。 この「5役見解」の根本にある問題は何かというと、私たちは一体「ウチナーンチュ」なのか、それとも「日本人」なのかというところの自己認識の問題が根本にあるわけです。「5役見解」では当然「日本人である」というのが大前提なんです。だから、日本から離されて「沖縄人である」ということが非常に不自然なことだったんです。それで不自然なことは不自然なことなんだから早く解消すべきであると、自然な状態になることが正しいことなんだということが共通の認識だったんです。…つまり沖縄人であるということにこだわるという意識がなかったわけです。…だから、あの「5役見解」はおかしいという批判は、あの時点では出なかったわけです。(329ページ)

 こうした論議が出て来る背景には、沖縄における自己決定権の高まりがあるといえよう。 また別の箇所で次のようにも発言している。 第二世代の牧師の中には、日本基督教団から離脱して、第一世代の牧師たちが夢見た沖縄の教会を起こす意欲を抱く人たちがいる。私もその一人である。 69年合同前の沖縄キリスト教団が持っていた教会性が、日本基督教団の一教区になったことによって失われているという現実から、沖縄教区が自主独立の教会性を持つ教会へと復活することを切望している。その上で日本基督教団とは「独立教会と独立教会」の主にある交わりを新しく醸成していけば良いと考える。(303ページ)。

 しばしば登場する「教会性」という単語の意味をぼくは今まで十分に分からなかった。沖縄教区総会中に、ある牧師に「玉ねぎの皮を剥いて剥いて、その芯に辿りつくように問うた時、この教会性という意味は何でしょうか?」と聞いた。「それは決定権ということでしょう」という回答だった。この発言を耳にして、ぼくはストーンと納得がいけた。目から鱗だった。「教会性」というから、もっと信仰的な、宗教的なことかと勝手に推測していたが、沖縄政治思想(史)というぼくの研究領域から言えば、これは1972年の日本への施政権「移管」後に顕著に表れた政党の本土系列化(例えば、沖縄社会党が日本社会党沖縄県本部へ)や労働団体等の本土系列化(例えば、沖縄〇〇労組が△△労組沖縄県本部〇〇支部へ)などと同系統の事柄だったのだ。日本基督教団は「教団と教会には教会性があるが、教区にはない」とするが、これは教団と教会には決定権があるが、教区には決定権はないと言っていることだ。 ヤマトンチュのぼくがコメントする立場ではないが、平良議長の発言と発題の結論部分とを比較検討すると、

1.2.3.の選択肢は考えられない。

4.5.6.の選択肢から方向性を見い出す。

という論理的帰結に行き着く。

 この時こそヤマトゥに住む(なかんずく教団の)キリスト者の態度が問われることになる。

(付)山城博治国連演説

 共謀罪法が参議院で強行採決され、大田昌秀・元知事の葬儀・告別式がおこなわれ、そして遠くは57年前の60年安保闘争で樺 美智子さんが殺されたその6月15日、正義と不義が地球的規模でしのぎを削ったこの日、山城博治・沖縄平和運動センター議長は、ジュネーブの国連人権委員会で次の演説をおこなった。

 私は沖縄における米軍基地による人権侵害に対し、平和的な抗議運動を おこなっている山城博治です。

日米両政府は沖縄の人びとの強い反対にもかかわらず、新たな軍事基地 を沖縄に建設しようとしています。市民は沖縄の軍事化に反対して、毎日抗議活動をおこなっています。日本政府はその市民を弾圧し、暴力的に排除するために大規模な警察力を沖縄に派遣しました。

 私は抗議活動の最中、微罪で逮捕され、その後2回さかのぼって逮捕さ れました。勾留は5ヶ月間にも及びました。面談は弁護士以外との接見を一切禁じられ、家族とも会うことを許されませんでした。私は自供と抗議運動からの離脱を迫られました。これらは当局による明らかな人権侵害です。

 しかし、私も沖縄県民もこのような弾圧に屈しません。私は日本政府が 人権侵害をやめ、沖縄の人びとの民意を尊重することを求めます。

 
 
 
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