夜間中学その日その日 (506) Journalist World ジャーナリスト・ワールド
- アリ通信編集委員会
- 2017年8月29日
- 読了時間: 4分
“50年目の夜間中学開設全国行脚”高知のみなさん さぁ!
1967年9月5日、16ミリフィルム「夜間中学生」と文集『ぼくら夜間中学生』を携え、夜間中学開設を求めて、髙野雅夫さんは上野駅を発った。まもなく50年目を迎える。この開設運動は行政管理庁が発した夜間中学早期廃止勧告を打ち破る成果を生んだ。大阪・岸城夜間中学の公認と天王寺夜間中学の開設を皮切りに21校の夜間中学の開設増設に結びついた。
50年後のいま、「教育機会確保法」が公布され、国が自ら言い出した夜間中学廃止勧告とは正反対の「最低、一県に一校の夜間中学を創りましょう」とかけ声をかけている。こうなるのに、半世紀かかったことになる。
「今度は夜間中学で学んだ、学んでいる私たちが“全国行脚”をして、全国の仲間に呼びかける番です」。そんな話が同窓会の集まりであがっていた。そんなとき、高知の先生たちから「夜間中学の話が聞きたい」と髙野さんに連絡が入ってきた。
髙野さんは行くのはやぶさかでないが、大阪人権博物館の特別展「夜間中学生展」の準備で、とても時間がないと思案していた。そのことを伝え聞いた夜間中学卒業生から「私たちも参加し、話がしたい」と声があがった。早速、高知の先生方に参加する旨の返事をした。6月初めのことである。
夜間中学で学んだこと、話をしたいと返事したものの、日にちが迫ってくるとあれも話をしたい、このことも言っておきたい。と参加者から、髙野さんのもとに、準備した原稿が送られてきた。
参加を予定していた卒業生が、直前に参加できなくなり、急遽、次の時にと待ってもらうことになっていた卒業生が参加することになった。2017年8月21日、早朝、卒業生6人、教員(現・元)など5人は高知に向かった。
会場の高知市朝倉総合市民会館には70人を超える参加者の出迎えを受け、午後1時、着席した。証言映画『夜間中学生』を上映後、卒業生がマイクを持った。髙野さんは「50年後のいま、夜間中学にかける想い」と題して語りかけた。

「いま国はマスコミを総動員して、一県に一校の夜間中学を」との動きである。そして「それは画期的なこと」という声が聞こえる。しかし、「夜間中学の主役は夜間中学生。行政主導でなく学習者と教員が強烈なタッグを組むことが必要だ」と語り、夜間中学は岐路に立たされていると話した。
「夜間中学に学んで、今想うこと」と題して5人の卒業生が話した。
朝鮮半島から、母親と一緒に、大阪で働いている父親の家に来ましたと、夜間中学にたどり着くまでの自分史を語り、夜間中学で在日朝鮮人の歴史を学び、「本名の大切さも学んだ」「夜間中学で学んで、私は人生が変った」。夜間中学は「本音で話しても受け止めてくれる学歴がなくても安心できるところ」、「夜間中学で私は救われた」、「私たちと同じ想いを持った人たちが全国にも、この高知にもいる」と語った。
「夜間中学生から学んだこと」「夜間中学が持つ力」について教員は「夜間中学生は教員の指導者」であり、夜間中学が存在することはその地域のもつ教育力の向上につながると報告した。
高知県議会で、教育長は教育機会確保法に触れ「法の趣旨は本県のとりくみの方向性に合致している」。夜間中学について「需要が高まってきている。学習機会の提供の面で大きな意義がある」と述べ、夜間中学の新設を検討していることを明らかにしたと新聞は報道している(2017.06.29 高知新聞)。
この後、私たちは10のグループに一人ずつ分かれて入り、高知の先生と話しあった。どのように受け止めていただいたか、後日届けられる感想を待ちたい。
夜、7時から、高知市内に場所を変え、25人規模で交流会を続けた。
翌22日、公設民営化で運営されている、朝倉夜間中学校(高知市若草南町)を訪問、山下實さんからとりくみの様子をうかがうことができた。
50年前、髙野雅夫さんの呼びかけに応え、夜間中学を開設することを決意した「大阪の教育」は夜間中学生から何を学び取ったのか。このことを明らかにすることが求められていると考えている。
夜間中学生の想いが各地の学びを求めている学習者に届き、夜間中学の活動に参画しようと考える教員の背中を押すことになると考えている。学習者が主役となる、学習者の夜間中学開設に寄与したい。