夜間中学その日その日 (510) Journalist World ジャーナリスト・ワールド
- 白井善吾
- 2017年9月26日
- 読了時間: 4分
夜間中学の明日への展望をどう描くか(2)
「教育と運動」、夜間中学のあゆみの中で、教員の間でくりかえされる論争点である。教育と運動は別。夜間中学校研究会とか研究協議会は研究組織で、運動はできません。それは別のところでやってください。という意見が教員とりわけ、管理職から近年、聞こえる声である。
近畿夜間中学校の場合、教職員の組織として近畿夜間中学校連絡協議会がある。それとは独立に、学習者の組織、近畿夜間中学校生徒会連合会がある。各夜間中学の生徒会が結集した連合体組織である。
これ以外に、昼の学校であれば、PTAがある。学習環境、学習条件の改善を求め、その要求を教育行政に届け、改善を求めるとりくみを行っているが、夜間中学にはPTAはない。その役割を果たしているのが、卒業生や、教員OB 、市民が参加する 「夜間中学をつくり育てる会」等がある。それがない場合、生徒会がその役割を果たしている。生徒会が、直接、設置市の教育委員会のみならず、居住している行政に出かけていって話合いを行ったり、大阪府教育庁(教育委員会)と話合いを行ったりしている。
夜間中学に入学して、私たちと一緒に学びましょうという呼びかけは、おそらく昼の学校ではありえない。夜間中学では、積極的に、夜間中学生がさまざまな方法で募集活動を行う。自分が夜間中学に入学できたきっかけは、ある日、手にした、一枚の募集ビラである。このビラを手にすることがなかったら、夜間中学があることを自分は一生知らなかったであろう。そんな仲間に、夜間中学を届けるんだ。そんな想いで、夜間中学生は募集活動を行っている。そんなとき、「募集活動は運動です。取り組むことはできません」という声や圧力が夜間中学の一部の管理職らから起こってくるという。夜間中学の常識では考えられない動きである。

従来の昼の学校制度では考えられない、想定外の要求が、学習者の間からあがってくる。入学時期、在学年数、給食、修学旅行、就学援助制度等の支援から学習内容、わかりやすい授業、など多岐にわたる。大阪でも、夜間中学がスタートしたとき、教員にはある常識があった。中学校だから、小学校を卒業してない人は入学できません。3年で卒業です。中学校の教科書を使いますという考えである。教育行政担当者から「母国で義務教育を終えることのできなかった人は、日本の責任ではありません。母国で保障してもらってください。入学できません」という発言を聞いたとき、我が耳を疑った。こんな遅れた意識、これが現実なのだ。
夜間中学生の実態を知り、夜間中学生からでる要望とその背景を知り得たとき、教員はどの立ち位置をとるのかが重要である。内にある常識を一旦留保し、学習者の実態と、要望を受け止め、学習者と共に学習条件の改善を取り組んできたということができる。補食給食や就学援助制度の創設である。学齢者には就学援助制度はある。学齢超過者のそれはなかった。夜間中学は遠距離通学が昼とは異なる。通学費も半端な金額ではない。通勤定期か、通学定期かそれだけでも負担は異なる。大阪の場合、就学援助制度の創設は、設置市が50%、国に代わって大阪府が50%分担する大阪方式が1972年スタートした(しかし2010年、橋下知事は大阪府の50%負担をやめる方針を一方的に決め、制度改悪を強行した)。
形式卒業者の夜間中学入学を巡っての対応も分かれた。「一枚の卒業証書が夜間中学入学の邪魔をする」。九州から夜間中学のある、大阪に出てきたが、入学を許可されない。卒業証書を2枚発行することはできない。一番目の卒業証書を発行した学校の手続きを夜間中学が否定することになるとするのが主な理由であった。「真の学び」を求めた入学者の願いは無視されてしまった。夜間中学生は、第17回、18回の全夜中研大会で形式卒業者の夜間中学入学を認めるよう、直接文部省の中島課長補佐に回答を求めて迫った。「学習したい人には学習の機会を与えるべきではないか」と回答を引き出し、入学を認めさせた。1971年のことである。
学習者のためになるなら、制度をとやかく言わない。そんな判断を行政にさせるには相当のとりくみと、力量が必要だ。つまり運動が求められる。教育制度がもつ矛盾にどう折り合いをつけ、夜間中学の学びを実現するためには、運動抜きで実現は難しいということができる。
学習者の実態を無視して、あくまでも制度内でとの発想は、夜間中学が持っている、「いのち」と「ちから」を削いでしまうことになる。学びと運動は分けることはできない。夜間中学の明日への展望は、「運動」がキーワードである。