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夜間中学その日その日 (520) Journalist World ジャーナリスト・ワールド

  • アリ通信編集委員会
  • 2017年11月6日
  • 読了時間: 3分

特別展「夜間中学生展」(7)

来館者はチラシ、新聞記事、テレビ放送、大阪人権博物館のホームページ、フェイスブックなどを通して開催を知ったひとなどさまざまだ。両親と来館した中学生の場合、学校の先生が授業中に「オススメ」したことで、11月4日来館した。時間をかけて、展示物を丁寧にみておられた。一巡した後、髙野さんに行政管理庁の廃止勧告について質問、「学校教育法の中に夜間中学がどうして書かれていないんですか?」という声が聞こえてきた。髙野さんも丁寧に答えていた。

アンケートにも次のような感想が書いてあった。

「そもそも『夜間中学』の存在自体知らなかった。私たち昼の中学生はよく『学校つかれた』とか『休みたい』とか口にするが、仕事をしながらでもわざわざ夜学校に行く人がいると知ると我が身が少し恥ずかしくなる。『夜間中学』の存在や実態、その設立に多くの人びとの情熱あったことなど学ぶところの多い展示だった」

時間をかけ、展示を見ておられる人が多かった。夜間中学生が昼の学校にきて、話を聞くとりくみを前にして、夜間中学生展を是非みておきたいとやってきたという中学校の先生も盛んにメモをとりながら観ておられた。閉館時間となり、とても時間が足りません。もう一度きますと言われた。展示物とどんな対話をされたのだろう。

特別展の準備を進める中で、展示を断念した資料がたくさんある。学習者・夜間中学生がどのようなとりくみを行い、どんな学びをしたのか、そしてどのような発信をしたのかなど、学習者にこだわった特別展となった。それでも、「関西の夜間中学50年のあゆみ」を考えたとき、展示しなければいけない資料があったのではとの反省だ。

寄せられたアンケートの中に次のような指摘があった。

「私は寺田町の『麦豆教室』で岩井好子さんから学び、少しですがお手伝いをしました。岩井先生が髙野雅夫さんと出会い、天王寺夜中に奈良の自主夜間中運動へとそして退職後『麦豆教室』を開かれたこと、病気になりお亡くなりになる頃までをそばで見ていました。人生のほとんどを夜中のために、生きられた人と思います・・・」

夜間中学生展のことをお知りになり、当然展示があるものと思われたであろう。それだけに落胆も大きく、このアンケートになったと考える。

「うどん学校」関係では「うどん学校」の閉校式の写真、うどん学校の文集、奈良に夜間中学をつくる会の発足文書、奈良公園での募集活動。麦豆教室では文集「燃えろ麦豆」が閲覧コーナーにあり手に取ることができる。また天王寺夜間中学開校間もない頃の入学生の寄書きの中に岩井好子さんの筆跡を見ることができる。

 展示を追求したができなかったものがある。夜間中学生・玄時玉さんの詩『恋人 夜間中学の校舎よ』(岩井好子著「オモニの歌」に収録)に作曲家の林光さんが曲をつけられた。その楽譜を展示できないかと追求したが実現できなかった。

 アンケートを紹介する

 「先日、近くで識字学級のことを聞いた。文字を学べなかったことのつらさを知りました。今日『夜間中学生』展を見て、同じ時を生きているのに、なぜこんな不合理なことが・・・と思いました」

 「夜間中学の設立、維持に向けての熱い闘いの歴史を知ることができました。資料の保存に感激しました。とてもよかったです」

 
 
 
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