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夜間中学その日その日 (545)

  • 白井善吾
  • 2018年1月14日
  • 読了時間: 5分

 「夜間中学設置に係る調査研究会報告書」を読んで

「日本の学校は昔も今もテストの点数で生徒を順位づけてしまうだけでなく、生徒の人間としての価値まで測ってしまいがちである」「入試の成績のみを尺度にして、青少年のなかに際限のない序列化が持ち込まれ、それに教師も生徒も親もなじんできたのが現実であった」「学校は本来人と人を結びつける力として活用すべき〈知識〉を人と人との結びつきを絶つ方向に逆用、それによって自らを青少年のあいだに差別を持ち込む機械に変じてしまった」(小沢有作)。

 このように記した古いノートが出てきた。改めて思い返してみた。私は当時その指摘は当然だと思いつつも、点数で生徒を順位づけてしまっている現実を脱せない自分に矛盾を感じながら毎日の授業の組み立てに悩んでいた。生徒数の多い学校では、学年を何人かの教員で分担をして授業をおこなうことが多かった。そんなとき、私の授業は理科室を使って理科の実験や観察を丁寧におこなっていたので、他の教員と比べ進度が遅く、学年の統一の定期テストではいつも平均点が低かった。練習問題を多くこなして、定期テストに備えている授業ではないから、他のクラスと比べればテストの点数では明らかな差がでていた。実験と観察を通して問う設問ではそう差はなかったがそれでも低かった。子どもたちはそれはそれで、わいわい言いながら、実験や観察に参加していた。子どもたちや保護者からは不満はあったと思うが、変更を求める声は私には届かなかった。

 教科担当者間で議論はしたが、「点数学力」信仰の呪縛から解放することはできなかった。そして学年全体を同じ条件で点数化して、輪切りしていく評価方法から抜けることはできなかった。数値化された結果が全てで、クラス毎、さらには学校毎の数字が大手を振っていた。義務教育9年間のうち、私のような教員に出逢うこともいいかと自分自身で納得し、その姿勢変えることはしなかった。夜間中学に転勤するまでの私であった。

 夜間中学に来ると様子は一変した。教科書は使おうにも使えない。学齢を過ぎた人から、高齢の学習者まで、何年も同じ学年に在籍する学習者。前の時間にやったことを前提に授業を組立てすれば前の時間欠席した学習者をはじめ、多くの学習者を置いてきぼりにした学習展開となる。当然のことだが、既習の知識を前提としない、分からないところは見たらよいし、まねすればよい。気軽に周りに尋ねられる雰囲気も大切だ。その雰囲気を出すため、教員の側も、分からないところは、学習者に尋ねたりした。そんなとき教えるもの、教えられるものの立場を固定化せず、逆転させ、展開する学習にたどり着いた。

 夜間中学生が文集に書いた自分史を読み込んで、経験体験を引き出せる組み立てに注意を払った。職員室で話されている他の教科での授業内容、夜間中学生がどんな仕事を経験した方かなど、いろんな情報が役だった。教科の性格にもよるのかもしれないが個別授業ではなく、集団で、わいわい言いながら、突っ込みが入り、学習内容が膨らんでいく、それを聞きながら、別の学習者が次の展開をになうという方法を多用していた。当然、いまの学習内容が社会問題や、出来事にどのように関係があるのかを積極的に取り入れ議論していった。

 社会の出来事を考えるため、そこに横たわる基本的な考え方を授業で展開した。食糧問題、南北問題、遺伝子組み換え、種子、原発、エネルギー問題、電気料金の内訳、アスベスト問題、地球温暖化、環境問題等である。

 私の場合、夜間中学で終わらず、もう一度昼の中学に転勤して実践することができたのはよかったと思っている。理科の授業だけではなく、夜間中学生から実際に学んだ、中国からの引揚げ帰国者の教育問題、在日朝鮮人教育の課題、いじめ・不登校問題、部落問題学習を昼の子どもたちと考える実践ができたことだ。夜間中学生の胸を借りて実践したことは昼の学校でもとりくんだ。それは特にその課題を持った子どもたちが積極的に発言し、学校の中で元気になったことに現れた。

 そんなとりくみの一環として昼の子どもたちが夜間中学を訪問して夜間中学の授業を体験し、交流をおこなった。それを子どもたちが取材した。それをまとめ、壁新聞をつくって報告する、そんな実践であった。

 この夜間中学生の胸を借りる実践は「点数学力」を超越した学びである。夜間中学生も昼の子どもたちのみならず、教員が学ぶことのできる実践であったと考えている。

 文科省の「最低一県一校の夜間中学開設」のかけ声で、行政も動き始めた。各地で「夜間中学設置に係る調査研究会」が開かれその報告を見る機会があった。

 そこで論じられているのは「義務教育を終えることのできなかった人たちの学びの場をつくりましょう」という観点からの議論しかなされていない。夜間中学が開設されていないのだから仕方ないのかも知れないが、上にあげた、夜間中学の開設がもたらすさまざまな効果については残念ながら議論されていない。

 昼の学校とは違った「点数学力」を超越した学びが提起できること。それらを通して『ヒトが学ぶことの意味』を教員も子どもも考えることができる。夜間中学を開設すると「儲かりまっせ」という主張を先発の夜間中学はしていただきたい。各地に設置された「夜間中学設置に係る調査研究会」は耳を傾け、積極的に評価すべきだと考える。

 
 
 
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