夜間中学その日その日 (552)
- 白井 善吾
- 2018年2月23日
- 読了時間: 3分
2018年のいま、私たちは
「夜間中学」に類する用語は戦後の教育関係法規のなかにはなかった。教育法のなかに位置づけようということは夜間中学をはじめとする関係者の永年の願いであった。夜間中学の開設を訴える自主夜間中学の学習者やスッタッフを前に切り捨てるように「法律にない学校だ。つくる義務はない」と言った教育行政担当者の言葉は決して忘れることはない。「法律にない学校」のつらさをいやというほど私たちは経験している
1971年10月25日、大阪市の天王寺夜間中学を訪れた日教組槇枝委員長(当時)は授業を見学し、夜間中学生と話し合った。「義務教育を受けたくても受けられなかった人たちのために夜間中学の設置を文部省に要求していく」「これまで私生児的な存在だった夜間中学を『国家の子』として認知する必要がある」として夜間中学設置運動を日教組の方針に掲げることを表明した(1971.10.26 朝日新聞)。

夜間中学関係者の熱意が届き始め、山が動き始めたのは、日本弁護士連合会が「学齢期に修学することのできなかった人々の教育を受ける権利の保障に関する意見書」を国に提出した2006年である。
2009年、民主党は議員立法で「学校教育環境整備法案」を提出。参議院は通過するが、衆議院解散により廃案となった。2012年、夜間中学関係者は国会内で、義務教育等学習機会充実に向けた「院内集会」を開催。2014年、超党派の夜間中学等義務教育拡充議員連盟を発足(57名参加)。そして、2016年12月7日、夜間中学を法的に位置づける「義務教育の段階における普通教育相当する教育の確保に関する法律」が議員立法で成立した。
この法律で夜間中学が法的に位置づけられることになった。一方、不登校の子どもが法的に定義され、別施設、別教育課程に分離・排除される可能性が危惧される問題を含んだ法律であることも押さえておきたい。
国や文科省は、法律が成立すると判断したのか、「各都道府県に1校以上の夜間中学が必要」と答弁(2014年)、「形式卒業者(形だけの卒業者)の夜間中学再入学ができる」(2015年)などそれまで執ってきた夜間中学の施策を180度転換する方針を出し始めた。政府インターネットテレビで『いまからでも、まなぼう!公立中学校の夜間学級』の動画を配信。『夜間中学について知ろう』(18分19秒)で1年間にわたってラジオ放送を流した。リーフレット、ポスター作成など矢継ぎ早に出してきた。マスコミも夜間中学を取り上げ、各紙、社説で夜間中学を扱った。
2018年2月、67次日教組全国教研でも夜間中学のレポートが報告論議された。関心が高く、多くの質問が出されていた。しかし、このように夜間中学が多く扱われるようになっても、教育行政、教育現場に夜間中学の実態は知られていないのが実情ではないだろうか。
いま、夜間中学は全国に31校存在する。うち18校は夜間中学開設を求める市民の運動によって開校した夜間中学である。義務教育を受けることのできなかった人たちが学ぶ自主夜間中学を開設、学習をおこないながら、学習者が中心となって開設運動を展開した。開設を認めない教育行政に、公立夜間中学開設を認めさせてきたとりくみと歴史であった。
いま、法律が施行されて、地方行政は夜間中学を設置する義務がある。さぁ、夜間中学を開設しなさいという国の姿勢である。これは夜間中学にとって最大の危機といわざるを得ない。さらに、学齢の不登校の子どもたちは夜間中学で学びなさいとなりかねない危険性がある。
学びを求める当事者の立ち上がりと、学習者の実態に合わせた学びが重要である。教員もその経験がない、学齢の子どもたちと異なる学びが要求されるのだ。再び夜間中学を不登校になる授業や学校にはしてはいけないのだ。
学習者の思いに寄り添える夜間中学がつくられることを訴えたい。その営みは学齢の子どもたちの学びにも通底する。数値化される「点数学力」を乗り越えた豊かな学びを追求するものだと考える。この点から、チャンスでもある。