夜間中学その日その日 (563)
「金城実先生を囲んで」 天王寺夜間中学同窓会のつどい
天王寺夜間中学は1969年6月5日、開校した。今年で49年を迎える。50年を前に、同窓会総会のあと、金城実さんを沖縄から招き、上記集会を開催した。同窓会総会は6月の第1日曜、開催と決め、多くの同窓生、元教員が参加し天王寺夜間中学で開催してきた。2018年6月3日、この日は同窓会員以外にも呼びかけがあり、多くの関係者の参加があった。
金城さんは天王寺夜間中学に英語の先生として赴任し、美術の授業もおこなった。1973年、ほぼ1年かけて、夜間中学生の共同作品「夜間中学生の像」を完成させた。次の、1974年には文の里夜間中学に転勤、「オモニの像」の共同製作にとりくんだ。

金城さんは夜間中学の教員として働かないかと話しがあったとき、はじめ、自分は夜間中学に差別と偏見を持っていた。「文字もかけない、えんぴつの持ち方もわからない人たちが学んでいる。そんな人たちを相手に・・」と告白した。夜間中学生との出会いは、「部落解放運動へ必然の出会いとなり」、のちに住吉の解放会館に「解放へのオガリ」像(高さ12.3m・幅7m)製作のきっかけになったと語った。
今はどうか知らないが、当時行政は夜間中学を「積極的にあたたかく見ていなかった」。障害を持った高橋栄一さんが入学したとき、昼の学校の校門の扉は閉め、横の狭い門から出入りをしていた。その門で高橋さんが怪我をしてしまった。広い門を開けていたらそんなことは起きなかった。
出来上がった像を建てるとき、天王寺はもめなかったが、文の里はそうではなかった。昼のPTAからクレームがつくのを恐れたのか、「(オモニの像を)外には出さない」と決めていたようだ。夜間中学の生徒会が準備周到に準備し、ある日曜日、一瞬のうちに建ててしまった。
資料として配付された、金城実:「教育史を照射するものとしての『オモニ』の像」(解放教育1975年3月号)には「夜間中学の本来の機能は、差別によってそれまで学ぶことを奪われてきた人が、自分の力で学習権を勝ちとり、同時に真のなかまを見出すところである」と書いている。今も生き続ける主張である。
金城さんは、夜間中学生の共同作品作成の作業を通し、夜間中学生の問いかけに向き合い、「夜間中学生として誇りを持っていく姿」を「オレにとって、夜間中学生は私の先生だ」と語った。生徒自身が自分たちのことを自分たちで決める。自治活動の大切さを強調した。
「日本の教育がどこに向かおうとしているかがわかるのが、夜間中学であり、定時制だ。夜間中学生や定時制の高校生が日本の教育はこれでいいのか、生の声をあげていこう」と語り発言を締めくくった。
この提起を受け、卒業後の学びの場、就学援助補食給食の闘いなど在学時代の生徒会活動を語った。来年の50年の取り組みを成功させ、夜間中学の統廃合を許さない闘いに立ち上がる決意を語った。
髙野雅夫さんは「来年の50周年は天王寺をはじめ、オール関西の50年だ。体育館をあふれさせよう。それが歴史の必然だ」と語った。
会場を変え、引き続きおこなわれた語らいの場では運動場の片隅に、金網で囲われた「夜間中学生の像」の現状について、これでいいのか?提起があった。
資料で配られた除幕式を伝える朝日新聞の記事(1974.02.27)の写真は天王寺校内にあった「木魂の森」内に像は据えられた。現状は「砂漠」の中ではないのか?像も今の段階では、補修は大きな金額にならないとの説明もあった。「オモニの像」も本来の場所に戻すことを50年のとりくみの一つにしてはどうだろうというという提起である。是非とも実現しなければとの想いを参加者確認した。
同窓会役員会は翌日反省会を開き、50周年のとりくみへ大きく歩み出す。






















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