夜間中学その日その日 (1104) 夜間中学資料情報室
髙野雅夫夜間中学資料室の拘り 2026.07.25
2014年11月も過ぎたころ、髙野雅夫さんから連絡が入った。「家にある夜間中学の資料を守口に送ります」。
筆者は2014年3月、退職していたので、「髙野さんから夜間中学の資料が届くので」と夜間中学に連絡し、受け取りをお願いした。学校から「どんどん届いています」と連絡があり、学校に駆け付けた時には丁寧に梱包された段ボール箱が積み上げられていた。守口夜間中学にない夜間中学資料だろう。せいぜい10箱程度だろうと予想していた。見事に外れた。
夜間中学の資料が散逸するのを恐れ、その整理と分類作業を少しずつ始め「夜間中学その日その日」の記事をジャーナリストネットワールドのコラムに投稿したり、8冊の記念誌や書籍を出版していることを髙野さんが知るところとなり、守口夜間中学へとなったと勝手に考えていた。
50箱近くが積みあがった資料は髙野さん同席のもと、開封し、整理作業を開始するべきだと考え、髙野さんの来阪を待っていた。
ここで大きな問題点があった。守口夜間中学は校舎を建て替え、3校の小中学をあわせて義務教育学校にすることが決定しており、移転期日が迫っていた。このまま守口で整理分類作業を行うことは不可能のため、2015年4月、長栄夜間中学に資料を移動させていただいた。東京から東大阪に住所を移した髙野さんを中心に、夜間中学退職教員の参加を得て、作業を開始した。
まず資料の全容を把握することに徹するため、目録作りから始めた。そしてその日の作業で生じた、疑問を直接髙野さんから聞く学習会を繰り返すことになった。
一枚の写真をもとに、髙野さんが語る内容は新鮮だった。それまでのとびとびの知識や髙野さんの怒りの発言の意味が「そうだったのか」と納得できる理解に深まっていった。
作業を進めていくと、それまで見えなかったことが霧が晴れるように課題が明らかになり、次の展開に向けた資料整理作業に変化していった。一つは大阪人権博物館(リバティおおさか)で特別展「夜間中学生展」開催の連絡が博物館から私たちにもたらされたこと。もう一つは関西の各夜間中学が開設50年を相次いで迎える。関西夜間中学50年をまとめる企画立案が私たちに託されていることなど自覚できていった。
「そのためにこの資料を活用されたら」というのが髙野さんが決して口にしなかった私たちへのメッセージであり、来阪の理由だと理解した。
これらとりくみは、広く夜間中学生や教員の参画をえて進めることを髙野さんは追求された。特に夜間中学生のかかわりを求められた。このことは一貫していた。「夜間中学展」でなく「夜間中学生展」。証言映画「夜間中学」でなく証言映画「夜間中学生」の名称に現れている。
2016年、熊本地震で大阪で急遽開催されることになった全人教研究大会の会場になった文の里夜間中学で証言映画「夜間中学生」を上映する企画も所蔵フィルムを16㍉映写機で上映。72回特別展「夜間中学生展」(2017.10.18~12.16)。そして2019年3月、『生きる 闘う 学ぶ―関西夜間中学運動50年―』(解放出版社)の出版も実現した。
これら作業を進めてきた長栄夜間中学の教室も、東大阪市立の意岐部中学に2019年4月移転することが決まっており、夜間中学資料も別の場所に移動先を決めることも大きな問題としてその判断を求められることになった。

天王寺や大阪府内の夜間中学、大阪人権博物館、大阪教育大学天王寺分校、長い時間をかけ関係組織担当者と引受先の話し合いを重ねていった。しかし、移転先が決まらず、緊急避難先として、神戸学院大学から返事をいただき、2019年3月末資料の移動を行った。
髙野さんの考えは資料の整理作業が続けられること。人権博物館で行った資料の公開展示、夜間中学や教育に生かせる夜間中学資料室であることを第1にその場所を追求されていた。

阪神淡路大震災の後、神戸市長田区番町地区で地域研究を展開されていた、神戸学院大学人文学部 水本浩典教授の研究室は番町地区にあった丸山中学西野分校の「夜間中学」について研究テーマを定め実践されていた。2017年前期、髙野さんを講師に招聘し講義が行われた。このことが最初であった。大阪人権博物館の特別展に来館。髙野さんに展示の説明を求める神戸学院大学の学生さんがあった。2018年、水本研究室では「こんばんは、夜勉です―丸山中学校西野分校大時計から出発した夜の勉強会―」を掲げ夜間の自主勉強会が始まり、なんと髙野さんが参加されていることを筆者は後で知った。髙野さんには大きなためらいがあった。2009年、1年間東京の大学で特任教授に就任、大学院生に夜間中学の講義を担当された。大学院生から夜間中学や識字について、大きな反応がなく、その時の体験が長く尾を引いていた。その髙野さんの頑なな心にこの変化は何? 何があったのか?
夜間中学資料が神戸学院大学に移って、髙野さんも毎週、夜間の自主勉強会に通い、学生さんの質問に答えるとりくみを始めた。水本・金編著『こんばんは、夜勉です―大学生が夜間中学を学ぶ―』に詳細に書かれている。
水本先生は日本古代史、律令学を研究されていた。史料学の手法を震災資料研究に取り入れ、大学生と一緒に、「協働」で震災資料の整理研究を実践された。学生と先生が「共に学ぶ」を貫かれた。この姿は夜間中学で大切にしている「学ぶ人に学ぶ」、夜間中学の学習スタイルに共通する考え方だ。髙野さんはここに共感されたはずだ。学生が夜間中学資料を使って、卒業研究をすすめることを了解された。
緊急避難ではなく「神戸学院大学 髙野雅夫夜間中学資料室」として資料が生かされていくことを選択されたもう一つの理由がある。上に書いた研究スタイルに加え、「官」ではなく「民」でとする考え方は「さわやかに野垂れ死にたい!」の姿勢に通底する。教授という権威を振りかざすのではなく、学生とともに汗をかく姿勢に髙野さんは共感されたと理解している。
定期刊行する髙野雅夫夜間中学資料室の研究誌『髙野雅夫にまなぶ』はこの考え方を大切にしていきたい。タイトルに込められた思いは、「髙野雅夫」さんと「ともに」「まなぶ」決意を表明したものである。






















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