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夜間中学その日その日 (581)

  • アリ通信編集委員会
  • 2018年9月30日
  • 読了時間: 3分

 「もうきてしまったのか?」「とうとう、やってきた!!」。そんな想いが交差するこの日がやってくる。

「何がきたの?」ということかもしれないが、夜間中学関係者、とりわけ関西の夜間中学関係者にとって、10月11日は特別な日である。

 1968年10月11日、証言映画『夜間中学生』を背に、夜間中学開設運動を実践していた髙野雅夫が大阪に入った日である。この日から半世紀、50年が経過した。

 この日の髙野雅夫の動きを見ておく。母校、荒川区立荒川第九夜間中学の在校生に書き送った「わらじ通信」に細かく記されている。

  10月11日(金)晴

子どもたちの病気で出発がのびのびになっていたが、いよいよ大坂の陣。七ツ道具をかついで東京駅ー。

 AM 7:45発こだま107号にベルと共に飛びのるー昨夜も大ちゃんのセキがひどく一睡もしていない。しかし幼い生命をふりしぼって病魔と闘う姿に生きることの尊さを思い知らされる。誰も自ら己の人生に挑戦しなければいけない。生きるーということは、あらゆる限界に挑戦することなのだ。その権利と義務を自ら放棄した人たちの人生は、人間として生きるーということに値しないのだ。我々はなんのために生きるのか?なんおために学ぶのか?今度の大阪の旅が一つの答えを出してくれるのではないだろうか。新幹線に乗るのがしゃくだから、今度はドン行で行ってやろうと思ったら10月1日から廃止―急行は10時間以上もかかってダメー結局新幹線に乗らなければならないようになってやがる。チキショウ!!

 AM11:45、新大阪着。早速大阪教職員組合訪問―上映運動、夜間中学、長欠児、義務教育未修了者の問題について話合いをする。

 「大阪市内に夜間中学を新設したい」ということは大変な仕事だと驚かれる。正直言って、長欠児及び未修了者の実態は全く把握されていない。15日及び26日に、大阪の教育関係者(先生、社会教育、市、解放同盟など)の集会があるので、そこで運動のテーマをアピール時間があれば映画を上映する予定。焦らずのんびりとやります。先は永い旅だからー。釜ケ崎のホテルに腰を落ち着けた。西成警察の前に昼間から大の男が寝ころんでいる。12年前に泊まった釜ケ崎に再び身を横たえる心境はじつに複雑だ。タタミ一枚の部屋(一泊180円)が俺の〈大阪城〉だ。とにかく元気でやる。わらじ通信乞うご愛読-。

 〈大阪(ド)城(ヤ)〉ホテル新大阪640号室  

                大阪市西成区海道町1の1

                      06-631-8780

 この日から214日(1968.10.11~1969.06.08)まで一日も欠かすことなく、214枚を超える「わらじ通信」を母校に届けている。

 50年後の今、「教育機会確保法」で地方自治体に「夜間中学開設」の義務を課し、国、文科省、行政主導の夜間中学開設のかけ声が流れている。これとは対極の夜間中学卒業生による、夜間中学開設運動が50年前のこの日、この大阪で展開が始まった。

 私たちは謙虚に、岸和田市立岸城夜間中学の公認と1969年6月5日、大阪市立天王寺夜間中学の開校を実現する過程に学ぶことが必要ではないだろうか。

 
 
 
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