従軍慰安婦問題 戦時下の性暴力
- 北口学
- 2018年10月16日
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従軍慰安婦問題についてはとても長く関心を継続させ、世界のあちこちを旅したり、南太平洋やアジアを旅するごとに資料収集や聞き取りをしてきています。上京した時には長い付き合いだった故・松井やよりさんの関係で「アジア女性センター」にはできるだけ足を向けるようにしています。
松井さんとアジアや欧州を旅したのは90年代後半から2000年ですが、私の従軍慰安婦への関心は70年代末、高校生の頃から。松井さんと出会い、戦時下の女性に対する暴力、北京女性会議のフォローアップなどでも何度もお会いし関心エリアが拡大し深刻さを実感したり。

きっかけは一つの出版社晩聲社(ばんせいしゃ)という出版社がお気に入りで、『皇后の股肱』『原理運動の研究』『文藝春秋と内閣官房室』他、多数の同社の書籍群。同社から新刊が出るたびに買い求めて読み漁っていた、高校生の時でした。 そして山谷哲夫監督ドキュメンタリー作品『沖縄のハルモニ』の上映運動に関わり、同名の書籍が晩聲社からのちに刊行されたりもしていたのが思い出されます。 何度かお会いして可愛がっていただいた土本典昭監督作品『はじけ鳳仙花』という、富山妙子さんを主人公に描かれたドキュメンタリー作品の上映運動では何度か監督や冨山さんと酒席を共にしたりお話をさせて頂く機会がございました。富山妙子さんの作品、今もアジア女性センターの壁面に飾られ、早稲田奉仕園の事務所に行く度に思い出が蘇ります。多数の素晴らしい展示、そして関連図録を販売されていますのでいつも購入いたします。 土本監督の映画でも繰り返し富山妙子さんがおっしゃっていた、そして上映会のシンポでも仰っていた言葉が今でも耳に残っています。 「どうして戦後、帰宅したら口をつぐんで、いいお兄さん、いいお父さんに日本兵が戻れたのか?戦場では性暴力や虐殺など残虐になれたのか?」

ずっとその問いかけが忘れられず世界を巡り、チェンマイ、チェンライ、カンチャナブリやマレーシア、インドネシア、韓国、中国、マキン・タラワ、ツバル、ナウル、フィリピン、ハワイ、パプア・ニューギニアなど、アジア太平洋地域の戦跡やワシントンの公文書館、豪州の公文書館、英国、そして沖縄で自問自答もしてきました。 いくつもの回答、幾つもの理由、思い浮かびます。でも、強烈なインスピレーションと、たくさんの関連書籍が見過ごしてきた大きな問題に気づいた気がします。これはちょっと文章化するか論文化してみたいなと考えている次第です。