夜間中学その日その日 (588)
- 白井 善吾
- 2018年11月29日
- 読了時間: 4分
「学ぶことは生きること」
「法務省は28日付で、第38回全国中学生人権作文コンテストの入賞作品を発表した。最優秀の内閣総理大臣賞には岡山県立岡山操山中2年、小西珠生(こにしたまき)さんの『学ぶことは生きること』が選ばれた・・・」とする新聞報道(2018.11.28福井新聞)があった。共同通信が配信した記事だ。どんな内容か読みたいと思っていたところ、工藤(札幌遠友塾)さんが、夜間中学増設運動全国交流集会ML 2617(2018.11.29)で小西さんの作文を紹介していただいた。
何度も読み返した。
夏休みボランティアで通った岡山自主夜間中学で出逢った、学習者のAさん、Bさんの姿を小西さんは「夜間中学に通う方たちの学びに対する情熱がまっすぐでとてもまぶしかった」と表現している。この感受性の鋭さと、自主夜間中学が持っている「場の力」がうれしかった。
夜間中学生と向き合う時、飾る必要のない、ありのままの自分にしてくれる、素直と表現したらいいのか、自分自身を見つめ直す思考回路を形成させてくれる、夜間中学の「空間の力」があることが行間から感じ取ることができた。
小西さんは「マララ・ユスフザイさんの国連でのスピーチが私の背中を押してくれる。『一人のこども、一人の教師、一冊の本、そして一本のペン。それで世界を変えられます。教育こそがただ一つの解決策です。教育を第一に』」と述べ、「私はこの夏,岡山自主夜間中学の皆さんに、学ぶことの意味を教えていただいたと思う」で文章を終わっている。
もう一つ、小西さんが、岡山自主夜間中学を訪れるきっかけは何だったのか?それも聞いてみたい。
私たちは、夜間中学や、自主夜間中学が持っているこの「場の力」を 文字で表現したかったが、ストンと落ちる言葉はいまだ見つけられていない。苦し紛れに『不思議な力 夜間中学』(宇多出版企画2004年)と表現し、その考察を、守口夜間中学の夜間中学生と教員で出版した。が、的確な言葉では表せていない。

1966年、行政管理庁が「夜間中学早期廃止勧告」をだし、国は夜間中学の廃止方針を示した。これに対し、夜間中学卒業生・髙野雅夫は逆に、学習権の保障を求め、夜間中学開設運動を実行した。そして広範な市民の運動を結集し、大阪市立天王寺夜間中学の開設を実現した。2019年6月5日で満50年、半世紀を迎える。
私たちは、50年のあゆみを明らかにするため、埋もれた資料と向き合っている。それをまとめて、夜間中学の明日を拓きたいと考えている。そのカギとなるのが、夜間中学が持っている「場の力」の解明である。本来「学校が持っていなければならない『場の力』」であるが、夜間中学や自主夜間中学でしか「場の力」は残っていない。それに小西さんは気づかれたのかもしれない。
ひとつ紹介する。大阪府内のある中学の2年生が「夜間中学探検隊」を組織。夜間中学を訪れた。そして夜間中学生の横に座って夜間中学の授業を体験した。しばらくして届けられた、子どもたちからの手紙だ。
「夜間中学に行っている人たちは、戦争の影響を受けた人が多く、大変な経験をしている人たちばかりでした…勉強しないといけない時期、したい時期にできなかった夜間中学生のみなさんは、俺らよりずっとずっと努力をしていて本気で勉強していると思いました。ほんまの中学生のように楽しんでいました。俺は夜間中学に行って本当によかったと思います。中国人の生徒さんが俺に教えてくれた中国語は難しかったけど、それと同じように日本語を難しく感じているはずなのに、真剣に逃げることもなく頑張っていた夜間中学生のみなさんは、本当にすごいと思います。これから勉強が大事になってくる自分たちも、本気で努力していかないとと思いました」
「守口夜間中学校は自分が想像していたのと全然違いました。廊下にはたくさん掲示物がありました。掲示物を見るだけでも、生徒さんが学校を楽しんでいる姿や必死になって作品を作っている姿が浮かんできて『すごいなぁ』って純粋に思いました。最初、すごく不安で、仲良くできるかなぁとか、自分が言った言葉で相手がいやな思いをしないかとか、顔がちゃんと笑えているかとか、本当にとても心配でした。でも、生徒さんたちみんなが優しくて、みーんな常に笑顔で、少しの時間お話しさせていただくだけでも、自分も自然に笑顔がでてきて、帰るときには自分まで常に笑顔みたいになりました。いくときはすごく不安だった気持ちが、帰るときにはすごく幸せな気持ちに変わりました」
小西さんの持った感想は、普遍性を持つ「夜間中学の『場の力』」の表現だと考えているが‥。