夜間中学その日その日 (590)
- 白井 善吾
- 2018年12月18日
- 読了時間: 5分
全国夜間中学校研究会
全国夜間中学校研究会は全国にある公立夜間中学の教職員が会員として構成された組織である。「夜間中学校相互の連絡をはかり、あわせて夜間中学校教育の実態と方法とを研究協議し、これの改善を促進して義務教育の完全普及に寄与することを目的とする」と会則に書いている。夜間中学を取り巻く諸課題にとり組み、目的を追求すると会則の「研究協議」の次元では収りきらないとりくみが必要となる。夜間中学相互の連絡を密にし、「研究協議」を進めていくと同時に、「運動」的側面も重要である。
かつて、夜間中学に勤務していた1990年、国際識字年のとりくみを全国夜間中学校研究会でもとり組むことを提起したとき、私たちは「『研究組織』で、『運動組織』ではありません」と主張する人たちがあった。結果として近畿夜間中学校連絡協議会として国際識字年推進中央実行委員会に加わった。しかし、全国夜間中学校研究会として加わることができなかった。
国際識字年のとりくみに参加し、夜間中学は全国の識字にとりくむ仲間の存在を知ることができ、「識字」問題の解決の重要性を確認、何よりも、夜間中学生が元気になれた。教室から社会に、そして世界へとはばたき、そして獲得した知恵と眼でもう一度、日本と社会と教室とクラスの夜間中学生を視る。大きな力を得ることができた。このとりくみは夜間中学の生徒会活動に大きな飛躍をもたらした。1990年の全国夜間中学校研究会の判断は残念な判断であったと今でも思う。
全国夜間中学校研究会は全国組織だといっても、事務局はそれに専念できる実態ではない。授業も他の教員と同じように担当し、やりくりをして、事務局の仕事をこなしていく。遠方の出張も入る。今でこそ、メールでやり取りをすればその次の日には判断ができる状況であるが、それでも激務である。緊急な判断を求められ、その文書作成も待ったなしである。
「教育機会確保法」が成立した今、「学校型教育制度」のもつ問題点を不問にし、「官制の夜間中学」が動き出している。全国夜間中学校研究会としても看過できない展開のはずだ。その意味からも夜間中学にとって、〝最大の危機″であると考えている。
この情勢を踏まえ、全国夜間中学校研究会の機能強化を図るため、教育行政が人的に支援をする判断があってもしかるべきだと考えるが、「研究組織」という考えがまかり通り、場合によっては逆の展開になっているのではと思われてくる。それは64回の全夜中研大会の資料集の組み立てを見ていてそんな思いを持った。

もう一つある。夜間中学生数が下降傾向を取っていることだ。2098人(2013年)から減少が続き(1年間の増加はあったが)2018年は1698人。この間、形式卒業生の入学ができるようになった変化もあり、2018年は119人が含まれるから、その単純比較では【2018-(1698-119)=439人】と439人減少している。
夜間中学をテーマに、テレビ、ラジオ、新聞、行政の広報誌、ポスター、リーフレットなど10年前とは格段の扱いである。単純に考えれば増加していても不思議でないと考えるが、どのように分析されているのだろう?
学びを求めている人は確実に存在する。学ぶ場所があり、そこに行けば学べる。そのためには、学びの場を設け、地道に実践を行い、普及していく。これが一番近道だし、夜間中学の歴史が教えてくれている。それを教育行政や、首長が待てるかだと考える。
現在の局面に対し、これまでの夜間中学の歩みから次の4点が教訓として思い出される。
一つに、夜間中学運動の主体はいうまでもなく夜間中学生と教員である。当事者の立ち上がりが重要だ。教員が代わりをしてはいけない。近畿夜間中学校生徒会連合会がとりくんだ、就学援助補食給食の闘いがそのことを証明した。「代理戦争はあかん」ということを。運動が学びの中味を問い、生み出された学びが次の闘いの舞台を回していった。「代理戦争」は付け焼き刃だ。
二つに、昼の義務教育は学習者が一人でもいれば、学びの場は再開される。夜間中学はそうはいかない、学習者が少なくなれば、潰されてしまう。そんな歴史を持っている。夜間中学生は自らも学びながら、義務教育未修了者に夜間中学を届けるとりくみを行っている。街頭でゼッケンをつけ、ビラを配り、募集活動をおこなっている。奪い返した文字とコトバで、テレビやラジオに出演し、語りかけることも重要だ。新聞の投書欄に投稿することもおこなっている。「一枚のビラのおかげで入学できた」(夜間中学いろは)。あのとき、駅前で受け取った一枚のビラが、夜間中学入学のきっかけであった。このように語る夜間中学生は多い。学齢の子どもたちが募集活動をしている例はおそらくないであろう。
三つめに、夜間中学の学びの中味づくりが重要であること。昼のカリキュラムの流用を排し、夜間中学の学びを確立することが求められている。「趣味と教養の学び」を脱して、自立した個人として社会参加できる力の獲得が重要ではないか。韓国の文解運動から夜間中学は指摘を受けた。「皆さんは、獲得した文字とコトバでどんな社会活動をされていますか?」と。
四つめに、運動の力に依ってしか、夜間中学はその場所も、中味も作れないということだ。でなければ、権利としての学校ではなく、恩恵としての学校でしかないものになるということをわたしたちはしっかりとこころに刻んでおきたいと思う。
五つめに、すべての根底にあることとして、学習者が「夜間中学で学んでよかった」と「学ぶ喜びが湧き上がってくる」夜間中学の学びが追求できることが重要だ。
夜間中学生の「学び」が教育と社会を変える!そんな夜間中学を追求しようではないか。