夜間中学その日その日 (595)
- 『生きる 闘う 学ぶ―関西夜間中学運動50年』編集委員会
- 2019年2月6日
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大阪に夜間中学開設、50年を前に
「先生たちの報告はきれいごとばかり、形式卒業生を毎年毎年作り出していることを自覚しているのか」。初めて参加した第21次日教組全国教研(1972年1月、山梨)で形式卒業生の告発を受けた。私が夜間中学に関わるようになる出来事であった。この出会いがなければ、「夜間中学資料情報室」を主宰する、今の自分はなかったと思う。
夜間中学開設運動によって、1969年6月5日、天王寺夜間中学が開校した。髙野雅夫さんを支え、開設の推進力を担ったのは大教組中川督之助書記長、五島庸一教文部長らの実行力であった。2019年6月で50年、半世紀を迎える。大阪府教職員組合の教育運動の大きな柱の一つとして、憲法が主張する、「学習権」を保障するため、夜間中学教育運動がとりくまれてきたことは誇るべきことではないだろうか。
2016年12月、「教育機会確保法」を公布した国は、戦後70年間、夜間中学を冷遇視し、義務教育未修了者の学習権を奪ってきた姿勢を顧みることなく、夜間中学を開設することの義務を地方自治体に課し、「一県に最低一校の夜間中学の開設を」の声の下「官制の夜間中学」を推進している。
大阪の夜間中学開設運動は、義務教育未修了者、形式卒業者が学習権保障を要求し、市民の教育運動で開設を認めさせてきた。この大阪での取り組みを全国に広げ、「官制」ではない「市民」の夜間中学開設運動が一番求められていると考える。日教組の役割は重要だ。
夜間中学開設50年を前に、夜間中学の資料を読み込み、夜間中学卒業生をはじめ、当事者の聞き取りを行い『生きる 闘う 学ぶ―関西夜間中学運動50年―天王寺開設の衝撃』(解放出版社)の出版を夜間中学関係者で進めている。まもなく、刊行される。
25年前、「夜間中学開設25年記念の集い」(1994年12月4日)を行った。呼びかけ人を代表して大阪教組 田淵直委員長(当時)の挨拶があった。府教委との間で、夜間中学の新増設に向けた「94.2.22合意」を報告いただいた。集会で、五島さんは「彼(髙野さん)の追求と叱責は怠惰で弱気な私を大きく変えました」と、声帯を取り、話すことも不自由にもかかわらず、それこそ腹からの声で感動的な挨拶をされた。
編集委員の一人はこのような想いを書いている。
この50年、夜間中学で学んだ夜間中学生、卒業生、教員、夜間中学運動を支えていただいた方々から、夜間中学生20名、教員30名、ジャーナリスト5名、そして夜間中学関係者2名、あわせて57名の参加をいただき、出来上がったのが、新著『生きる 闘う 学ぶ―関西夜間中学運動50年』である。

校正作業を通して、編集委員会で全体を読み、次のような本の紹介文ができた。
「最低一県一校の夜間中学」と「教育機会確保法」を公布されたが、夜間中学はこの半世紀、人間を序列化する「学校型教育制度」の猛省から営まれてきた。新たな時代を迎えた夜間中学のあり方を問う。いま教育を問う必読書。
そうなっているか否か、是非手にとっていただきたい。