夜間中学その日その日 (609)
- 白井 善吾
- 2019年4月13日
- 読了時間: 3分
目にとまった〝一本の命綱〟の由来
産経新聞の土曜日に「夜間中学はいま」、総ルビ入りの記事が連載中だ。感動的な内容が続く。きょうで4回目を迎えた。取り上げられた夜間中学生の自分史はかつて守口夜間中学で学んでいた夜間中学生のそれに重なり合ってくる。
夜間中学に「たどり着く」といういい方をするが、まさに、荒波の大海で大波をかぶりながら、炉を漕ぎ、たどり着いた夜間中学で他の学習者の生き様を学び、夜間中学の場で新たな繊維を入れ綯(な)いあげ、次に船出の場所として機能している夜間中学を4人の夜間中学生を通して書いていただいている。

守口夜間中学に在籍中の山崎さんの記事(2019.04.13)では、「一枚のポスターをきっかけにたどり着いた夜間中学は、山崎さんには『一本の命綱』だった。『夜間中学に通えたから選択肢が生まれた。夜間中学と出合えたから今の私がいる。それは確かなこと』」と書かれている。
山崎さんが15歳の時、目にした「一枚のポスター」は守口夜間中学生・朴春緒さんが立ててまわった、夜間中学生募集の立て看板の1本であることを、夜間中学の先生から教えていただいた。
朴春緒さんは卒業を控えた年から本格的に看板づくりをはじめた。自宅前に貼ったポスターが初めてであった。目にしたご近所の人から、雨風にも耐えられるように、補強材の提供を受けたり、公共案内スペースに掲示場所の提供を受けたなど夜間中学で話していた。少しずつ部材を調達し、立て看板を立てながら登校をはじめた。
近を流れる古川の堤防に立てた1本の看板が山崎さんが目にした「一枚のポスター」となった。
2012年11月、守口夜間中学で映画「おじいさんと草原の小学校」鑑賞会をしたとき、卒業生の朴春緒さんに、鑑賞会の案内をした。草原の小学校で義務教育保障を求め、子どもたちとともに闘った、主人公マルゲさんと春緒さんが重なり、是非見にきてくださいと案内した。
参加され、「見てよかったです。マルゲさんはケニアの夜間中学生です」と感想を話しておられた。その春緒さんが2013年1月15日亡くなられた。
1944年、12歳で韓国慶尚北道から来日、義務教育は受けることもなく、家族のため、働いてきた。「自分は夜間中学で学ぶことができた。夜間中学があることを知らない人がまだたくさんおられる。その人たちに夜間中学を知らせるんだ」と卒業後も、夜間中学募集活動を一人で実践されていた。
「15歳のある日、おつかいの帰り道で一枚のポスターが目に入る。夜間中学生の募集だった。『どんな学校なのか分かっていませんでしたが、私も通えるのかな、ここで学びたいな、と心から思いました』」と記事は伝えている。
灯台の灯りの役割を果たした「一枚のポスター」。
新学期が始まった夜間中学、「一枚のビラのおかげで入学できた」(守口夜間中学いろは)。夜間中学生は少し早く登校し、ターミナルでビラを配り、街頭募集活動をおこなう。