夜間中学その日その日 (624)
関西夜間中学運動50年に寄せる想いを語る集い(1)
私たちひとり一人は力不足であることは百も承知、しかし、力を合わせれば大きな 力になることは先輩たちが教えてくれた。夜間中学開設運動により、大阪に夜間中学を実現して50年になる今、記念の集会を持とう。呼びかければきっと応えてくれる。きっと参加する。そんな想いで、近畿夜間中学校生徒会連合会の会長経験者4名 朴梧桐・箱谷暎子・金夏子・金喜子が立ち上がった。
4名は連合生徒会総会で集会参加を呼びかけ、「夜間中学生の想いを発表しよう」「卒業生の人たちに広げてください」と各夜間中学を訪問し参加を呼びかけた。
「50年の歴史で、私たちが知っているのは最後の10年間だけ、関西の夜間中学がどのようにして生まれたのか?それを開設運動を記録した『浮浪児マサの復讐』(TBS 1969年)を観て、全参加者で確認する。次に私たち4名が想いを語る。それをきっかけに、参加した夜間中学生に話していただこう。夜間中学生の力で進行する」呼びかけ人はこのように決めた。
会場は2017年、特別展「夜間中学生」展を行った大阪人権博物館リバティーホールでやりたい。髙野雅夫さんが214日間の開設運動で定宿にした、釜ヶ崎はすぐ隣だ。
準備を進める中で、神戸学院大学の7名の学生から「私たちができることで応援したい」「夜間中学生の声を直接聞きたい」と申し出があった。7名は夜間中学をテーマ―に卒業研究を進めているとのこと。ありがたかった。
司会も夜間中学生の家族で「ぼんちきよし」さんが引き受けた。4人は事前に何度も集まりをもって、話し合った。ええことは出てくるが、悔しかったこと、苦しかったこと、長い夜間中学生の闘いのことは語ってくれるやろか?どうしたら「本音」を出してもらえるか?…心配は尽きなかった。

迎えた当日。G20で交通規制がある。遅い梅雨の雨が降っている、足元は悪かった。懐かしい先輩の顔も見える。やっぱり来てくれた。新聞記事を握りしめ、駆け付けた人。韓国から駆け付けた卒業生も息を弾ませ、姿を見せた。日韓識字文解交流でお世話になっている萬稀さんも韓国経由でカンボジアから駆け付けた。そして130人が会場を埋めた。
会場ロビーに展示された夜間中学開設運動を伝える掲示物も今日の集会に参加している。小林晃、神部博之、倉橋健三、芦田正明、古部美江子、須堯信行、一森悦子、康友子、「昭和(夜間中学)をつぶさせない」闘い、太平寺夜間中学独立校化の闘い、就学援助補食給食の闘い…数々の闘いに参加した夜間中学生も集いに参加しているのだ。その中にはなくなった夜間中学生も多い。みんな夜間中学生の先輩だ。

開始を知らせる、ブザーが鳴った。50年前の髙野雅夫さんが語り始めた。1968年12月17日、神戸湊川高校(定時制)で高校生に語った映像だ。「本当の教育を受けなければ、自分に生きる権利と教育を受ける権利を主張する人間になれない」「人間が持っている可能性まで奪う。それに対する怒りなんだ、復讐なんだ」髙野さんの主張が響く。次の場面は道頓堀川にかかる戎橋の上で、ビラを配る髙野さん。そして五島庸一教文部長(大阪教職員組合)に厳しく詰め寄る髙野さんの発言が収められている。
「こんな闘いがあって、いま、学んでいる夜間中学ができたんだ」「国が作れと言ってできた夜間中学ではないんですね」「私たちの先輩が闘いとったのが、今学んでいる夜間中学なんですね」。
50年後の私たちが臨場感をもって、夜間中学開設運動に参加できる貴重な映像だ。(つづく)






















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