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夜間中学その日その日 (626)

  • アリ通信編集委員会
  • 2019年7月11日
  • 読了時間: 3分

関西夜間中学運動50年に寄せる想いを語る集い(3)

 タイで2年半、言葉も通じない中、ひとりで生活してきた体験が自信につながっていったと語る司会者は、「言葉が通じなくても人間関係は作れる」と私たちに話されていた。「今まで、お願いがあるといわれたことがなかった、おかんから、初めての『お願い』がこの集会の司会」「小学校2年までしか行けなかった母が、天王寺夜間中学に入学した。9年間世話になった夜間中学に恩返しのつもりでやらせていただく」と紹介した。

 「私は髙野さんみたいに生きてきた。2歳の弟の手を引いて学校に通った。子どもの出生届のとき、夫が言ってた『ふみよ』の漢字が書けず、区役所の人に一番簡単な漢字の『二三代』と書いてもらった」(金喜子)。

 「わたしは『月が水を運ぶ人生を送ってきた』」と語り、夜間中学で学んで、長年の疑問が解けた時の学ぶ喜びをこのように表現した(朴梧桐)。夜間中学への登下校でいつも渡っている橋から、大和川の河口を海の水が上流へ押し上っていく現象を眼にしたとき、「引力」の勉強と、潮の満ち引きの時間を、計算もできない母親が指でちゃんと計算をし、予測していた。これがつながった。「母がやっていたのは、これだったのか‼」。

 「今日は書いたもんを読んだらあかんと4人で約束した。連合生徒会の会長をやり、輪が広がっていくことが体験できた。夜間中学生同士の輪、これが宝物だ。連合生徒会の主張はすぐには実現しない。輪を信じであきらめることなく連合生徒会の活動を続けていってほしい」(箱谷暎子)。

 「夜間中学を卒業しても、夜間中学で言い、とりくんできたことを、夜間中学卒業生として引き続きやっていこうと考えている」(金夏子)。

 舞台に立った呼びかけ人は夜間中学入学のきっかけも語った。「孫の小学校入学式で目に飛び込んできたポスター」「ある中国人の夜間中学生の勧め」「広報に載った記事」「おかあちゃん、夜間中学に入ったらと娘の勧め」であった。

 夜間中学に入学して変わっていった自分についても語った。「人前でしゃべれるようになった」「誰の前でも胸張って言える」「社会の仕組みを知ることができた」「私たち、力を合わせんことには大きなものには勝たれへん」「子どもや孫が私を認めてくれた」。

 夜間中学の教室の様子が変わっていくことへの不安も語った。「私たちのような、文字も読めない人が大切にされるのか」「新しく外国からやってきた人たちの『日本語学校』になってしまうのではないか」「若い人が多くなり、高校へ行く勉強にちからがはいる」…。

 これら発言いたいし、そのあと舞台に立った夜間中学生は、自身の体験に基づき、自分の考えを発表していく。(つづく)

 
 
 
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